「キッド・ピストルズの冒瀆 パンク=マザーグースの事件簿」山口雅也

 

山口雅也は私にとって他に変え難い特別な作家の一人である。彼のデビュー作である生ける屍の死は、死んだ人間が生き返る世界という死人に口なし、故に謎有り、という殺人事件の大前提を高らかに蹴っ飛ばした怪作であり快作であった。その衝撃はミステリを読み始めたばかりの私にとって計り知れず、こんなのアリなんだ!という読後の幸福感は未だに忘れられない。

そして、この度入手困難であった作者の代表シリーズが一気に復刊されることが決まった。その名はキッド・ピストルズ。本作はその第1作目である。

舞台は現実世界と少しだけ異なるパラレル英国。その世界ではシェイクスピアハムレットは喜劇であり、コナン・ドイルはホームズ第五の長編を書き、ジョン・レノンは暗殺されず、ポール・マッカートニーはステージ上の事故で死んでいる。社会情勢は劣悪なことは変わらないが、その内情はより深刻で、犯罪はより複雑で不可解なものが横行していた。警察機構はその事態を打開するべく警官の採用の門戸を広くしたが、結果として失業者、不良(パンク)や前科持ちまでもを採用してしまうことに。犯人逮捕のために拷問までをも平気でやってのける警察の威信は地に堕ち、市民は事件解決を探偵士と呼ばれる警察より捜査に優先権を持つ国家資格を持つ探偵に頼るようになり、法律によって首都警察(スコットランド・ヤード)は探偵士協会の下部組織とまでなってしまう。

主人公のキッド・ピストルズとピンク・Bはそんな嫌われ者のスコットランド・ヤードのパンク刑事。奇妙な服装と奇矯な振る舞いを見せる彼らは傲慢な探偵士たちの下働きをさせられながら、キッドの明晰な頭脳とピンクのネジの外れた行動によって探偵士たちが頭を悩ますナッツ(そんな馬鹿な)な事件を解決していく…。

本作の特徴のひとつの大きな試みがまず挙げられる。それはすべての話にマザーグースがモチーフとして取り入れられていることだ。マザーグースといえば英国で最も有名な童謡であり、キャロルのアリスの中に登場するハンプティ・ダンプティやロンドン橋落ちたなどの歌が有名だが、もうひとつの顔として、ミステリの演出道具としての顔がある。

マザーグースが登場する作品といえば誰がコマドリを殺したの?をモチーフにしたヴァン・ダインの僧正殺人事件と10人のインディアン(黒人)をモチーフとしたクリスティのそして誰もいなくなったが真っ先に挙げられる。他にも作者がクイーンに傾倒するきっかけともなった靴に棲む老婆など多くの作家がこの童謡を作中の殺人事件の核として物語を紡いでおり、ミステリの世界では最もポピュラーな歌と言えるかもしれない。

無邪気でシュールな不気味さもあるこの童謡は登場人物や読者の恐怖を煽る見立て殺人のBGMとして永らく歌い継がれてきたが、本作ではこの歌をただのお約束や添え物として使うのではなく、実に効果的に話の本筋に織り込んできているのが見事だ。そして、落語のサゲのように時にユーモラスに、時に物悲しく物語の幕を引く役も果たしたりもする。これにはマザーグースに縁の薄い日本人の私も舌を巻いた。

以下、収録作品に個別に触れていく。

◯「むしゃむしゃ、ごくごく」殺人事件…50年間一度も家から出なかった体重400ポンドの老婆が毒殺された。被害者の心の密室の謎を解くホワイダニットがユニーク。

◯カバは忘れない…殺された動物園の園長の側にはダイイングメッセージとペットのカバの死体が。キッドのパンクな人種差別批判にも注目。

◯曲がった犯罪…ゴミをアートにする芸術家のアトリエで1人の実業家の死体が石膏像として発見される。曲がった犯人の曲がった動機にキッドの怒りが爆発する。有栖川有栖激賞の一作。

◯パンキー・レゲエ殺人…人気レゲエ・バンドを襲う10人のインディアンの見立て連続殺人。ラストが綺麗。

そしてもう一つの魅力が破天荒な事件に負けないキャラクターだ。七色に染めたモヒカンを持つキッドはその見た目に反して頭脳明晰なパンク刑事であり、世間知らずの探偵士たちの足元の覚束ない推理をニヒルに笑い飛ばす名探偵らしからぬ名探偵っぷりがカッコいい。その相棒で壊滅的に常識が欠如したピンク・Bは捜査現場の物品ちょろまかしの常習犯だがそれが事件解決に繋がったり険悪な雰囲気の中でも空気の読めない愛くるしさを発揮していて作中の緩和材の役目を果たしている。他にもシャーロック・ホームズの隠し子と自称する(パラレル英国にはそんな探偵が3人はいるらしい)シャーロック・ホームズ・ジュニアのおじいちゃんは張り切って現場を仕切ろうとするが空回りばかりしていて愛おしい。今のところ、メインレギュラーはこの3人だがシリーズが進むにつれて他の名探偵に関連のあるキャラクターが登場するかが今から楽しみだ。

キッド・ピストルズの名前の由来になったであろうセックス・ピストルズの名はまだ作中に登場していない。このパラレル世界のピストルズはどうなっているのだろうか。案外シド・ヴィシャスは死んでおらず、解散もせずに元気にやっているのかもしれない。そうしたらWピストルズの共演とかもあったりするのだろうか。そんなことを考えながら次作のキッド・ピストルズの妄想を待っている。

 

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書影。光文社文庫刊。作者のエッセイ、インタビュー、解説まで収録された豪華版。

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死んだ人間が生き返るようになってしまった奇妙な世界の葬儀屋一族で巻き起こる連続殺人。自らも死人となってしまったパンクな主人公グリンと破天荒でキュートな恋人チェシャと事件に立ち向かう。最近完全版で復刊された。

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マザーグースをミステリ界のヒットナンバーにのし上げたヴァン・ダインの僧正殺人事件。

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クリスティの代表作のひとつであるそして誰もいなくなった。10体のインディアン人形が童謡とともに消えていく童謡殺人の代名詞。

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カバは忘れないの元ネタ。そう言えばクリスティ全作読んだKたんがオススメしてくれた5作くらいの内に入ってた。読んでみたい。

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横溝正史が「俺も童謡殺人書きてえなあ〜、でも日本にはそれっぽい童謡とかねえよなあ〜、じゃあ童謡ごと作るか!」と張り切った悪魔の手毬唄。名作。ちなみに獄門島も童謡の代わりに俳句を使った見立て殺人。