「殺しのデュエット」エリオット・ウェスト


ロサンゼルスの中年私立探偵ジム・ブレイニーは秘書で恋人のベデリアとの映画館でのデートを楽しんだ後、駐車場にて麻薬の売人と覆面捜査官の撃ち合いに遭遇する。咄嗟の出来事に思わず拳銃を抜いて逃げる売人たちに発砲してしまった彼は売人を殺してしまう。一躍誌上の英雄となった彼のもとにこの事件が引き金となったかのように高名な富豪のコルビーから事件の依頼が入る。離婚して家を出たコルビーの元妻の行方の捜査を依頼されたジムは部下のドンとベデリアとともにラスベガスで容易く元妻を発見するがコルビーの本当の目的は、元妻がコルビーから奪った100万ドルのダイヤの奪還であった。報酬は15万ドル。ケチな私立探偵としては目がくらむ破格の報酬だ。しかし、コルビーの元妻の現在の夫ガンナーはギャングのボスであり、これまでの仕事とはわけが違う。迷いながらもラスベガスへ乗り込むことを決めたジムたちであったが、彼らを待ち構えていたのは不気味な脅迫状と暴力の魔の手であった…。

本作はハードボイルドの名訳者にして専門家でもある小鷹信光が編集した河出書房のアメリカン・ハードボイルドシリーズの第9巻に当たり、先行の作品にハメットのマルタの鷹やチャンドラーのベイ・シティ・ブルースなどが上梓されている。私はエリオット・ウェストという名前を知らなかったが、小鷹の解説によると彼はル・カレと比肩されるようなスパイ小説畑の人間であったようで、私立探偵小説は本作一作だけという人物であったらしい。小鷹はその姿勢を潔いと語っているが、私も同じ感想を抱いた。そして、本作が初の私立探偵小説とは思えない完成度を誇っている。

主人公のジムは50歳になろうかという中年の私立探偵で、離婚した妻との間に2人の娘がいる。そして現在は事務所を開いた日に広告を見て応募してきたという25歳のベデリアと運命的な結びつきをもって愛を交わしている。しかし、彼は前途溢れる彼女が老いゆく自分と時間を浪費していることに悩み、別れを切り出すタイミングをうかがっていた。そんな彼が売人を射殺してしまったことをきっかけにこの一連の金と血に塗れた事件に呑まれていくこととなる。

作中でもジムと血気盛んな若き探偵ドンとの間に印象的な会話がある。

 


「問題は、われわれが今までの探偵からマルタの鷹を探す命知らずの三人になっちまったってことだ。それも、全部アドリブでやるしかない。細かい計画なんか立てようがない」

「だれかが突破口を見つけるまで、動きようがない」

「ジム、一度でもやりそこなったら一巻の終わりだな」

「それだけは覚悟しておく必要がある」

 


ここで触れられているマルタの鷹と言えばハメットが生み出し、ハンフリー・ボガードが演じた名探偵サム・スペードが追い求めた宝物のことだが、この鷹の争奪戦の最中、何人もの男が命を落とす、探偵たちにとって曰く付きのアイテムだ。ジムたちもこのストーリーを知っていながらも、大金を手にしたらどうするか、と考えることをやめられない。ジムは娘の大学の学費を払ってやりたいし、ベデリアはジムとボートで旅をしたいし、ドンは困窮の縁に立つ母親のために使ってやりたい。正常な正義感に溢れた市井の探偵だったはずの彼らが大金を前にこれまでの自分たちの仕事とは扱う内容も規模も違うと尻込みしながらも大金の魅力に抗うことができず、なし崩し的に危うい方向へとハンドルを切っていってしまう様は実にスリリングだ。

本書の原題のThe Killing Kindとは「時として、人を殺すことのできる人間」という意味ではないか、小鷹は考察している。この意味を踏まえて本書のラストを読んでみると誰がこの人間に当てはまるのか。それを考えるととても哀しい。

哀しい結末を迎えた彼らだったが、希望が持てる明るいエピソードも用意されている。人生も物語もいいことばかりではないが、もちろん悪いことばかりでもない。そう感じさせてくれる物語のラストのある人物の台詞で締めたいと思う。

 


「このことは最初は事件記録みたいにはじまったけど」彼女はいった。「でも、最後は宗教パンフレットみたいに終わったわ」彼女は笑いだした。「本当になんてことでしょう。〈ディズニーランド〉なんて!」

 

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書影。裏表紙にはチャンドラーのプレイバックから「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」の名文句が引用されている。

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同シリーズよりハメットのマルタの鷹。有名な「そいつは夢でできているのさ」って台詞は映画オリジナルのもので原作にはない。