「王とサーカス」米澤穂信

 

ナラヤンヒティ王宮殺害事件。2001年、ネパールの王宮にて王太子ディペンドラが国王ビレンドラを含む9人の王族を射殺し、自らも自殺した事件。この衝撃的なニュースによって世界各国から注目され、国民に激震が走り悲しみの底に落ちていたカトマンズにフリージャーナリストの太刀洗万智は偶然居合わせた。

 


眠りに落ちるきわ、いまがいつで、自分がどこにいるか不安にならないよう、まじないのように口にする。

二〇〇一年六月一日。カトマンズ。トーキョーロッジ二〇二号室。

わたしのくちびるは瞼と同じように重かった。だから呟きは、たぶん声になっていない。

 


愛知の新聞社を退社し、フリージャーナリストとなったばかりの太刀洗はネパールの観光事情を取材するべくカトマンズの下町にあるトーキョーロッジに滞在していた。そこで彼女はアメリカ人の観光客のロブ、日本人の破戒僧・八津田、インドの商人シュクマル、そして現地の土産売りの少年サガルと交流を深める。異国情緒あふれる街並で彼女は自分の仕事を淡々と進めていく。

しかし、王宮の事件が起きてしまう。記者人生の中でも最大のスクープを掴むチャンス。彼女は宿の女主人と知り合いの軍人から事件当夜の王宮の様子を聞くことに。だが、軍人から投げかけられた言葉は彼女をジャーナリストとして深く揺さぶる。自分は人の悲劇を娯楽に変えてしまうサーカスの座長に過ぎないのか。彼女は懊悩する。

王宮前での軍による民衆の鎮圧などを取材し、さらに深まる彼女の苦悩。そして、彼女は無惨な姿で息絶えた軍人と対面する。この男は自分が取材したことによって殺されてしまったのか。男の死と此度の王宮殺害事件は関連があるのか。そして、自分がこの事件を報道することの意味とは。太刀洗は限られた時間の中で自分の記事を完成させるべく調査を開始するが…。

本作は太刀洗が高校生だったさよなら妖精と彼女のフリージャーナリストとしての活躍を描いた真実の10メートル手前の中間点の時間軸の物語であり、さよなら妖精ではサブヒロインだった太刀洗を主人公に据えたベルーフシリーズの作品である。

まず最初に。とんっっでもない作品である。ハードボイルド小説のような描写でネパールという日本人に馴染みの薄い国の様子を克明に描き、実際に起きた王宮殺害事件を正確な時間経過で描写としていることは作者のこれまでの力量からして納得の出来であったが、それにジャーナリズムの抱える問題点に深く切り込みながら本格ミステリを共存させ、さらにさよなら妖精に引けを取らない深い悲哀を感じずにいられない圧巻のラストまでひた走る物語運びを完遂している。どこにも無理がなく、すべてが密に構成されている。作者が最高傑作だと自負するのも首がもげるくらい頷ける。

作中で太刀洗は、事件を報道することの意義と危うさについて絶えず自問自答している。時系列的に後の真実の10メートル手前においても彼女はこの命題と向き合っているが、この時点の彼女が抱く疑心はより曖昧で実感が伴っていない。

彼女が取材する軍人は彼女に「なぜ日本人のお前がこの事件を報道するのか。ネパールの恥とも言える事件をネパールと縁の薄い日本人のお前が」と問いかける。また「お前の記事は人に振りかかる惨劇を無責任な読者の娯楽にしてしまう」とも。

ミステリにおいて探偵が事件の真相を解明することの危うさは幾度となく言及されてきた。真実は必ずしも残された人を幸福にするものではない。彼女自身、さよなら妖精のとき友人の守屋が彼女たちの異国の友人が巻き込まれた事件とも言える状況の真相を解明するのを拒んだ側の人間だ。それはそうすることによって彼らが深く傷つくことを知っていたからだ。しかし、今度は彼女が真相を究明する探偵、ジャーナリストとして守屋と同じ側に立ってしまった。そして、彼女は高校生だったときに守屋に突きつけてしまった真実を暴かれる側の悲鳴をその身で受けてしまうこととなる。そのラストはとてつもなく深く、悲しい。

物語の冒頭に印象的な描写がある。

 


ガネーシャが商売繁盛の神だという知識はあった。いま、自分の商売について何か祈るべきことがあるだろうか。どうすればわたしの仕事は成功と言えるのだろう。

つまりわたしは、ガネーシャに何を祈るべきか、それさえ知ってはいないのだ。神頼みをするにも早すぎる。

 


彼女はこの事件で成功したのだろうか。それは彼女自身まだ掴めていない答えだ。

 

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書影。創元推理文庫刊。

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新米女記者が鉄屑捨て場に遺棄された女性の死体を調査する内にユダヤ人組織と相対することとなるジュリア・ダールのインヴィジブル・シティ。

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どことなくネパールっぽい異国でナルホドくんとオドロキくんが活躍する逆転裁判6。真宵ちゃんが3から久しぶりに登場する。サガルっぽい少年ガイドも出てくるし王族殺害事件も出てくる。王宮殺害事件をモチーフにしてるんじゃないかな。7はまだか!