「鉤爪の収穫」エリック・ガルシア


男の子なら遺伝子レベルで無条件降伏してしまうようなものがこの世にはいくつかある。恐竜もその最たるもののひとつだろう。恐竜図鑑を見てそのスケールと造形のダイナミックさに胸打たれずに大人になった子どもがこの世にどれだけいるだろうか。そして、私立探偵。クレバーな頭脳とタフな肉体を持つ男の中の男。このふたつのかっこよさの象徴を前にしてその魅力に取り憑かれない男の子はいまい。そして、この世にはそんな男の子が涎を垂らして喜ぶ劇物劇物をクールな顔をして掛け合わせるとんでもない想像力を持った人間が存在する。その名はエリック・ガルシア。そして、彼が創り上げたのが恐竜探偵ヴィンセント・ルビオである。

隕石によって恐竜が絶滅しなかった世界。恐竜は二足歩行に進化し、人の皮を被ることによって人間社会に巧妙に溶け込み、強かに生き延びていた。LAで私立探偵を営むハーブ中毒のヴェラキラプトルのヴィンセント・ルビオは同じくヴェラキラプトルの大ギャングであるフランク・タラリコに雇われる羽目に陥る。馴染みの女探偵グレンダとマイアミへ飛んだルビオはタラリコ一家と対抗するハドロサウルスのデューガン一家のボスがかつての幼馴染のジャックであることを知る。思わぬ再会に旧交を温めるルビオとジャック。そしてジャックの妹でルビオと因縁のあるノリーンとも再会を果たすが、マフィア同士の抗争は着実にその勢いを増していき…。

まず二足歩行の恐竜の探偵、というトンデモ設定に驚かされるが、これが作者によって実に巧みに世界観を成立されていることにより驚かされる。二足歩行の恐竜が人間社会で活躍する、と言えば久正人のジャバウォッキーシリーズが思い出されるが、あちらが絵のかっこよさとスピーディな展開で説明されているのに対し(ステキ変装アイテムを作る発明家のブースロイドの手腕も大きい)こちらは文章の説明力を最大限に活かしてそれを補っている。そして、恐竜同士でさえお互いの種族を一目で見抜けない精巧な人の皮を被っている、という恐竜小説の趣を損ねてしまいそうな設定を恐竜特有の嗅覚によって恐竜描写をしているのが巧い。思い出の女恐竜の海水とマンゴーの匂い、嫌いな男の汗とナチョスの臭い、嘘を吐く男のプルーンの香り、寂れた街に漂うあきらめのにおい。読んでいるだけでこちらまで薫ってくるようなにおいの描写は実に豊富で芳醇で、ハーブ中毒(恐竜社会における麻薬)のルビオがいく先々で出会うハーブの描写も饒舌だ。これは素晴らしかった。

あらすじだけ見ているとトンデモ設定のなんちゃってハードボイルドのように見えるかもしれないが、本書は紛うことなき硬派な犯罪小説である。少しこの道を齧った人ならタイトルからピンとくるであろうが、本作はハメットの血の収穫を下敷きにしている。血の収穫はコンティネンタル・オプがとある地方都市で対立する犯罪組織の間で立ち回り、両者を壊滅させるアメリカン・ノワール小説であるが、作中本来常識人であるはずのオプが次第に凶暴になっていき(作中、オプ自らが血呆症と語る)、残忍な手段と謀略で登場人物を血祭りに上げていく。本書のルビオも初めは禁ハーブ生活中のダメ探偵そのものでありながら、犯罪組織の二重スパイとなり、抗争を通してマフィアの世界にズブズブとはまっていき、やがて自らもマフィアと変わらない残忍な凶竜になっていく。

読んでいる間にもう一つ思い出したのは馳星周不夜城シリーズの劉健一だ。健一もはじめは裏社会のケチな便利屋でしかなかったが探偵の真似事をして犯罪組織の間を渡り歩いている間にその有り様が禍々しく歪んでいき、シリーズの終盤では黒幕と堕していた。

ルビオと健一の共通点はかつての相棒と愛した女に雁字搦めとなって破滅していく姿だ。そして、この破滅を引き立てるのがかつての美しい思い出だ。青春小説を思わせるほど瑞々しくほろ苦いこの回想シーンは良い酒のようにじんわりと胸を焼く。

ルビオはこの事件の後にオプのように理性的な探偵に戻ることができたのであろうか。それとも劉健一のように悪党となってしまったのだろうか。その行方は今はまだわからない。その行く末を知るためにエリック・ガルシアにはぜひこのシリーズを発展させていってほしい。素晴らしい作品だった。おススメです!

 

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書影。いきなり3作目から読んでしまったから1作目から読み直したい。

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クールだが奥手なオヴィラプトルのガンマン・サバタと大酒飲みの女スパイ・リリーが歴史的事件の裏で大活躍!久正人のジャバウォッキーシリーズ。大傑作。続編のジャバウォッキー1914がもうすぐ完結する。さびしい。

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タイトルの元ネタであるダシール・ハメットの血の収穫。黒澤明の用心棒の元ネタ。ブルース・ウィリスラストマン・スタンディングの元ネタ。大傑作。

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和製ノワールの大傑作、馳星周不夜城シリーズ。金城武で実写化された。またこういう馳星周が読みたいなあ。