「入れ子の水は月に轢かれ」オーガニックゆうき


本作は早川書房が主催するプロにもアマにも門戸が開かれたミステリーの新人賞であるアガサ・クリスティー賞の第8回受賞作である。

ゲリラ豪雨によって知的障害を持つ双子の兄・潤を亡くした岡本駿。母子家庭で生活に困窮していた岡本家において潤の障害者年金を受給し続けるために駿は死んだ兄として生きることを母親に強要される。そんな生活に嫌気がさした駿は母親から離れ、誰も知り合いがいない沖縄に流れ着く。

那覇国際通りから一歩入った猥雑な商店街・水上店舗通り。かつて湿地帯だったガーブ川を丸ごとコンクリートで覆い、暗渠となったガーブ川の上にひしめく闇市の成れの果て。行く宛のない駿は通りに店を構える古参の鶴子オバアに拾われ、彼女の店舗の上で住み込みの従業員として働くことになる。そこには日がな一日釣りをしている中年フリーターの健さんが暮らしており、彼と意気投合を果たした駿はやがて鶴子オバアの店を譲り受け、水上ラーメンの店主となる。

無事にオープンを果たした水上ラーメンであったが、その第1号の客がオープン翌日に水死体として発見される。その客はどうやら詐欺師であることを会話から察した駿。その話を聞いた健がその水難事故が殺人ではないか、と独自に捜査を開始するもその裏には米軍やCIA、ベトナムの二重スパイ、琉球王など沖縄の暗部が蠢いており、その捜査の最中、第二、第三の水死体が浮かぶのであった…。

まず舞台となる水上店舗通りとガーブ川の存在感が面白い。水上店舗通りには戦後、米軍占領下で住む場所を奪われた人々がガーブ川の上に不法に闇市を形成するも、度重なる水害によって死者が溢れ、また元の地主と店舗の組合の争いが激化し、その収集をつけるために米軍が介入して現在の形となったというバックストーリーがある。その成り立ちには物語で登場するような深い陰謀があったかもしれない。見知らぬ土地ではあるが現地に縁がある作者の確かな描写によって行ってきたかのような没入感が味わえる。

そして、その水上店舗通りがユニークな主人公の造形と深く関わってストーリーを進めていくのが面白い。豪雨の最中、マンホールに流された兄の死に際と避難所でたまたま観たモンゴルのストリートチルドレンがマンホールで肩を寄せ合う姿が重なり合い、マンホールを見るとその情景がフラッシュバックし癲癇を引き起こすマンホール恐怖症になったという。しかし、水上店舗通りは川の上に建っており、その下には濁流が流れている。駿の暮らす店舗の裏にも米軍が敷設した謎の巨大マンホールがあり、彼の内心も穏やかではない。しかし、事件の核心はその暗渠の中にこそあり、不審死の謎も暗渠に秘められている。歴史的な謎も、トリックとしての謎も暗渠の中にしかないのだ。彼は己のトラウマと向き合いながら文字通り暗渠の中へと踏み出していく。その様子は冒険小説のようである。

正直、ガーブ川の独特な構造や沖縄の水脈事情を核にしたトリックはイメージが湧きづらく飲み込むのに苦心した。また文章もキャラ造形も習熟しているとはとても言い難く、かなり損をしている。良くも悪くも新人作家らしい熱意先行の作品と言わざるを得ない。しかし、限りなくユニークな力作であることは間違いない。水という人間にとって最も身近なものの恐ろしさを改めて見せつけられる。ごちゃごちゃとした沖縄のディティールも素敵だ(コーヒーのサイフォンで作るという水上ラーメンはぜひ一度食べてみたい)。そういう意味で作者の今後に期待したい。沖縄、また行きたいなあ。

 

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書影。作者の名前が目を惹く。私よりひとつ下の京大生らしい。すごいなあ。

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沖縄が舞台の矢作俊彦と司城士朗の犯罪小説・「犬なら普通のこと」。まだ積んだままだから読まないといけない。