「元年春之祭」陸秋槎

 

以前、13・67の感想を投稿した際に私はこれからは中国系ミステリを目にする機会が増えていくかもしれない、なんてことを言った。13・67を読んだのが昨年末の大晦日であったから、その再会はとても早く訪れた。しかも、本作は二匹目のドジョウなどでは到底なく、まさしく帯に書いてある華文本格推理の傑作であったのだからその喜びは望外のものであった!

舞台は中国、時代は天漢元年(紀元前100年)。楚の国の山野にふたりの少女の姿があった。ひとりは長安の豪商の家の娘で一家の巫女として五経をはじめとするさまざまな古典に通じる博覧強記な才女・於陵葵。片やかつては国の祭祀を担った楚の名家・観家の末娘で才能に乏しい平凡な少女・観露申。ふたりは出会ったばかりであったが、姉妹のように打ち解けていた。

観家は春の祭祀の準備の真っ只中であり、一族の者が集まっていた。和やかな雰囲気で一族に受け入れられた葵であったが、観家には四年前に当主一家が鏖殺される事件が起こっており、不穏な空気が宴の底に流れていた。そんな中、葵の側で露申の叔母が殺されてしまう。不可解なことに過去と現在のどちらの事件においても犯人が現場から消え去っていた。そして、さらに殺人事件が続いていき…。

本書の非常に大きな魅力のひとつに舞台選びの特殊さが挙げられる。本作の時代は紀元前100年、中国の前漢時代、前漢の最盛期でもある武帝の治世のことである。これまでも現代以外を舞台としたミステリーは多くあった。日本の作品でも米澤穂信の折れた竜骨が12世紀のヨーロッパを舞台としていたり、夢枕獏空海を唐の時代の長安安史の乱について謎解きさせた沙門空海唐の国にて鬼と宴すなどがあるし、セオドア・マシスンの名探偵群像は古今東西の偉人を名探偵として描いている(アレクサンダー大王が登場してるらしいので本作よりさらに時代が100年は古い)。

これらの作品のなにが楽しいか、というとやはり現代ではありえない謎、ということに尽きる。しかし、歴史とミステリーの融合は確かに魅力的であるが、そのハードルは途轍もなく高い。現代とは違う風俗、価値観、宗教、科学的な知見。魅力的な謎という大荷物を背負ったままそれらの要害を越えなくてはならない。歴史小説を一冊も読んだことがなかった作者がそれでもこの時代を選んだのは「考案した真相がこの時代以外にぜったい成立できないから」だ。

では、作者がそれほどにしてこだわったものはなんだったのか。この作品を読んだ人が口を揃えて言うのはこの事件のホワイダニットの特殊性だ。作者がこの作品を書くきっかけともなった三津田信三は「ミステリ史上に残る前代未聞の動機」と評している。これがとにかく凄まじい動機なのだ。そして、この特殊な動機が成立するためには舞台はやはりこの時代でなければならなかった。並大抵の知識でできることではなく、その情熱には尊敬以外抱きようもない。

また、これだけ特殊な作りをしているにもかかわらず、その作品はあくまでフェアに作られている。すべての謎を解くカギは作中に散りばめられていて、2回にわたって挿入されている読者への挑戦においても作者から明言されている。

作中で度々引用される儒教道教などの知識も一見難解で取っ付きにくそうに見えるが、作中で説明される以上の知識は必要としないから漢文の成績が芳しくなかった私も安心して読めた。

次に特筆すべきが作品に登場する少女たちの関係性である。メインとなるのは主人公である葵と新たなる友人である露申、そして葵の侍女である小休。この三人の関係がとても込み入っている。

まず葵と露申。頭は良いが革新的でエキセントリックで典型的な天才型名探偵の葵と頭は鈍く保守的で情に篤い露申はホームズとワトスンのようなコンビとなっていくのかと思った。しかし、そのバックグラウンドはそんなに分かりやすいものではない。葵は長安という大都市に暮らす豪族で望むものはなんでも手に入る。しかし、家の巫女として期待されている彼女は人並みの幸せを手にすることもその才能を国のために活かすことも叶わず世に倦んでいる。片や露申は楚の片田舎から出ることも叶わず、なんの才能も持ち合わせておらず、才能に恵まれた姉たちに囲まれて孤独を深めている。才能に溢れ、あらゆるものを持っている葵を見る露申となんの才能を持たず考えず呑気に暮らしている露申を見る葵。そのふたりの視線はやがて険を含んだものへと変わっていき、ある事件を経て憎しみにも似たものとなっていく。

もうひとりの少女・小休も一筋縄ではいかない。エラリー・クイーンの愛すべき従僕ジューナのような立ち位置にいながらその独立性は皆無で、「じゃあ、お前は私が死ねと言えば死ぬのね?」「はい、喜んで死にます」みたいなことを平気な顔して言ってしまうくらい葵に心酔している。その態度がまた葵をイラつかせ、かなりえげつない仕打ちを受けることとなる。

とにかく三者三様にすれ違っているのだ。お互いがお互いに愛情を抱いていて、お互いを想い合っているからこそこのすれ違いが悲しく、物語に深い影を落とすことになる。

この少女たちが抱えた思慕、苦悩、コンプレックスは現代に生きる私たちにも通じるものがあり、胸に刺さる。

確かな実力を備えた華文本格推理小説という新たな流行の最先端。これを見逃す手はない。ぜひ手に取ってもらいたい一冊である。

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書影。中国人作家の作品はハヤカワポケミス史上初であるらしい。

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有栖川有栖の双頭の悪魔。学生アリスシリーズの長編は軒並み読者への挑戦が挿まれてるけれど読者への挑戦が二度も挿まれたのは本作のみ。大傑作。

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葵と同じ引用癖のある名探偵エラリー・クイーンとその愛すべき従僕ジューナ。角川版のイラストもいいですね。

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作者が本作を書くきっかけともなった三津田信三の厭魅の如き憑くもの。刀城言耶にとっての怪奇は葵にとっての古典と似ているのかもしれない。

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米澤穂信の折れた竜骨。12世紀のヨーロッパが舞台というだけではなく、魔法が登場する特殊ミステリでもある。

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最近、染谷将太主演で映画化もされた。完結までに18年くらいかかってる超大作。

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セオドア・マシスンの名探偵群像。登場名探偵はアレクサンダー大王ダ・ヴィンチリヴィングストン、クック船長にナイチンゲールなどなど。