「シャーロック・ホームズ 絹の家」アンソニー・ホロヴィッツ

 

シャーロック・ホームズを扱ったパスティーシュ文体模写、広義にパロディ)は本当に数多くある。その歴史は古く、ドイルの存命中にモーリス・ルブランが書いたルパン対ホームズが最も有名だろうか。他にも毒入りチョコレート事件のアントニィ・バークリーやロナルド・ノックスもホームズものを書いており、こちらはシャーロック・ホームズの栄冠として北原尚彦によってアンソロジーとしてまとめられて最近出版されたので読みやすい。北原氏もジョン、全裸同盟へ行くという作品を書いている。日本ではほかにロンドン留学中の夏目漱石とホームズの共演を描いた島田荘司漱石と倫敦ミイラ殺人事件や柳広司の吾輩はシャーロック・ホームズである、松岡圭祐シャーロック・ホームズ伊藤博文などがある(パスティーシュの宿命かとにかくよく対決する。吸血鬼とかとも戦ってるらしい)。自分の身の回りにあるものでもこれほど列挙に暇がない。

一ジャンルとして確立しているホームズ・パスティーシュの中において、本作の立ち位置はひときわ特異である。なぜなら、本作はドイルの作品を管理するコナン・ドイル財団が公式に認定した正当なる続編、という肩書きがあるからである。つまり、この物語はホームズが手掛けた61番目の事件なのだ!

物語はホームズに先立たれ、彼の不在に打ちひしがれた老いたワトスンが伝記記者として過去に封印された事件についてペンを執るところから始まる。

赤毛連盟事件と最後の事件の間のいつか、いつものようにベイカー街のホームズの下宿で寛いでいる彼らの元に美術商の依頼人が現れる。彼は売り物の絵画を爆破したアメリカの双子のギャングの片割れを間接的に殺してしまった過去を持ち、その双子の片割れが最近になって近辺に出没するようになったことに怯えている。事件の捜査に乗り出したホームズたちは彼が普段から飼い慣らしてるロンドンの浮浪児たちによるベイカー街遊撃隊を使い、男の居所を突き止める。しかし、男は安宿で首を切られて死んでおり、その宿を見張っていた少年も何者かによって惨たらしく殺害されてしまう。その少年の手首には白い絹のリボンが巻かれていた。そして、捜査中に浮上する絹の家(ハウス・オブ・シルク)という謎の存在…。

ワトスンがあまりの陰惨さと事件に隠された陰謀の深さに百年の封印を決めた、と語るこの事件の真相はかなりショッキングなものである。正直な話、その色合いが濃く、正典から漂う浪漫ある雰囲気との乖離すら感じてしまったほどだ。しかし、その筆致はドイルが書いた正典の意気そのままに実にイキイキとしている。そして、その根底にあるのは間違いなく作者のホームズとワトスンへの愛だろう。

イアン・マッケランが主演したMr.ホームズ 名探偵最後の事件など老いたホームズが遠い過去を懐かしむ作品はいくつかあったが、ホームズに置いてけぼりにされたワトスン、というのは初めてで結構新鮮だった。そして思い出補正により本編以上にホームズに対してエモい感情を抱いてるワトスンがこれ書いたら今すぐそっちに行きたい、ああ、ベイカー街が見えてきた…となってるワトスンの振り返る彼との蜜月や自身の幸運に感謝する姿勢はあまりにいじらしく、愛おしい。そして、作中の彼の献身ぶりと冒険もそれに負けないくらい愛に満ち溢れている。

彼ら以外にも登場するお馴染みのキャラクターたちも素晴らしい。作中散々馬鹿にされてきたレストレード警部はかつてない漢気を見せ、ホームズたちからの隠された信頼を感じさせるし、マイクロフトの弟に負けない智謀にも驚かされる。登場シーンは短いがハドスン夫人も素敵だ。さらに意外な人物の介入やかなりマニアックな登場人物のその後なども描かれていて、ファンにとってニヤリとさせられて楽しい。

作者は本作でパスティーシュの力を認められ、イアン・フレミング財団からジェームズ・ボンドシリーズの新作を書いたり、同じくホームズ・パスティーシュ第二弾であるモリアーティを書いたりしている。

ホームズはなんとなく知ってるけど原作読んだことないなあ、という人にも原作への興味を持ってもらえるような作品となっている。私もまだ積んだまま読んでない作品を読んでみたくなった。

f:id:gesumori:20180702205932j:image

f:id:gesumori:20180702205942j:image

f:id:gesumori:20180702205953j:image

f:id:gesumori:20180702233246j:image