「旗師・冬狐堂 一 狐罠」北森鴻
私に好きな漫画を5作挙げろ、と言ったらいついかなるときも必ず挙げる作品にギャラリーフェイクがある。どれくらい好きかというとアニメ放送でハマって以来コンビニ版コミックを一度購入して読み込んだのにも関わらず香川に引っ越した際にもう一回コンビニで買い揃えてしまったことがあるくらい好きだ。
ギャラリーフェイクと言えば元メトロポリタンのキュレーターであり、天才的な美術品修復技術を持つ男・藤田玲司が贋作専門の画廊を営む裏で、表の世界から消えてしまった真作やさまざまなアートと出会い、真の美について追究していく物語である。漫画版もいいがアニメ版もいい。特にOP曲である勝手にしやがれのラグタイムは名曲だ。オススメです。
なぜこんなにもギャラリーフェイクの話をしてきたかというと、この物語も贋作が大きなファクターとなっているからだ。そして、主人公・宇佐美陶子もフジタに劣らぬ強かな美術商である。
店舗を持たず、市場で仕入れた骨董品を同業者や顧客に販売する“旗師”と呼ばれる骨董業者の宇佐美陶子。冬狐堂の若き女主である彼女は近頃勢いに乗り、業界では女狐と呼ばれ一目置かれるようになってきた目利きであった。しかし、ある日、銀座の化け狸と悪名高い橘薫堂の主人・橘に贋作の唐様切子紺碧碗を掴まされてしまう。プロの目すら欺いてしまう「目利き殺し」を仕掛けられたことに愕然とする陶子であったが、同じ「目利き殺し」を仕掛け返すことによって橘薫堂に意趣返しを図ろうと動き出す。元夫で芸術大学教授のDの伝を辿り、贋作家を探し出すが…。
一方、橘薫堂の外商として働いていた女性が殺害され、スーツケースに詰められ捨てられているのが発見される。死体の様子には不可解な点があり、その女性が陶子について調べていた資料が見つかったことから警察の捜査が陶子にも伸びていくこととなる。陶子は橘薫堂を騙し返すことができるか。そして、殺人事件と今回の騒動の関係とは…。
まず作者の手によってもたらされる目利きの世界への引力が凄まじい。
本作では誰もが知るような西洋絵画などではなく、日本の焼き物や蒔絵など私たちに馴染みの薄く、系統や型が膨大にある素人には一見とっつきにくいと感じる分野を扱っている。さらにそこに市場の全くご存知ないローカルルールや隠語が満載のやり取りに置いてきぼりにされるかと思いきや、全くそんなことはない。
まるで出来のいいドキュメンタリーを観ているかのようで、どんどんとその知らない世界を知りたくなるように餌が撒かれていき、やがてその巧みな筆致にどんどん前のめりになっていく。
特に中盤で陶子が市場にて競りをコントロールし、過熱させていくところは痛快だった。私は学生のときに古美術品のオークションのバイトをしたことがある(中国人のお金持ち相手のオークションだから本作のような玄人と玄人のヒリつくデッドヒートみたいな繊細な感じではなかったが)のだが、あの競りの盛り上がりを文章として再体験できたのには、興奮した。
また美術界における贋作の存在感についての描写も見事である。なぜ詐欺に他ならない贋作が目利きの世界では駆逐されることなく、魔力のようなものを帯びて生き続けているのか。ファン・メーヘレンからエルミア・デ・ホーリーといった実在の贋作者やフェルナン・ルグロのような贋作を売り捌いた画商(被害にあったのは日本の国立西洋美術館である)にも触れながら、克明に説明されている。
歴史に存在しない贋作を創り出す贋作家の造型も見事だ。現代の科学鑑定を欺くために日本中を飛び回り材料を調達し、工程の一つひとつに細心の注意を払って時代そのものを取り込んでいく。日本の刀工・三品広房は一時期、古刀の写しを打つ言わば贋作家であったが、その切れ味はオリジナルを上回り、やがて子孫が本物の刀工として認められたという話があるように、優れた贋作家ほどその技巧は真作に肉薄、あるいは超越すらしてしまいかねないほど神がかったものとなる。本作に登場する贋作家も鬼気迫った雰囲気を纏っており、彼ひとりで物語を作れてしまいそうなほど魅力的であった。
もうひとつ、旗師という特異な職業を主人公に選んだことが物語を面白くしている。
ギャラリーフェイクのフジタのように店舗を持つ者が箱師と呼ばれるのに対し、陶子は店舗を持たない旗師と呼ばれる美術商(骨董商)である。旗師は骨董業者たちが開く市場へと通って商品を競り落としたり、旧家に眠るお宝を探して行脚したりしている一匹狼的なスタイルだ。
頼るべきものもなく、おのれの力だけで、ときには汚い手段を用いてでも世を渡っていかなくてはならない。解説の阿津川辰海も触れていたが、本作はハードボイルド小説でもあるのだ。私も陶子の行動理念はハードボイルド小説に登場する私立探偵の文脈と非常に近しいと感じた。
目利きの世界は騙された者が弱者であり、黒を白と信じ込ませた者が強者である。この弱肉強食の目利きの世界としばしばおのれの流儀に従った行動が是とされるハードボイルドの世界は食い合わせがかなりいい。
また本格ミステリとしての拵えも抜かりない。冬狐堂VS橘薫堂の騙し合いの頂上決戦ともうひとつの柱として女性骨董商の殺人事件の捜査が同時に進行する。身に覚えのない事件であるにも関わらず、自分が事件の中枢にいることから疑心暗鬼になってしまった陶子。彼女が現在の事件から過去に目利きの世界へ起こった事件へと引き込まれていく展開は非常にスリリングだった。
ハードボイルドに立ち振る舞う女旗師、目利きのプライドを賭けた騙し合い、命を削って作品を産み出す職人芸、謎が謎を呼ぶ殺人事件、欲望渦巻く美術界、と盛り盛りにエンタメを詰め込んだ快作であった。本作の作者の北森鴻は10年前に亡くなってしまっているが、この旗師・冬狐堂シリーズは先月から毎月一冊ずつのペースで全四巻が復刊されている。私も二巻の狐闇を買ってきた。今がハマりどきだと思う。オススメです。
書影。解説は紅蓮館の殺人の阿津川辰海。二巻の狐闇も絶賛発売中。
ご存知・ギャラリーフェイク。全然知らなかったけど最新35巻が昨日発売だったんだって。今知った。買います。
アニメ版ギャラリーフェイクのOPの勝手にしやがれのラグタイム。勝手にしやがれの曲はめちゃんこかっこいいからオススメ。
女性が主人公でハードボイルドと言われていちばんに浮かぶのがサラ・パレツキーのV.I.ウォーショースキー。犯人を空手チョップでシバく。面白い。表紙が江口寿史。
同じく女性がハードボイルド作品であるS.J.ローザンのリディア・チン&ビル・スミスシリーズ。なかなか出会えないから古本屋で出会う度にちまちま集めてる。未読だけどゴーストヒーローはアートの話らしい。読みたい。