「縞模様の霊柩車」ロス・マクドナルド

 

ある日、私立探偵であるリュウ・アーチャーの事務所に退役軍人のブラックウェル大佐とその美しい後妻が訪れる。二人の娘のハリエットが素性の知れない画家の男をメキシコから連れてきて、のぼせ上がっているという。ハリエットは実の母親に捨てられて以来屈折した、顔も美しくなければ器量もない、ただあと一年で五十万ドルを相続することが決まっているだけの哀れな娘。金目当ての結婚に違いないと息巻く大佐はアーチャーに画家の素性の調査を依頼する。調査を進めていくうちに画家は過去に殺人事件の容疑者として指名手配されていたことが分かるも、ハリエットと男は消えてしまい…。

ハードボイルド小説の名訳者にして研究者である小鷹信光はギャルトン事件から始まり、ウィチャリー家の女、さむけ、そしてこの縞模様の霊柩車の中期三部作が発表された時期をマクドナルドの円熟期と捉え、以後の作品をそのパターンの繰り返しと評している。また、ミステリ研究家の霜月蒼も同じく中期三部作を高く評価している。霜月氏の解説はぼくが「あー、うー、とにかくすごいの!!!(怒)」ってなるところを的確に言語化されていて素晴らしいのでここにリンクを記しておく。https://allreviews.jp/column/1854

解説の通り、アーチャーは観察者である。彼は「テクテク歩くほうが専門でしてね」と嘯くようにとにかく精力的に関係者の間を動き回る。そこにアーチャー以前の私立探偵のような腕っ節に頼るタフな交渉はない。彼はとにかく相手に粘り強く質問し、宥めすかしたり脅したり感情に訴えたりして話を聞き出し、相手の表情ひとつ見逃さないように観察することで彼も読者も一度も接見したことのない人物の仔細を構築していく。そうして読者の記憶から零れ落ちそうなほど膨れ上がった登場人物の関係図が終盤に次々と結びついていくのは見事の一言に尽きる。

さむけは母親と息子の話だったが、本作は父親と娘の話だ。その呪いのような親子関係の結末はあまりに悲劇的で多くの人を傷つける。アーチャーはそれを取り繕おうとはしない。ただ、あるがままを見つめるのみである。ラストにある人物と歩き出すアーチャーがとにかくかっこよく、この事件を乗り越えてきた読者のご褒美のような印象的なシーンとなっている。

そして、今回もタイトルが素晴らしい。今回は縞模様の霊柩車という存在が物語の不穏さを象徴するのみでなく、実際に事件解決にハンドルを切る証拠品を運んでくる。それは一度はコースアウトしたかに思えたレーシングカーが後半に白煙とともにドリフトしてコーナーインしてくるような爽快感だ。

とにかくよく練られたプロットと物語を的確にラベリングしたタイトル。そして、リュウ・アーチャーの生き様のかっこよさ。緻密に計算された精密機械のビックリ箱のような作品だった。おススメです。

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