「ジェリーフィッシュは凍らない」市川憂人


クリスティのそして誰もいなくなった。そして綾辻行人十角館の殺人。その共通点はクローズドサークルにおいて臨場した登場人物がひとりずつ殺害されてしまい、容疑者が誰もいなくなってしまうという不可解な状況。閉じられた環境の中で犯人はその中にいるはずである。しかし、作者によって巧妙に隠された犯人の魔の手に読者は欺かれ、「犯人は…誰もいない…?」となってしまう奇妙な読感。そして特に十角館においては〝あの一行〟とさえ言われる鮮やかに見えない犯人を浮かび上がらせる極上の妙手。その快感に憑かれたフォロワーを数多く産み出してきた偉大な2作に追随し、並び立つ作品が鮎川哲也賞から現れた。それが本作、ジェリーフィッシュは凍らないである。

現実とは違う科学技術が発展したパラレルワールドのU国。特殊技術で産み出された小型飛行船ジェリーフィッシュ。航空機の歴史を転換させた新技術を発明したファイファー教授とその教え子を中心とした5人の研究者たちは新型ジェリーフィッシュの試験飛行を行っていた。しかし、新型機は突如としてコントロールを失い、吹雪の雪山に不時着する。脱出も叶わず、救出を待つ乗組員たちであったが、その最中、ファイファー教授が毒殺される。犯人は自分たちの中にいるのか。それとも外部犯の仕業か。疑心暗鬼に陥る彼らを嘲笑うように凶行は続く。

一方、A州フラッグスタッフ署刑事課のマリア・ソールズベリー警部と九条漣刑事の2人は雪山の中でジェリーフィッシュが炎上しているという通報を受けて、現場へと向かう。断崖に囲まれた窪地の中で燃え尽きたジェリーフィッシュの中に残された死体の中にはバラバラにされたものが混じっており、これがただの墜落事件ではなく、殺人事件であることを確信する2人。敵国の工作員の介入か、それとも被害者たちの中に存在する秘された動機が引き起こした内部抗争なのか。しかし、捜査を進めていくうちにどちらの可能性も壁にぶつかってしまい…。

正直な話、本作について語れることは少ない。それは本作が練りに練られた作者の計算によって読者を欺くための仕掛けが満ち溢れた構造になっているからで、迂闊にあちこち触れてしまうとこれから読む人に要らぬ予断を与えてしまいかねないからだ。そこで、私は登場人物、特に探偵サイドについて話したいと思う。

ミステリを読む人の中でも色々な楽しみ方があると思うが、事件そのものの緊迫した状況の推移をストイックに楽しむ人か、それを解き明かす人たちの思考や行動を楽しみ萌える人か、という楽しみ方の違いはあると思う。私はどちらかといえば後者だと思う。本作はどちらの人にも楽しめる造りになっている。

本作は三つのストーリーラインが存在する。ひとつはひとりの男性がひとりの女性との思い出を語る過去の物語、そして今まさに進行する惨劇の最中を描いた現在の物語、さらに起こってしまった事件を捜査する後日の物語。現在の物語はストイックに事件に向き合う人にとっては最高の餌場だろう。しかし、私のような人間からすればそのパートが長いと息が苦しくなってしまう。そこで後日の物語を担当するマリアと漣の2人の刑事の登場である。

マリアは赤毛の派手な容貌が目を惹く美人でありながら、壊滅的な生活能力と身嗜みによってそれを台無しにしている残念美人。さらに学校の成績も残念で、理系の現場でその方面の知識の欠如が捜査中に露見しては周りの人を呆れさせる。その相棒の漣はJ国人の典型的な部分を超えて杓子定規な真面目人間で、マリアの心を辛辣な評価で大幅に抉りながら彼女を公私に渡ってサポートする近年稀に見る優秀なワトスン役。この2人のやりとりが作品全体の清涼剤となり、さらに理系の落ちこぼれ読者と理系世界の橋渡しとなる潤滑油となっていて素晴らしい。しかし、エキセントリックなダメ女王様のマリアだが捜査の勘は冴え渡っており、その閃きは漣だけでなく我々読者も「ほう…」と唸らせるのだから凄まじい。マリアが真犯人に投げかけたたったひとつの言葉が素晴らしいんだ。これは十角館の〝あの一行〟に匹敵すると思う。

そして、ラストシーンの美しさ。この世界でしか存在し得ない神々しい光景。これも素晴らしかった。このラストについて語ることはできない。ぜひ自分の目で読んで、頭にその光景を思い描いてもらいたい。

すっかり本を読むペースが落ちたというか本を読まない日が続いていた中であったが、そんな停滞を吹き飛ばしてくれるようなグイグイ読ませてくれる快作であった。次作のブルーローズは眠らないとグラスバードは還らないも楽しみだ。おススメです!

 

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書影。雪山を漂流するジェリーフィッシュの姿が美しい。

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続編のブルーローズは眠らないとグラスバードは還らない。ブルーローズは不可能と言われた青い薔薇にまつわる密室が舞台で、グラスバードは窓のない迷宮が舞台らしい。早く読みたい。