「水魑の如き沈むもの」三津田信三


「偉い不可解な状況でな、過去に人死にが出たという雨乞いの儀が、どうやら数年ぶりに奈良の山中の村で行われるらしいんや」

 


物語は怪奇幻想作家である主人公・刀城言耶の先輩であり、京都の由緒正しい神社の跡取りでもある在野の民俗学者阿武隈烏によってもたらされたこの一言から始まる。奈良県の奥深くに存在する波美地方にある四つの村には“水魑(みづち)様”と呼ばれる水神を祀る風習が残っていた。水魑様は沈深湖と呼ばれる湖に住まい、そこから流れる川に沿って四つの村が拓かれていた。四つの村にはそれぞれ神社が存在し、神社による水利組合が設けられ、川の番水を担当するだけでなく、旱魃のときは雨を乞うたり、逆に嵐を晴れさせたりする神事を持ち回りで担当することで力を持っていた。

全国の民俗風習、奇祭に目がない刀城は、女編集者の祖父江偲とともに現地へ赴こうとするが、阿武隈が語る神事にまつわる人死にエピソード、水魑様の全貌や村に伝わるさまざまな怪異に惹きつけられ、呑まれていく。阿武隈の代理として波美の地を訪れた刀城と祖父江のふたりは、やがて沈深湖で執り行われた神事の最中に神に神饌を捧げる神男が殺害される事件に遭遇する。しかし、神男が乗った船は衆人環視の中にあり、湖全体が密室となっていた。その状況は13年前の神男が死亡した神事と状況が酷似しており…。

まず死体を転がせ、とはミステリの作劇においてよく言われることである。読者を物語に引き込むにはまず魅力的な謎、その最たる殺人事件をぶち上げてしまうのが手っ取り早い、という言説だ。しかし、作者の刀城言耶シリーズにおいて、その言説は当てはまらない。なぜなら、このシリーズはミステリとしての顔以外にもう一つの顔があるからだ。

それは怪奇ホラー小説として顔である。怪奇幻想作家である刀城は、自分の知らない怪異のこととなると我を忘れて周囲の目を気にせずに頭の中身をまくし立ててしまうような怪異オタクで、全国津々浦々、彼の食指が動く怪異を求めて旅をしている。そこで彼は殺人事件に遭遇するわけだが、物語は最後の最後までその犯行が人の手によるものなのか、それとも人ならざるものの仕業なのか、ミステリなのかホラーなのかわからないまま進む。そこが面白くあるわけだが、故にホラー小説として常道である、怪異の得体の知れなさ、人知を超えた存在である描写の積み重ねに重きが置かれる。

今回も我々に未知の土着神である水魑様やその神を祀る儀式、それを執り行う四つの村の成り立ちに膨大な紙幅が割かれている。そして四つの神社に所属する登場人物も多く、とにかくまあ、事件が始まらない。死体が転がらない。しかし、積み上げられていく描写に冗長さはなく、どんな事件が起こるのだろうとギリギリまで引き絞られていく弓の弦のような緊張感の高まりが心地よい。魅力的な謎から物語のスタートラインを切り、そのまま走りきる作品も楽しいが、引き絞られた弦から放たれる謎の軌跡も美しい。

このシリーズの特徴にもう一つ、刀城言耶の推理スタイルがある。刀城は閃き先行の天才型探偵ではない。事件の中で浮上した謎を全てリストアップし、消去法に消去法を重ねて、すべての可能性への思考を巡らせる。「◯◯さんにはこの条件からは犯行は可能です。でもこの条件に当てはまらないので捨てます!」とコーヒーを入れる藤岡弘、隊長の如く何杯も抽出された推理を捨てていく。素人には「ああ勿体無い!」と思うような推理であっても、この後にやってくる極上の一杯への期待感がそれを上回る。今回も二転三転に留まらない思考の広がりの果てに射抜かれた犯人は私たちの想像を超えた存在であった。

今作は第10回本格ミステリ大賞を取ったシリーズの集大成である。そして、これまでも物語に登場していた祖父江偲が本筋に大きく絡むことによって、刀城の奇人さを引き立てるコメディ描写を膨らませただけでなくホラーとしての側面も補強しているのが上手いと思った。個人的には厭魅や首無の如きの方が好きだったが、十二分に楽しませてもらった。おススメです!

 

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書影。薄ら寒くなるような美麗な挿画を手がける村田修は津原泰水実弟である。

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同じく民俗学と土着宗教についての謎について描いたミステリである清水朔の奇譚蒐集録。続編がありそうなので続きを待ってる。