「コードネーム・ヴェリティ」エリザベス・ウェイン

 

1943年、第二次世界大戦最中のドイツ占領下のフランス。そこではイギリス特殊作戦実行部員の女性諜報員がナチスによって捕らえられ、厳しい尋問を受けていた。彼女は冷酷な親衛隊大尉とイギリス軍の無線暗号や空軍の情報を明け渡す取引に応じる。祖国の裏切り者と堕した彼女は与えられた紙切れに密告文とは思えない小説を書き始めた。彼女の親友であり、イギリス補助航空部隊の女性パイロット・マディの物語を。なぜ彼女は小説を書いたのか。そこには戦争という極限状況の中で誇りを失わなかった女性たちの真実(ヴェリティ)のための闘いがあった…。

物語はナチスに捕らえられた女性諜報員が自らの虜囚としての日々と彼女が占領下のフランスに潜伏することとなった経緯の回想とが手記の形式で進められていく第1部と別の人物による手記の第2部で構成されている。

1940年のダンケルクの戦いにおいて連合国をヨーロッパ大陸から駆逐したドイツはフランス国土を占領下に置いた。イギリスもドイツの爆撃機に空襲を受けるようになり、そのパワーバランスは圧倒的に劣勢に傾いていた。

物語はその最中、バイク屋の娘であり、機械いじりの腕が高じてイギリスの補助航空部隊でも数少ない女性パイロットになったユダヤ人のマディとスコットランド女王メアリー・スチュアートの血を引く貴族階級の才女で英国空軍夫人補助部隊の無線技術士のクイーニーのふたりが出会い、友情を育んでいく様が爽やかに描かれている。

英国空軍では激しいドイツとの闘いの中で戦闘機とパイロットが不足しており、マディは故障した戦闘機や戦闘機乗りたちを飛行場から飛行場へと運搬する任務に就いていた。一方、クイーニーはドイツ語をはじめとする高い教養と相手の最も弱い部分を聴きだす力を買われ諜報員として活動していた。

身分差もあり、全く性格も任務も異なるふたりだったが、戦争という非日常的な極限状況がふたりを図らずも結びつけ、お互いに欠かすことのできない比翼の鳥となっていく様は後に悲劇が待ち受けていると分かっていながらも美しい。

序盤の印象的なシーンがある。

 


クイーニーがマディの腰に手をまわし、その頰にさっと軽くキスをした。「〝キスしてくれ、ハーディ!〟よ。これはトラファルガー海戦のときにネルソン提督が言った最期の言葉じゃなかったかしら?泣かないで。わたしたちはまだ生きているし、すばらしい仲間よ」

 


このネルソン提督が腹心であるハーディ艦長に言った今際の言葉は作中何度も登場し、象徴的である。また〝すばらしい仲間〟はまさしくふたりの関係をそのまま言い表した名句でこちらも度々印象的なシーンで用いられる(本書の献辞でもアマンダという女性にこの言葉が献げられていることからもこの言葉が作者にとってどれだけ大きな意味を持っているか窺える)。

個人的にふたりの関係を百合だとかそういうわかりやすい言葉で言い括ってしまいたくはない。その点、原書でどのような表現をされていたのか知る術はないが、すばらしい仲間と訳した訳者の腕は手放しですばらしいと思う。

第1部の手記は自身の命の時間稼ぎを目的としても書かれており、親衛隊大尉をしてシェヘラザードと称される女性諜報員の雄弁な物語を形作る創造性と観察力はまさしく千夜一夜物語の王妃さながらである。故に描写は迂遠な道行きを辿り、また諜報の世界で得た情報も故意にはぐらかし、自身の本名すら明かさないような巧妙な情報戦をも展開しており、なかなか物語の全貌を読者にも掴ませない。

また実際にパイロットでもある作者ウェインのプスモス、ライサンダースピットファイアトム・ハーディが乗ってたやつです)などの航空機の専門的な描写はそっちの素養がないと「ほ、ほお…?」というわくわくというかちんぷんかんぷんの一歩手前というか絶妙な表情にさせる。

しかし、そうやって第1部で巧妙に仕掛けられた伏線が第2部で時限爆弾のように威力を発揮し、彼女がなぜこのような手記をしたためたのか判明したときの驚きは脱帽モノである。

本書は第1級のミステリー小説であり、スパイ小説であり、戦争小説である。そして物語の物語であり、その中心を女性の友情という確かな背骨が貫いている。とにかくよくできている物語だ。もっと早く読んでおけばよかった。またナチス強制収容所に捕らえられた女性パイロットを描いたローズ・アンダーファイアも刊行されたのでそちらも読んでみたい。おすすめです。

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本作の書影。創元推理文庫刊です。

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作者の新作、ローズ・アンダーファイア。もう一つの女性パイロットの物語らしい。

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クリストファー・ノーランダンケルク。本書と同じ時代のフランスが舞台だし、スピットファイアが超かっこいいです。

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デヴィッド・エアーのフューリー。こちらは戦車ですが。名作。

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テイストはだいぶ違うけど英国の女スパイ、そして友情と言えばプリンセス・プリンシパル。こちらは嘘がテーマ。おすすめです。