「仮名手本殺人事件」稲羽白菟


この読んだ本の感想をブログにあげるようになって1本目の感想が本作の前作にあたるの合邦の密室であったが、そのときわざわざブログを読んでコメントまでしてくださったのがその作者の稲羽先生であった。その後、何度かツイッター上でお話させていただくうちに私の母校の先輩であることがわかったり(有栖川有栖先生の母校の隣の学校である)、とにかく思い入れが半端ない作品である海神惣右介シリーズに待望の二作目が発売されたのでさっそく読んでみた。

大阪の文楽三味線方の冨澤弦二郎は、閉場まで残り数ヶ月に迫った歌舞伎座で行われる上方歌舞伎の名門・芳岡家の早逝した御曹司・七世天之助の追善公演である『仮名手本忠臣蔵』に招待され、劇場へと足を運んでいた。劇場において人目を引く芳岡家とその周囲の華々しい面々であったが、その裏側では本家と分家の因縁を巡る水面下の攻防があった他、蝙蝠のような痣を顔に持つ男が芳岡家との過去の因縁をチラつかせ迫っていた。

古来からのしきたりで客席の出入りが一切禁止される『通さん場』の最中、舞台の上では歌舞伎界のプリンスである当世天之助の好演が光り、芳岡家頭領の仁右衛門が圧巻の芝居で客を魅力していた。しかし、その直後、舞台袖で役者が血を噴き、急死する。騒然とする会場の中、蝙蝠の痣の男が姿を消し、そして客席には謎のカルタが三枚残されていた…。

前作で弦二郎とその親友の劇評ライターの海神は大阪文楽劇場から端を発した文楽に由来する事件の謎に迫っていったが、本作は歌舞伎がテーマである。

劇場で殺人事件が起こる作品と言えば、まずエラリー・クイーンのローマ帽子の謎が思い起こされる。本作もローマ帽子と同じく劇場の上面図が冒頭に用意されている。これはミステリ読みには嬉しい冒険の地図だ。

またクイーンのローマ劇場ではアイスの売り子などが劇場の密室証明に一役買っていたが、歌舞伎座の劇場を密室たらしめていたのが実在の仮名手本忠臣蔵に実在する『通さん場』という一風変わった習慣であるというのが面白い。

そして、横溝正史二階堂黎人の作品のように由緒ある一族の入り乱れてた相関図と悲劇めいた愛憎劇。そして江戸川乱歩作品のような醜い容姿の怪人物の内面に秘められた情念。これらの先達の作品のエッセンスにライフワークのように日本伝統芸能に触れている稲羽先生の膨大な知識が合わさり、実在しない歌舞伎の一族の歴史を現実に存在するかの如く違和感なく構築し、それに実在の歌舞伎の演目を組み合わせ、謎を組み上げていく手際の鮮やかさ。脱帽であった。

海老蔵一家の特番くらいでしか歌舞伎に触れない私のようなズブの素人にもよくわかるように丁寧に説明されているので迷わず先へ先へと進める。歌舞伎を知らなくてもこれだけのめり込めるのだから、実際の歌舞伎座に行ったことがあったり、仮名手本忠臣蔵を観たことがあったりする人が読んだらどれだけ楽しいのだろうか。また、そういう少し歌舞伎に通じている人たちにも歌舞伎座の楽屋の様子など裏側の事情も窺えて、楽しいだろう。

また、前作から引き続き探偵役を引き受けた海神惣右介は前作でもその穏やかで知性的な振る舞いで悲劇に囚われてた人に真摯に向き合い、秘密という名の密室を解き明かしたが、本作では打ち解けた人々と小旅行のような道行きもあり、お茶目な一面なども窺わせ、彼の魅力の解像度がより上がったように感じた。というか、彼ほど尋問する人にストレスを与えない探偵もなかなかいないんじゃないだろうか。関係者に対して、「ご信頼に相応しい振る舞いを、必ずお約束いたします」と答える姿も誠実的で頼もしい。

前作では大阪府文楽への助成金カットとともに描かれていたが、本作は歌舞伎座の閉場が作品の中でとても印象的には描かれている。私は建て替わる前の歌舞伎座に行ったことはおろか実際に見たこともない。しかし、本作では以前の歌舞伎座の座席表が用いられ、そこで生きて職務に勤めた人々が描かれており、旧歌舞伎座の鎮魂歌のように感じられた。稲羽先生も傑作と自薦されてたけど、間違いなく傑作だった。オススメです!

 

f:id:gesumori:20200310004151j:image

書影。写真では見づらいけどスピンの色が緑色で表紙の黒色とともに歌舞伎に因んだ色使いになっていて、手が込んだ美しい装丁である。

f:id:gesumori:20200310004415j:image

クイーン親子が活躍する国名シリーズの第1作であるローマ帽子の謎。劇場で毒殺事件が起こるのは本作と共通している。

f:id:gesumori:20200310005033j:imagef:id:gesumori:20200310005326j:image

f:id:gesumori:20200310005629j:image

横溝正史だったら悪魔の手毬唄が一番好きだけど、加藤シゲアキ悪魔の手毬唄もなかなかよかったよね。あと池松壮亮の犬神家も超よかった。

f:id:gesumori:20200310005056j:image

本作では蚕と繭が印象的に登場するが、個人的に蚕がちょっとトラウマになってるのは当て屋の椿の蚕の家のエピソードのせい。お江戸エログロティックミステリー。