「天国でまた会おう」アルベール・デュポンテル

 

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久しぶりに鎮火気味だった映画熱が盛り返して来たので、ふらっと県内唯一のミニシアターであるソレイユに行ってきた。地元にあったレトロミニシアターは潰れちゃったけど、ここは令和になっても相変わらず上映が始まるとき、ブザーの音で始まるのがいい。香川、岡山は味のあるレトロミニシアターが存命しててとても嬉しい。あとはイオンシネマの天下だけど。

閑話休題。そんな感じで天国でまた会おうである。原作はピーター・ルメートル。その女アレックスを書いた人、と言えば通じるだろうか。書店でスルーされがちな海外ミステリの中でも比較的に置いてあったからタイトルだけは知ってる人も多いかと思う(私もその安心感から読むのを後回しにしてしまっている。反省)。監督はフランス人のアルベール・デュポンテル、そして主演はアルゼンチン人のナウエル・ピエーズ・ビスカヤートだ。

物語は第一次世界大戦末期、西部戦線から始まる。前線である113高地のフランスを始めとする連合国軍と敵国であるドイツの兵士たち間にも休戦の噂が流れ、士気は低下していた。そんな中、戦争を終わらせるのを良しとしないフランスのプラデル中尉は卑劣な偽装工作により、戦闘中止命令を無視し、戦闘を開始する。塹壕より這い出し、突撃を開始するフランス兵たち。砲火降り注ぐ戦場で榴弾の爆発に巻き込まれた兵士のマイヤールは生き埋めになってしまうが、そこを辛くも仲間のエドゥアールに救われる。しかし、その刹那の後、今度はエドゥアールが爆撃に巻き込まれてしまう。病院で目覚めた彼は、自分の吹き飛んでしまった顔の下半分を見て驚愕する。まともに言葉を発することができなくなったエドゥアールはマイヤールに自分を死んだことにしてほしいと懇願する。

復員したマイヤールを待っていたのは祖国の残酷な現実だった。戦死した兵士たちが英霊として祭り上げられる一方、傷ついた帰還兵たちは冷遇され、以前の職も、かつての恋人も彼を迎え入れてはくれなかった。さらに怪我の後遺症でモルヒネ中毒となったエドゥアールを介護し、彼の死を遺族に偽装し、彼のために他の帰還兵から配給品のモルヒネを奪い、なんとかその日をやり過ごしていた。

モルヒネに耽溺して隠れるように生活していたエドゥアールであったが、下宿先の娘と心を通わせるようになり、やがて自らの芸術の才能を発揮し、美しい青いマスクを創り出す。見違えるように活力を漲らせた彼は、少女を通訳に、マイヤールにある犯罪を持ちかける。それは架空の戦没者記念碑を種にした大胆な詐欺であった…。

まず目を引かれるのはエドゥアールの美しくユーモアに満ちたマスクの数々である。

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彼が生まれ変わったときの美しい青いマスクや

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悪巧みしてまっせ!って悪党マスク

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潜入中の変装マスクに

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印象的な孔雀のマスク。

とにかくシーン毎にバリエーション豊富にマスクが登場しまくる(ありすぎて一発マスクすらあるくらいだ)。エドゥアールは顔の下半分を失い、まともに話すことも食事をすることも、表情を作ることすらできなくなっていた。しかし、彼の天賦の芸術の才能により産み出されたマスクの数々は彼の失われた自己表現の手段となり、シーン毎に饒舌に彼の感情を語っている。そのお喋りっぷりはジム・キャリーにだって負けていない。私のお気に入りは予告にも登場した表情を変えることのできるマスクだ。

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だが、彼の本当に素晴らしいのは目の演技だと思う。目は口ほどに物を言うと言うが、マスクの隙間から見えるその目は登場人物はもちろん、観客の視線をも釘付けにする。

そして、エドゥアールには神に与えられた二物がある。それが犯罪の才能である。実にクレバーでエキセントリックに、そして優雅に犯罪を楽しむ姿に「こいつこの後なにしてくれるんだろう」とワクワクが止まらない。戦後、戦没者の埋葬を生業に成り上がったプラデル中尉に対する嫌がらせに近い仕返しなんかは、本当に着眼点から性格が悪くてにやにやしてしまった。しかし、彼はただの愉快犯として犯罪を楽しんでいたわけではない。彼がこの大胆な犯罪に取り組んだ理由は彼の悲しい生い立ちに根ざしており、その最後に彼の目に浮かんだ感情は途轍もなく深い悲しみをたたえており、涙を誘う。

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彼の相棒であるマイヤール(演じるのはデュポンテール監督)はエドゥアールと真逆の小市民だ。

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臆病で風采の上がらない彼は、戦争で一段高い精神状態へと移行したエドゥアールとは違い、ずるずると低いところへとずり落ちていく哀愁漂う中年男性だ。彼は良くも悪くも優しい男であり、エドゥアールのために献身的に尽くす。しかし、彼はエドゥアールのイエスマンとは成り下がらず、彼なりに人生を立て直そうと試行錯誤を繰り返す。彼らのその姿は犯罪者版ホームズとワトスンのようだ。

エドゥアールのもうひとりの理解者であり、彼の通訳と作品のプロデュースを務めることとなる少女ルーシー役のエロイーズ・バルステールも非常にチャーミングだ。本作が映画初出演らしく、今後の活躍が楽しみだ。歌がとても下手らしい。かわいい。

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本作で仇役のクソ男・プラデル中尉を好演したローラン・ラフィットとエドゥアールの父親役のマルセル役のニエル・アレストリュプなどの脇役も実に堅実で豪華だ。

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アートのような華やかな造りと強かな謎解きを含んだ確かな佳作。もう上映されてる映画館も少なくなってきてるだろうけど、ぜひ劇場で観てもらいたい作品だ。しみじみといい話だった。おススメです!

 

 

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本国のポスター。すごく好き。

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原作者ルメートルの代表作、その女アレックス。なんとなく後回しになってから早く読みたい。

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フランス産・仮面の犯罪者と言えばオペラ座の怪人。原作は推理小説黎明期の密室殺人として名高い、黄色い部屋の秘密のガストン・ルルー

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マスクと言えば、ジム・キャリーのマスク。幼少期に吐くぐらい金ローとかで観せられた。

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「え?マイケル・ファスベンダーにマスクを!?」となってそのヴィジュアルに度肝を抜かれたフランク。スーパー面白いらしいので観たい。

 

 

 

「さよならよ、こんにちは」円居挽


円居挽という名前を聞くと、京都のことを深く思い出す。私自身京都のボンクラ大学生であった縁もあって、大学の近所の本屋で並んでいた作者の烏丸ルヴォワールを手に取ったのがもう7年前近く(なぜかシリーズ1作目から読まない私の悪癖がここでも発揮されている)。

私が普段歩いていたような馴染みのある場所が非日常の物語の舞台となる高揚感(確か瓶賀流と山月の会談場所が金閣寺の駐車場だった気がする。ご近所!)、大学生の彼らが知恵と策謀と弁舌を以って怪人超人巨悪と対峙していく胸打つ展開、どれもとても楽しかった。思えば西尾維新戯言シリーズで京都の大学生活に憧れ、森見登美彦の作品に京都の東側の文化に魅せられ、そして綾辻行人有栖川有栖といった京都の大学生を描いた新本格ミステリへの道へと誘ってくれたのは京都という街を舞台にミステリを書き続けた円居挽のおかげかもしれない。そう思うと恩のある作家であると今になって思う。

ルヴォワールシリーズの主人公のひとり、京都で古より開かれていた秘された私的裁判である双龍会の若き龍師(弁護士であり検事である詭弁イカサマ上等の弁舌家)の御堂達也がまだ母方の姓である本陣達也を名乗っていた頃。彼は亡くなった母の復讐のために仇がいるという奈良の山奥にある越天学園へと入学する。絶対記憶を有する彼は復讐の足掛かりとして学園内で探偵の真似事をして、あらゆる人物の困り事を捜査し、その成果によって恩を売ったり弱味を握ったりしては彼らを手足として使い仇の手がかりを集めており、学園内で畏れられていた。彼の側には後に大学と龍師の先輩となり人生の中で大きな存在となる瓶賀流や反省室と呼ばれる達也の根城となる探偵事務所のようなアジトの仲間たちがいた。一人で生きられると語る彼が奈良の狭い世界で人との生き方を見出していくルヴォワールの前日譚とも言える連作短編集だ。

本作は作者の生まれた奈良を舞台に達也が仇に敗れ、京都に流れ着くまでを描いている。達也の母校・越天学園についてはルヴォワールでも言及されていて、作者の母校がモデルらしい(後輩のM君の母校でもある。聞いていた通りにかなり辺鄙なところにある学校のようだ)。私も高校の同窓に奈良生まれが多かったからか、彼らが語る物寂しいものの牧歌的な奈良の雰囲気には少し親近感がわいた。

以下、収録作品について触れていく。

 


・「DRDR」流の溜まり場となった学園寮の達也の部屋。彼はそこでドラクエ1のソフトをプレイする流のプレイを傍目にふっかつのじゅもんの記憶役をさせられていた。「せかいのはんぶんをおまえにやろう」という有名な竜王の提案に「はい」と答えた流。バットエンドのじゅもんを記憶させられた達也だったが、そこで流はさらに「この続きを解いてくれ」と宿題を残す…。ドラクエ1をやったことない私でもグッとくるセンチメンタルにノスタルジックな日常の謎。作者が最高傑作と自負するに頷ける趣深い短編。

 


・「友達なんて怖くない」達也の一風変わった本棚を見て首を傾げる反省室の仲間である御堂守哉と桜田水姫。そこから休日の達也を尾行する守哉だったが…。本で人と人が繋がっていくのはいいよなあ、と思わせてくれるいい話。

 


・「勇敢な君は六人目」誰かが落とした謎の暗号が記された手帳。その手帳を巡って5人もの落とし主が達也たちの反省室を訪れる。暗号を解析することでとある犯罪の可能性に気づいた達也は犯人たちと対峙するべくゲームセンター・キャノンショットへと乗り込む…。探偵団出動!というような小気味いい冒険譚。達也の女たらしが意外な新キャラに炸裂する。今はなきあやめ池遊園地が印象的に登場する。

 


・「な・ら・らんど」流はならまちの中で目的地とその目的に迷っていた。そこで出会った褐色の美女・安蘭寺くろみの不気味なほど正確な推理と口車に乗せられ、彼女は2人で目的地を目指すが…。駄洒落やん!となるタイトルに反してDRDRに繋がる流の心の動きを丁寧に描いた綺麗な話。

 


・「京終にて(アット・ワールズエンド)」学校と実家と母の入院する病院を最短距離で移動する小学生の達也。絶対記憶の体質故に周囲と折り合えず、そのことから母親に弱いところを突かれ、病院の屋上へと避難する。そこで本を読んでいると謎の美女が彼に話しかけてくる。彼女は未来予知の能力を持っていると言い、彼を恐怖させるような振る舞いを見せるとともに彼の人生に大きな示唆を与えていく。達也の初めての敗北と後に不屈の龍師となる彼の原点ともなった闘いの話。泣ける。

 


・「ふっかつのじゅもん」闘いに敗れ、復讐を果たせず御堂家の養子となった高校三年生の達也。彼は燃えてしまった自分の寮を見上げて、これからのことを考えていた。丸太町ルヴォワールの直前の話。

 


丁々発止、イカサマ、どんでん返しアリアリのルヴォワールシリーズに比べると非常に穏やかで小さいスケールの話ばかりだ。しかし、後の御堂達也や瓶賀流といった物語の重要なキャラクターの新たな側面を見せてくれており、次回ルヴォワールを再読したときに新たな発見をさせてくれることだろう。

物語のラストに非常に印象的な会話がある。

 


「ちょっとだけゲームの話をしよう。ハードウェアの限界が世界の限界を決めてきた。これは解るかな?」

ドラクエのマップがどんどん広くなっていったのも容量が増えていったからですよね」

「そういうことだ。そして君も同じだよ」

奈良の街、越天学園……思えば随分と狭い世界に囚われてきた気がする。

「君は身も心も大きくなった。それに相応しい世界が待ってるよ」

おそらく達也がこの場所から出て行きたいと感じているのもそういうことなのだろう。ここはもう自分には狭いのだ。

 


奈良から京都へ。そしていつか京都すら彼には狭く感じられていくのだろうか。これからの彼らのことが気になるとともにルヴォワールシリーズを再読してみたくなった。いつのまにか過ぎていった平成のノスタルジーを感じさせる地方都市の青春連作短編。おススメです。

 

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書影。イラストはルヴォワールから引き続きくまおり純が担当。

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講談社BOXから刊行されていたルヴォワールシリーズ。相手をやり込められればなんでもありのどんでん返し法廷ミステリ。全4巻。

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作者によるノベライズ版逆転裁判逆転裁判逆転検事のキャラをうまく登場させながら、ふたつの時間のふたつの事件を逆転裁判らしく解決。近々、FGOのノベライズも刊行されるらしいのでそちらも楽しみ。

「悪霊の館」二階堂黎人


先日、帰省中に奈良へ出かけた際にたまたま入った古書店が思いの外、推理小説の取り揃えが良く、セールをやっていたのもあって思わず長居してしまった。家も手狭になってきたし、旅先で本を買うのも荷物になっていけないと思いながら毎回ついつい買ってしまう。

なに買ったの?

二階堂黎人の悪霊の館。

ハードカバー?

うん。

何ページあるの?

700ページ。

馬鹿なの?

うん…。

というわけで作者の代表シリーズである探偵・二階堂蘭子シリーズの第4作である本作は原稿用紙1200枚にも及ぶ大長編である。

戦前、医療品の輸入によって財をなし、その後大学病院などを経営することで医療界のみならず財界にも絶大な力を持つようになった志摩沼家。その一族は先代の伝右衛門の下に3人の娘がおり、それぞれが一族の支配権を狙って争い、憎み合っていた。伝右衛門の死後、一族を統率していた奥の院様と呼ばれる伝右衛門の姉である老婆・きぬ代の臨終の際、明かされた彼女の遺言が一族に波紋を起こす。それは、長女の孫の卓也が三女の孫である美幸と結婚しなければ彼女の莫大な遺産を国に遺贈する、というものであった。しかし、卓也は従兄妹の茉莉との結婚を望んでいた。

志摩沼家と昵懇の仲であった二階堂家の家長で警視正の陵介のもとに志摩沼家の顧問弁護士である田辺という青年が現れ、これから彼ら一族に起こる何らかの事件を阻止してほしいと依頼する。しかし、一歩遅く、事件発生の報を聞いた陵介は息子の黎人と義娘の蘭子は父とともに志摩沼家が住まう屋敷、アロー館へと赴く。そこでは卓也の婚約者であった茉莉と思われる女性が密室で死亡していた。彼女の死体は顔の他に手の指も切断されており、さらに五芒星の魔法陣と破られた書籍の山と四体の西洋の甲冑が彼女を守護するかのごとく設置されているという黒魔術的な装飾を施された異様な状態であった。さらに茉莉の双子の姉である沙莉も事件後、屋敷から姿を消していた。殺されたのは双子のどちらなのか。しかし、その凄惨極まる殺人事件も悪霊の館と呼ばれる屋敷に住まう呪われた一族を巡る血塗れの惨劇の第1幕に過ぎなかった…。

作者がカーのような不可能犯罪に魅入られた本格推理小説作家であることは以前の感想で触れたと思うが、今回も魅力的な殺害現場を用意しておきながらその解決は比較的あっさりとしている(それでも鮮やかな解決であるのは間違い無いのだが)。

それよりも今回は作者が愛して止まない日本の呪われた一族が登場するドロドロとした血濡れた悲劇としての作劇の方に重きが置かれている。物語の冒頭に登場する奥の院様の臨終のシーン。横溝正史犬神家の一族を彷彿とさせる。そして複数登場する双子の存在。これは作者が以前述べていた美貌の姉妹が登場する惨劇的な日本の探偵小説への愛がますます深く発露したものであると同時に読者の推理欲を掻き立てる絶好の対象となっている。

さらに印象的に挿入される魔女の物語。モンテスパン夫人とルイ14世マリー・アントワネットルイ16世の伝説、そしてアロー館を建てた後、突如消えてしまったドイツ人夫婦の謎など歴史的な考察などがどのようにこの一族と関連しているのか。殺人事件の他に屋敷に度々現れる亡霊の仕業としか思えない怪奇現象と相まって私の興味と興奮は収まることなく最後まで突き進んでいった。そして、流麗な蘭子の推理で事件が解き明かされた後に待ち受ける論理で語り切ることのできない怪異的で残酷なラストシーン。満足の溜息しかでなかった。

圧倒的なボリュームではあったが、苦痛になることなくグイグイと読み終えることができたし、ラストで蘭子たちがフランス、すなわち作者の代表作であり、ミステリ史上最長の大作として名高い人狼城の恐怖の舞台へと繋がるところに達した。私自身まだシリーズ第1作の地獄の奇術師が未読のままだが、そちらと合わせて早く読んでみたい。楽しかった!

 

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書影。このボリュームで800円だった。最高。

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大富豪の遺産を巡る骨肉の争いと言えば横溝正史犬神家の一族

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ミステリとしてだけでなくホラーとしても名高い三津田信三の刀城言耶シリーズ。本作と通底するものがあるように思う。魔女の如き呪うもの、みたいな?

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作中でも言及される高木彬光の刺青殺人事件と比較される名前のみ登場する幻の難事件、甲冑殺人事件。作者はその事件を本作で具現化した。

 

「プランD」ジーモン・ウルバン


もし、ある歴史的事件が成功あるいは失敗していたらその後の歴史はどうなっていたか、という視点で描かれた歴史改変小説と言えばディックの高い城の男などのSF小説が高名だが、ミステリとの親和性も高い。たとえばマイケル・シェイボンユダヤ警官同盟イスラエルが建国に失敗し、ユダヤ人の特別行政区アメリカのアラスカにあったら、という世界観で描かれた警官小説であった。現実の世界ではイスラエルという自分たちの国をようやく手に入れたユダヤ人が物語の世界ではその居場所を得ることに失敗し、さらに新たに手にした仮初めの居場所までも失おうとしていた。そんな現実世界ではあり得ないifの中で政治、宗教的背景を抱いて暗躍する犯罪者とそれを追う警官たちの心理と情熱を実に巧みに描写していた傑作だ。

当然、たとえ物語が荒唐無稽に思える前提からのスタートを切るのだとしても、そこに描かれるのはひとつの世界の歴史であるのだから、相当に精巧な描写と考証がなければ説得力のない絵空事になってしまう。しかし、本作がデビュー作であるドイツの新鋭ジーモン・ウルバンはそれを見事にやってのけた。

舞台はドイツ。東ドイツの元首ホーネッカーを権力の座から引きずり下ろしたクレンツは東西に分断されたベルリンの境界線である壁を一度は解放するも(多少内情は異なるもののここまでは現実通りの歴史)、流出する国民を止めきれず、再び壁を閉ざしてしまう。〈再生〉と呼ばれる一連の改革で現実世界では崩壊した東ドイツは延命に成功し、2011年の現在でも東ドイツ社会主義国家として存続しているという架空の歴史を歩む世界。

人民警察の警部マルティン・ヴェーゲナーは国家が所有する森にあるガスのパイプラインにて首を吊られて死亡した老人の殺人事件を捜査していた。老人の死体には再生時代以前に暗躍したシュタージと呼ばれる秘密警察の処刑人が裏切り者に対して行なったという左右の靴の靴紐を結びつけるという独特の符丁が残されていた。今回も国家保安省の機密保持の書類にサインしてお役御免かとお決まりの捜査をこなすヴェーゲナーであったが、事件の写真が西ドイツの有力紙に流出して事態が一変する。

東西ドイツはロシア産のガスを東ドイツのパイプラインを通じて西ドイツに供給するエネルギー協定を間近に控えていた。しかし、東ドイツで依然として国家による非人道的な殺人が行われていると世界に思われれば、エネルギー協定は白紙に戻ってしまう。そうなるとトランジット料金をあてにしていた東ドイツ経済も安定したガス供給を公約に当選した西ドイツの新元首も破滅だ。

その最悪の事態を回避するべく、東西ドイツは異例の合同捜査を行うことに。西ベルリン警察の特殊捜査班のトップ捜査官であるブレンデル刑事の相棒として白羽の矢が立ったヴェーゲナーは彼とともに事件を捜査することに。犯人はエネルギー協定を疎ましく思い、シュタージの犯行に見せかけた何者なのか。殺された老人はシュタージの関係者なのか。浮上するプランDという計画とは…。

とにかく面白いのは東ドイツという社会主義国家の現在の姿だ。あらゆるインフラやサービスを国家が所有し、管理する社会は困窮した西ドイツをはじめとした資本主義の民主国家からは青い芝生のように見ている人々もいる。しかし、その内情はあまりに悲惨だ。あらゆる場所にカメラと盗聴器が潜み、骨抜きにされたとは言え、シュタージをはじめとした国家の目が光る閉塞した社会。そんな誰が敵かわからない状況の中で人々は口をつぐみ、希望も持てずに下を向いて生きている。主人公のヴェーゲナーもそんな人のひとりだ。

当初、コードネームU.N.C.L.E.のナポレオン・ソロイリヤ・クリヤキンシュワちゃんレッドブルのような東西の凸凹コンビがお互いのコミュニティをディスり合いながらいつしか友情を勝ち得ていく王道のストーリーかと思っていたが、そんな予想は10ページも読む頃には霧消していた。とにかくヴェーゲナーが卑屈なのだ。彼は国家が大量生産した粗悪品の下着や車しか所持しておらず、真実を追い求める警察官であるにもかかわらず、国の不都合なことに目を背け、口を閉ざしてきた。容姿にもそれほど自信はなく、今も愛して止まない元恋人のカロリーナはエネルギー省のエリート街道を邁進し、ロシア人の高級官僚に体を許すガス娼婦だと妄想してはひとりで傷つく哀れな中年男性。片や西のブレンデルはハンサムで高級な香水の香りを纏い、東ドイツ製とは雲泥の差のある高級車を乗り回し、周囲の人々の目を離さない伊達男。しかも人格者でヴェーゲナーや東ドイツの人々にも友情を示し優しい。ヴェーゲナーはブレンデルやカロリーナの姿を見てはその劣等感を募らせ、東ドイツの荒涼たる現実を見せつけられていく。

とにかく陰鬱で迂遠な展開で物語は進んでいく。腐敗した社会主義国家の中で誰しもの口は重く、捜査は進まず、そんな社会に毒されたヴェーゲナーは傍目には寡黙だが、自らの内で消えてしまったかつての上司であるフリュンヒテルを同居させ、とにかく内省を通り越した自罰的で饒舌な会話を繰り返す。女々しいまでにカロリーナに固執し、目にする風景の中で山崎まさよし並みに事あるごとに彼女の姿を探してしまう。そんなところにいるはずもないのに。こうはなってしまってはダメだ、と思いながらも彼に共感せずにはいられない悲しい中年男性の物語だ。

しかし、そんな架空の世界の社会主義の中でも現在の現実世界にある問題と重ねて見えてしまうものもある。フリュンヒテルは言う。社会主義は希望に根差している、と。あらゆる政治システムは社会がこうなったらいい、こうなったら誰もが幸福になれるという希望からスタートする。しかし、その希望が現実問題と折衝していくうちに、変質し、人にとって暮らしづらい閉塞したものへとなっていってしまう不幸。この東ドイツではない東ドイツがどこの世界にもいつしか現れてしまう。それはとても悲しいけれど避けては通れない。私たちはそこに寡黙になってはいけないのだと痛感させられた。

なんだか求めていたものとは全然違う筋道を辿っていったけれど、それでも謎解きとして面白く着地していったし、色々と考えさせられた。ナチスと関係してないドイツ小説というのも新鮮だったし、時間はかかったけど読んでみて良かったと思えた作品だった。

 

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書影。グッドデザイン賞

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マイケル・シェイボンユダヤ警官同盟コーエン兄弟による映像化の話がうやむやになっている。

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第二次世界大戦アメリカがドイツと日本に敗れていた世界を描いたフィリップ・K・ディックの高い城の男。映像化もされている。

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こちらも日本がアメリカに勝った世界を描いたピーター・トライアスのユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン。まんま高い城っぽいあらすじだけどこのパシリムっぽいロボットはどう絡んでくるのか。

 

 

「アメリカ銃の謎」エラリー・クイーン


ニューヨーク、ブロードウェイに一大ロデオショーがやってきた。〈暴れん坊〉ビル・グラント座長に率いられるロデオ一座の目玉は往年の西部劇スターであるバック・ホーンのカムバックであった。クイーン家の愛すべき従僕であるジューナにせがまれ、ロデオショーに赴いたクイーン警視とエラリーの親子。二万人の観衆の前に華やかに登場したバックを数多のカウボーイたちが追う。彼らの拳銃が一斉に発射された次の瞬間、西部劇の英雄の体は傾き、馬から落ちる。彼は射殺されていた!

すぐさま会場は封鎖され、ショーの出演者の拳銃が集められる。しかし、被害者のものを含めた45挺の拳銃はどれも凶器ではなかった。二万人の観衆も残らず身体検査をされ、会場もくまなく捜索されるもついに拳銃は発見されなかった。一体誰が、どうやって、二万人の目の前で大胆にも人を殺し、そして消えおおせてしまったのか…エラリーが解決に挑む。

国名シリーズ第6弾であり、デビュー作であるローマ帽子の謎の大劇場、フランス白粉の謎のデパート、オランダ靴の謎の病院と着実に舞台の広さと容疑者の数を増やしてきたクイーンであるが、いよいよ来るところまで来てしまった感がある。なんと言っても今回の容疑者は二万人もいるのだから。エラリー自身も「次はヤンキースタジアムかもしれないですね」とか不吉な予言をしちゃってるから手に負えない。毎回、現場を封鎖したり、容疑者の身体検査をするクイーン警視の部下たちは本当に大変そうだが、今回はかつてない規模で気の毒なほど憔悴していく(警視の片腕で鋼鉄の巨人と称されるヴェリー部長刑事が思わず居眠りをしてしまうほどだ)。

しかし、その二万人の容疑者の中からたったひとりの犯人へと辿り着くまでの消去法のロジックはさすがのクイーン、見事である。そして、忽然と姿を消した一丁の凶器が登場人物たちの目の前に姿を現わすの瞬間の劇的さ、思わず膝を打ちたくなる意外なその隠し場所も面白い。

そして、今回のアメリカ銃の何が出色かというと饒舌なキャラ造形と風景描写だろう。前口上でエラリーが友人のJ・Jに事件を振り返る印象的な場面がある。

 


「さて、ここに黒の色水があるーーバック・ホーン本人だよ。そして、金色の水ーーこれはキット・ホーンだ。ああ、キット・ホーン」彼はため息をついた。「頑固な灰色の水ーー暴れん坊のビル爺さん、そう、〈暴れん坊〉ビル・グラントだ。健康そうな褐色の水はーー彼の息子の〈巻き毛〉君。毒々しいラベンダー色の水はーーマーラ・ゲイという……ええとゴシップ新聞はなんて呼んだっけ。ああ、〈ハリウッドの蘭〉だ。……その夫のジュリアン・ハンターは、ぼくらの分光器にかけるならドラゴンの緑だね。トニー・マーズはーー白、かな?プロボクサーのトミー・ブラックはーー力強い赤。〈一本腕〉のウッディーーあの男は蛇の黄色がぴったりだな。そして、その他大勢だ」エラリーは天井に向かってにやりとした。「なんとも華やかな色彩の銀河宇宙じゃないか!」

 


なんとワクワクする割り振りであろうか。そして、これに飽き足らず事件が起こるまでの間にとにかく饒舌にページを使いまくって顔に刻まれた表情や会場に立ち込めるにおいまでもが感じられるほどキャラと舞台を作り込んでいく。そして、丹精込めて作り上げた舞台と役者たちが出揃ったときに起こる事件の大波乱。これには呑まれてしまった。

解説の太田忠司も触れていたが、これまでのクイーンは推理小説としての純度を上げるためにキャラの個性や情景描写を省いていた部分がある。しかし、今回はそこから一歩踏み出し、パズルの記号としての登場人物や舞台に留まらない華やかでドラマチックな物語を作る生きた世界を作り上げ、普遍的な小説としての完成度を増しているように思えた。

そして、先述の通り、その饒舌な語り口が推理小説としての論理を曇らせるようなことはない。むしろ高度に共生しているとさえ言える。

毎回読む度に新たな発見と新鮮な驚きを感じさせてくれる本家・国名シリーズ。新訳で読みやすく手に入りやすくなっている。そしてクイーン先生が「ええか?キャラはこうやって盛っていくんや!そして風景はこう!」って言ってるみたいな饒舌な語り口は物語を書く人ならば一度ぜひ読んでみてもらいたい。おススメです!

 

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書影。早く次のシャム双生児の謎も読みたいんだけど次の新訳はXの悲劇らしい。

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大観衆の前で起きる事件といえばパニック・イン・スタジアム。パニックになって逃げ惑う大観衆がマジで怖い。

 

「乱鴉の島」有栖川有栖


「あらかじめ告白しておきますが、私は断定できるほど確かな推論は持ち合わせていないんですよ。あるのはただ、想像を束ねた棍棒みたいなものです。これからそいつで、犯人に一撃をくれます」

 


魔眼の匣を読んでたら猛烈に有栖川有栖が読みたくなったので、前から読みたかった本作を買った。本作は探偵役に臨床犯罪学者の火村英生とワトソン役にミステリ作家・有栖川有栖を配した作家アリスシリーズの長編である。

春休み、大学の激務からガス欠気味の火村英生は下宿の大家の勧めで三重県にある離島の民宿へ友人である有栖川有栖を伴って旅行へ出かける。しかし、ほんの小さな間違いが重なり、彼らは烏島と呼ばれる島へと置き去りにされてしまう。その島には象徴詩人として高名な主人とそのファンが懇親のために集っていた。部外者として居心地の悪さを感じながらも彼らの連れてきた子供に懐かれた2人は、その島に留まることに。

そこに新たな闖入者がヘリコプターとともに現れる。その男は新鋭の起業家であり、テレビを賑わす若き富豪。この男はとある目的から会の参加者である医師を追ってきたのだった。その目的とは彼の持つクローン技術であった。明らかになった事実から火村たちはこの島に集まった人々の様子がおかしなことに気づき始める。その疑念を裏付けるように島で殺人事件が起こり…。

外界から隔絶された孤島が舞台になるミステリ作品といえば枚挙にいとまがない。最も有名なクリスティのそして誰もいなくなった江戸川乱歩の孤島の鬼にパノラマ島奇譚、横溝正史の獄門島綾辻行人十角館の殺人森博嗣すべてがFになる、そして作者も学生アリスシリーズにおいてすでに孤島パズルという孤島モノの傑作を書いている。

しかし、アリスによって前口上で語られるように、あるいは火村自身によって「こんな奇妙な事件は聞いたことがない」と語られる本作もそのコピーに偽りはない面白さだった。

鴉が不気味に飛び遊ぶ孤島、集まった曰くありげな人々、古風なエドガー・アラン・ポーの詩作と未来的とも言えるクローン技術の実在性の対立。しかし、その理想的とも如何にもと言える舞台において起こる事件は非常に地味だ。火村が「いたってありふれたもの」と言うのも頷ける、解決になるほどと唸るも非常に小粒な事件だ。解決編も想像を束ねた棍棒というように快刀乱麻、鮮やかとは言い難い部分がある。たしかに孤島という条件でしか成立はしないが、やはり孤島パズルと比べると見劣りしてしまう。

だが、本作の肝は殺人事件ではない。この事件の核となる人々のドラマだ。何故この島に人々が集まったのか、何故この島で殺人事件が起きなければならなかったのか。路傍の花のようなありふれた殺人事件を人間の倫理観を問う作劇と心に迫る心情描写で巧みに活かしてみせる。やった解決だ!という気持ちよさよりも胸にズンと来るような忘れられないものが残る。これもまた有栖川有栖の持ち味だと思う。

そして事件も地味ではあるが面白さはきちんと担保されている。これまで警察に捜査協力してきた経歴を持つ火村は基本的にすんなりと事件現場で優位な立場を確保してきたが、本作ではいつものように能動的に現場に乗り込んだわけではなく、巻き込まれ型のアウトサイダーだ。そこがネックとなって島の人間から容疑者扱いを受けるなど非常に危ない立ち位置に立たされる。そこがスリリングであった。また、登場する起業家は明らかに堀江貴文を意識して書いてあり、当時のことを懐かしみながら読んでいた(ホリエモンも今じゃすっかり面白だけの人になっちゃったよね)。

江神二郎が相対した孤島とはまた別の孤島モノ。しっとりした雰囲気はスウェーデン館が好きな人はハマると思います。面白かった。また斎藤工窪田正孝で映像化してくれないかなあ。

 

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書影。作家アリスシリーズはいくつもの出版社に横断して出版されているが本作は新潮社。表紙の「Nevermore」とはポーの詩・大鴉にて大鴉が語りかける言葉。

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学生アリスの孤島モノである孤島パズル。鮮やかな解決編と胸を打つラストが素晴らしい。

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講談社から出てる作家アリスで国名シリーズの第2作であるスウェーデン館の謎。足跡なき殺人の鮮やかなトリックと作劇が素晴らしい。

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結局観てないんだけど斎藤工窪田正孝のコンビって最強よね、っていう実写ドラマ版。

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舞台が同じく三重県(作中ではM県になってるけど)の乱歩のパノラマ島奇譚。作中でも触れられている。

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同じく作中で触れられているポーの大鴉。作中で非常に大きな存在感を示している。

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大鴉が出てくる島ミステリと言えばアン・クリーヴスのシェトランド四重奏シリーズ第1作の大鴉の啼く冬。シェトランド諸島の火祭りであるウップ・ヘリー・アーの描写が素敵。これも面白い。

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歴史の偉人のクローンたちが集められた学園で起こる事件を描いたスエカネクミコ放課後のカリスマ。そういや途中から読んでないなあ、探して読もう。

 

 

「魔眼の匣の殺人」今村昌弘


前作、屍人荘の殺人は2017年の顔だった。鮎川哲也賞にて大賞を得たのを皮切りに、このミステリーがすごい!にて国内編1位、週刊文春ミステリ・ベスト10国内編1位、2018本格ミステリベスト10国内編1位、本格ミステリ大賞小説部門受賞などデビュー作にもかかわらず破竹の勢いを見せた。そして神木隆之介浜辺美波中村倫也という本気のキャスティングにて実写映画化も決まった。公開されればさらにミステリ読み以外の認知度が増すだろう。一部書評では刊行されたときは「十角館以来の衝撃」とまで言われた。

たしかに斬新な作品だった。ミステリと○○○(いまさらかもしれませんけどね)の融合という着想、その奇想から出現するクローズドサークル、その反面堅実なトリック、エンタメ映えする大立ち回り、そして悲劇と希望が同居するラスト。どれをとっても申し分ない大作だ。しかし、私はその波から少し遠いところでその盛り上がりを見ていた。

確かに面白い。確かによくできている。しかし、青い。登場人物の吐く台詞や行動がとにかく青い。それに少し引っかかってしまったのだ。デビュー作なんだし仕方ないかもしれないけど一度つまづいてしまったらそこから無邪気に盛り上がり切れなかった。かつての新本格の旗手となった現在の大御所たちが同じ批判を受けていたのを知りながらだ。

そして、もう一つ。作者は優れた次作を書くことができるのか、という疑念だ。どんな凡人でも生涯に一作は畢生の大作を書くことができる、なんてことを言う人がいる。インタビューにてミステリに詳しくない、みたいなこと言ってたし、何よりあんな奇跡みたいな奇怪な状況を今後も生み出せるのか。

長々とグダクダ書いてきたが、結論から言おう。

 


すべて杞憂だった。

 


なんだこれ。めちゃくちゃ面白いじゃねえか。誰だよ。作者は優れた次作を書けるのか、とか言ったやつ。俺か。殺すわ。ほんとうにすいませんでした。私がすべて間違っていました。

とにかく前作で感じた引っかかりは一切霧消し、文体もキャラクターの造型も格段にブラッシュアップされていた。そして前作を遥かに上回る魅力的な舞台、状況、事件。最高としか言いようがない。とにかく作品の中身に言及していく。

夏の婆可安湖での事件から時間は過ぎ、冬、神紅大学。ミステリ愛好会の葉村譲は剣崎比留子にひとつの記事を見せる。それはオカルト雑誌に掲載された予言について記事であった。編集部に送られてきたという手紙には大阪で起きたビル火災、そして婆可安湖で起きた事件を予言していた。さらに届いた手紙にはとある人里離れた村にてM機関なる組織が超能力実験を行なっていたという内容であった。

M機関。葉村と比留子には夏の事件の背後にいた組織の名が浮かぶ。比留子は知人の探偵の調査によって、その研究所があった地が好美という地域であることを掴む。犯罪を引きつけ、人を傷付ける己の体質から単身調査へ赴こうとする比留子であったが、彼女を危険な地へ単身乗り込もうとするのを良しとしない葉村はその調査に同行する。

村へと向かうバスの車中、ふたりは奇妙な二人組の男女の高校生を観察していた。すると片方の女子高生が突如として猛烈な勢いでスケッチを始め、そのスケッチが完成した直後、バスは急停車した。原因は猪が路上に飛び出したからであったが、偶然比留子が女子高生のスケッチブックを覗き見たものは車に轢かれる猪の死体のスケッチであった。

高校生たちと目的地である好美の村を目指すが、その道は封鎖されていた。封鎖を越えて村に入ると住民は一人もいなかった。村を捜索するとガス欠で立ち往生していたバイカーの青年、村の出身で墓参りに訪れた派手な女性、車の故障で同じく立ち往生した偏屈な大学教授とその幼い息子がいた。彼らと底無川と呼ばれる谷川の向こうにある真雁という地域へ向かう。そこにはコンクリートで出来た件の研究所、地元の人々から畏怖を込めて『魔眼の匣』と呼ばれる施設があった。

そこにはサキミと呼ばれる老いた女預言者とその世話係の女性、さらにオカルト雑誌の軽薄な編集者がいた。サキミと面会すると彼女は「2日以内に真雁の地で男女が4人死ぬ」という予言を一同に告げる。そして、予言の始まりを告げるように真雁と下界を繋ぐ唯一の通路である橋が落ち、彼らは施設に閉じ込められてしまう。そして、第1の死者が唐突に彼らの元に出現する…。

前回のテーマはネタバレ厳禁の封がされているためあらすじにすら書けないが今回のテーマは予言である。これはあらすじにも書いてあるから大丈夫。しかし、前作のテーマである○○○が身も蓋もない言い方をするなら他の要因でも代替可能である要素があるとするならば、今回はそうではない。クローズドサークルの内部の人々が予言が実現するかもしれない、という信仰あるいは恐怖を抱いて行動し、そして「男女が4人死ぬ」という状況でなければならない、という縛りはこのサークルの中でしかありえないホワイダニット、フーダニットを産んでいる。そう、魔眼の匣は私が愛して止まないクローズド宗教施設なのだ。私は以前、クローズド宗教施設にはそのサークルの中でしか生きられない情緒や論理がある、と書いた。本作の宗教施設(今更だけどこれは便宜的な呼び方で実際に宗教である必要はないし匣も宗教施設ではない)も間違いなくそうである。

そして、中にいる者のみに作用する特殊なルールが存在するガラパゴスである宗教施設の中でのみ独自進化を遂げる論理と心理はそれを育む環境がなによりも重要だ。作者はその点、実にうまくやっている。ダチョウ倶楽部くらいの勢いで脱帽してしまうくらいに。

以下、多少ネタバレ。

 

 

 

私が舌を巻いたのがこの作品に予言者を2人登場させたこと。「男女が4人死ぬ」という大きな枠組みの予言の下に個々の事件の予言を組み合わせることで予言に縛られて行動する人々の描写に厚みを持たせているが、これを一人の人間が行うには作劇上非常にそのキャラに無理を強いると思う。しかし、もうひとりの予言者を登場させることによってその負担を軽減し、さらに登場人物に与える情報を制限していく。めちゃくちゃ考えられてると思う。

そして、前回の個人的ネックだった比留子さんのキャラ造形がより深化、洗練されていたようにも思う。彼女は有栖川有栖の江神二郎のように能動的に推理を披露するタイプではない。彼女の行動理念はあくまで自衛のための推理であり、必要がないのであれば決して名探偵、皆を集めて、さて、と言い、なんてことはしない。

しかし、今回のこの特殊な状況において彼女はどうしても推理を披露せねばならなかったのであり、彼女が劇中に取ったある行動も、やはりこの状況でなければ違う選択をしたことだろう。彼女もまたこの宗教施設の信仰に縛られていたのだ。そして、彼女の信義を捻じ曲げ、「これはミステリの解決編じゃない」と言った先に行き着くラストは、途轍もなく哀しい。

 


とにかく化けた。というのが偽らざる感想だ。私ごとき衆愚が抱くちっぽけな疑心などやすやすと粉砕した作者の豪腕にはとにかく畏敬の念しかない。次作の構想が早くも固まっているような引きで終わった本作。一刻も早くその物語が読みたい。こんな作品を読みたくてミステリ読んでる、と思えるくらい本当に面白かった。ミステリ専門用語も丁寧に説明してくれているし、未読の人には前作から手に取ってもらいたい。本当にオススメです!

 

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書影。綾辻行人のAnotherの表紙や冲方丁のはなとゆめの挿絵を手がけた遠田志帆の表紙が美しい。

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前作。いろいろ言ったけどこっちも間違いなく面白かったんだ。映画が楽しみ。漫画化もするらしい。

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作者も好きだと言っていた有栖川有栖の学生アリスシリーズ作品の中でもクローズド宗教施設なら女王国の城だと思うけど、ラストの構図はこちらが強烈にフラッシュバックした。大傑作。

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映画版で葉村くんをやるであろう実写映画化界の神、神木隆之介。安心感がすごい。

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映画版で比留子さんをやるであろう実写映画化界の神、浜辺美波。阿知賀編でしか観てないけど。安牌だと思います。

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映画版で明智先輩をやるであろう中村倫也闇金ウシジマくんの洗脳くんくらいしか思いつかないけどいいと思います。