「ミステリー・アリーナ」深水黎一郎

 

毎年大晦日に放映される国民的娯楽番組「ミステリー・アリーナ」。出題された推理小説の真相を出演者同士が推理を競わせ、正解者には莫大な賞金が与えられる。今年は属性不問、厳しい選抜を潜り抜けた14人の真のミステリマニアたちが勢揃い。そんな彼らに与えられた問題は「陸の孤島となった屋敷で起きた密室殺人」。少しずつ明らかになっていく事実を基にライバルたちより先んじて自慢の推理を発表していく参加者たち。しかし、番組の裏でも不穏な事態が進行していた…。

名探偵が五里霧中を呈した難事件に推理という名の灯火で照らし出し、唯一無二の真実を見付け出す、と言えばミステリーの王道であると思うだろう。しかし、推理小説の歴史は長く、その懐は恐ろしく深く貪欲だ。多くの詭道、邪道、獣道が発見され、その道が後を続くものたちに踏みならされて新たなる王道を作り出していった。その道のひとつが『多重解決』である。

多重解決とは「たったひとつの真実見抜く!」という孤高の名探偵のスタイルとは真逆に幾人もの探偵やそれに準ずる人たちがひとつの謎にいくつもの推理を展開するミステリ作品のことを指す。

この作品群で最も有名な作品と言えばイギリスのディテクションクラブの創立者のひとりであるアントニー・バークリーの毒入りチョコレート事件だろう。6人の素人犯罪研究マニアたちが毒入りチョコレートを食べて死んだ女性の殺人事件の真相を推理し合う、という多重解決と言えば毒チョコ、なんて言われるくらいに有名な古典ミステリだ。他にも日本では三大奇書の一角である中井英夫の虚無への供物がある。最近の作品の中では先の記事で挙げた井上真偽のその可能性はすでに考えた、円居挽のルヴォワールシリーズ、城平京の虚構推理などがある。

前置きが長くなってしまった。それではこのミステリー・アリーナのなにが出色なのか。それはひとつの事件に対して15通りの解答が用意されていることにある!1929年の毒チョコが8通りの解答があったことを思えば実に2倍に近い。本作品は多重解決の極北と称され、本格ミステリベスト10で1位に選ばれたのをはじめ、ミステリーランキングを席巻した。

バークリーも試行錯誤の実験作として毒チョコを書いている(毒チョコ以降は心理的アプローチにシフトしていっている)が、この作品も徹底して企画先行型のミステリ、多重解決ありきで書かれた作品である。

多重解決の作品は謎そのものはシンプルなことが多く、見方を変えるだけで真相がガラリと変わる。本作品も作中のほんの些細な一描写から「○○=犯人説」や「△△=犯人、ただし実は××だった説」みたいな推理が飛び出してくる。15通りも推理が存在するので中には美しさを感じる解答もあったが、一方そのお約束やメタにまで踏み込んだ先読みっぷりは凄まじく、「うわあ、ミステリオタクってこんな読み方してるんだ…」と思わせるような珍解答もある。というか珍解答の方が強めだ。ただ、そこは毒チョコから90年という時代を経て、様々な議論を経てきた読者の眼の進化した証のようにも思う。

好き嫌いはかなり別れると思う。特に犯罪から生まれる人間の陰や叙情を重んじる人には厳しいかもしれない。正直な話、自分も本作品のあまりに軽薄過ぎる文章と話運び、キャラ造形は苦手というかかなりキツく感じた。

しかし、その不満も文庫版の後書きを読んで少し和らいだ。作者は本作品で限りなく純度100%に近いミステリー小説を目指していたのである。凡庸な表現を極限まで廃し、無意味な描写が一切ない、何一つ無駄がなく真相へと推理の行軍が辿り着けるようなギリギリまで灰汁を濾し取った極上のエキスのような文章。作者はこの夢想に憑かれたのだ。

圧倒的な情熱と技巧によって書かれた怪作である。間違いなく今後、多重解決と言えば?という会話の中でミステリ好きの中で名前があがるようになる作品となるだろう。一読の価値ありです。

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