「魔眼の匣の殺人」今村昌弘


前作、屍人荘の殺人は2017年の顔だった。鮎川哲也賞にて大賞を得たのを皮切りに、このミステリーがすごい!にて国内編1位、週刊文春ミステリ・ベスト10国内編1位、2018本格ミステリベスト10国内編1位、本格ミステリ大賞小説部門受賞などデビュー作にもかかわらず破竹の勢いを見せた。そして神木隆之介浜辺美波中村倫也という本気のキャスティングにて実写映画化も決まった。公開されればさらにミステリ読み以外の認知度が増すだろう。一部書評では刊行されたときは「十角館以来の衝撃」とまで言われた。

たしかに斬新な作品だった。ミステリと○○○(いまさらかもしれませんけどね)の融合という着想、その奇想から出現するクローズドサークル、その反面堅実なトリック、エンタメ映えする大立ち回り、そして悲劇と希望が同居するラスト。どれをとっても申し分ない大作だ。しかし、私はその波から少し遠いところでその盛り上がりを見ていた。

確かに面白い。確かによくできている。しかし、青い。登場人物の吐く台詞や行動がとにかく青い。それに少し引っかかってしまったのだ。デビュー作なんだし仕方ないかもしれないけど一度つまづいてしまったらそこから無邪気に盛り上がり切れなかった。かつての新本格の旗手となった現在の大御所たちが同じ批判を受けていたのを知りながらだ。

そして、もう一つ。作者は優れた次作を書くことができるのか、という疑念だ。どんな凡人でも生涯に一作は畢生の大作を書くことができる、なんてことを言う人がいる。インタビューにてミステリに詳しくない、みたいなこと言ってたし、何よりあんな奇跡みたいな奇怪な状況を今後も生み出せるのか。

長々とグダクダ書いてきたが、結論から言おう。

 


すべて杞憂だった。

 


なんだこれ。めちゃくちゃ面白いじゃねえか。誰だよ。作者は優れた次作を書けるのか、とか言ったやつ。俺か。殺すわ。ほんとうにすいませんでした。私がすべて間違っていました。

とにかく前作で感じた引っかかりは一切霧消し、文体もキャラクターの造型も格段にブラッシュアップされていた。そして前作を遥かに上回る魅力的な舞台、状況、事件。最高としか言いようがない。とにかく作品の中身に言及していく。

夏の婆可安湖での事件から時間は過ぎ、冬、神紅大学。ミステリ愛好会の葉村譲は剣崎比留子にひとつの記事を見せる。それはオカルト雑誌に掲載された予言について記事であった。編集部に送られてきたという手紙には大阪で起きたビル火災、そして婆可安湖で起きた事件を予言していた。さらに届いた手紙にはとある人里離れた村にてM機関なる組織が超能力実験を行なっていたという内容であった。

M機関。葉村と比留子には夏の事件の背後にいた組織の名が浮かぶ。比留子は知人の探偵の調査によって、その研究所があった地が好美という地域であることを掴む。犯罪を引きつけ、人を傷付ける己の体質から単身調査へ赴こうとする比留子であったが、彼女を危険な地へ単身乗り込もうとするのを良しとしない葉村はその調査に同行する。

村へと向かうバスの車中、ふたりは奇妙な二人組の男女の高校生を観察していた。すると片方の女子高生が突如として猛烈な勢いでスケッチを始め、そのスケッチが完成した直後、バスは急停車した。原因は猪が路上に飛び出したからであったが、偶然比留子が女子高生のスケッチブックを覗き見たものは車に轢かれる猪の死体のスケッチであった。

高校生たちと目的地である好美の村を目指すが、その道は封鎖されていた。封鎖を越えて村に入ると住民は一人もいなかった。村を捜索するとガス欠で立ち往生していたバイカーの青年、村の出身で墓参りに訪れた派手な女性、車の故障で同じく立ち往生した偏屈な大学教授とその幼い息子がいた。彼らと底無川と呼ばれる谷川の向こうにある真雁という地域へ向かう。そこにはコンクリートで出来た件の研究所、地元の人々から畏怖を込めて『魔眼の匣』と呼ばれる施設があった。

そこにはサキミと呼ばれる老いた女預言者とその世話係の女性、さらにオカルト雑誌の軽薄な編集者がいた。サキミと面会すると彼女は「2日以内に真雁の地で男女が4人死ぬ」という予言を一同に告げる。そして、予言の始まりを告げるように真雁と下界を繋ぐ唯一の通路である橋が落ち、彼らは施設に閉じ込められてしまう。そして、第1の死者が唐突に彼らの元に出現する…。

前回のテーマはネタバレ厳禁の封がされているためあらすじにすら書けないが今回のテーマは予言である。これはあらすじにも書いてあるから大丈夫。しかし、前作のテーマである○○○が身も蓋もない言い方をするなら他の要因でも代替可能である要素があるとするならば、今回はそうではない。クローズドサークルの内部の人々が予言が実現するかもしれない、という信仰あるいは恐怖を抱いて行動し、そして「男女が4人死ぬ」という状況でなければならない、という縛りはこのサークルの中でしかありえないホワイダニット、フーダニットを産んでいる。そう、魔眼の匣は私が愛して止まないクローズド宗教施設なのだ。私は以前、クローズド宗教施設にはそのサークルの中でしか生きられない情緒や論理がある、と書いた。本作の宗教施設(今更だけどこれは便宜的な呼び方で実際に宗教である必要はないし匣も宗教施設ではない)も間違いなくそうである。

そして、中にいる者のみに作用する特殊なルールが存在するガラパゴスである宗教施設の中でのみ独自進化を遂げる論理と心理はそれを育む環境がなによりも重要だ。作者はその点、実にうまくやっている。ダチョウ倶楽部くらいの勢いで脱帽してしまうくらいに。

以下、多少ネタバレ。

 

 

 

私が舌を巻いたのがこの作品に予言者を2人登場させたこと。「男女が4人死ぬ」という大きな枠組みの予言の下に個々の事件の予言を組み合わせることで予言に縛られて行動する人々の描写に厚みを持たせているが、これを一人の人間が行うには作劇上非常にそのキャラに無理を強いると思う。しかし、もうひとりの予言者を登場させることによってその負担を軽減し、さらに登場人物に与える情報を制限していく。めちゃくちゃ考えられてると思う。

そして、前回の個人的ネックだった比留子さんのキャラ造形がより深化、洗練されていたようにも思う。彼女は有栖川有栖の江神二郎のように能動的に推理を披露するタイプではない。彼女の行動理念はあくまで自衛のための推理であり、必要がないのであれば決して名探偵、皆を集めて、さて、と言い、なんてことはしない。

しかし、今回のこの特殊な状況において彼女はどうしても推理を披露せねばならなかったのであり、彼女が劇中に取ったある行動も、やはりこの状況でなければ違う選択をしたことだろう。彼女もまたこの宗教施設の信仰に縛られていたのだ。そして、彼女の信義を捻じ曲げ、「これはミステリの解決編じゃない」と言った先に行き着くラストは、途轍もなく哀しい。

 


とにかく化けた。というのが偽らざる感想だ。私ごとき衆愚が抱くちっぽけな疑心などやすやすと粉砕した作者の豪腕にはとにかく畏敬の念しかない。次作の構想が早くも固まっているような引きで終わった本作。一刻も早くその物語が読みたい。こんな作品を読みたくてミステリ読んでる、と思えるくらい本当に面白かった。ミステリ専門用語も丁寧に説明してくれているし、未読の人には前作から手に取ってもらいたい。本当にオススメです!

 

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書影。綾辻行人のAnotherの表紙や冲方丁のはなとゆめの挿絵を手がけた遠田志帆の表紙が美しい。

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前作。いろいろ言ったけどこっちも間違いなく面白かったんだ。映画が楽しみ。漫画化もするらしい。

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作者も好きだと言っていた有栖川有栖の学生アリスシリーズ作品の中でもクローズド宗教施設なら女王国の城だと思うけど、ラストの構図はこちらが強烈にフラッシュバックした。大傑作。

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映画版で葉村くんをやるであろう実写映画化界の神、神木隆之介。安心感がすごい。

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映画版で比留子さんをやるであろう実写映画化界の神、浜辺美波。阿知賀編でしか観てないけど。安牌だと思います。

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映画版で明智先輩をやるであろう中村倫也闇金ウシジマくんの洗脳くんくらいしか思いつかないけどいいと思います。