「御手洗潔対シャーロック・ホームズ」柄刀一


「ホームズ?」


「ああ!あのホラ吹きで、無教養で、コカイン中毒の妄想で、現実と幻想の区別がつかなくなってる愛嬌のかたまりみたいなイギリス人か」


島田荘司占星術殺人事件」より抜粋

 


イギリスが産んだ世界に誇る名探偵の代名詞、シャーロック・ホームズにこの目が眩むような批評を下したのは日本の本格推理小説の中興の祖とも言える作家・島田荘司が産んだ名探偵・御手洗潔である。彼はこの後もまだらの紐の有名すぎるトリックの誤謬を笑い、ホームズの変装術にいちゃもんをつけ、ホームズの人生とイギリスという国家が持つ歴史の功罪について滔々と講釈を垂れる。このシーンは御手洗の非常識な奇人さに語り手の石岡くんが目をぐるぐる回してしまうコミカルな場面となっているが、私を含めた読者はこう思ったのではないだろうか。

いや、お前(御手洗潔/島田荘司)めっちゃホームズ好きやんけ。

(御手洗はこの後にホームズを愛すべき人物だと語っているし、島田荘司漱石と倫敦ミイラ殺人事件でホームズパスティーシュを書いているので実際に大好きなのだろう)

さて、ホームズもののパスティーシュがこの世には溢れかえっており、その宿命かさまざまな探偵や悪党や怪異や地球外生命体と対決させられていることは以前、言及したと思うが(アンソニーホロヴィッツの絹の家の感想参考)、日本の探偵でホームズと肩を並べ得る探偵と言えば誰がいるであろうか。明智小五郎金田一耕助、神津恭介、この辺りの御三家はホームズと並んでも遜色ないだろう。というかもうそういう作品もありそうだし。銭形平次北杜夫がすでに対決させているそうだ(そういえば久正人のジャバウォッキー中でも坂本龍馬とモラン大佐と熾烈な戦いを繰り広げていたんじゃなかったっけ)

さて、御手洗潔はどうだろうか。職業は初登場は探偵が趣味の占星術師で、その後は横浜の馬車道に正式に探偵事務所を構える。近年では日本を飛び出てストックホルムの大学で脳科学を研究し、探偵が趣味の脳科学者となっている。IQは300以上で世界に存在するほとんどの言語に通じている。趣味のエレキギターはプロが裸足で逃げ出すような超絶技巧を誇る。身なりにこだわらない割に上流階級にも下級労働者にもうまく溶け込めるカメレオンっぷりを発揮する。躁鬱傾向があり、女性嫌いの節がある。…似ている。非常にホームズによく似た形質を持っている。

最近でも多くの作家が自身の探偵をホームズと競演させているが、私は御手洗潔がホームズと並び立つに相応しい歴史と説得力を持った最後の探偵のように感じる(綾辻行人の島田潔はホームズの前に立つとただのファンになってしまいそうだし、有栖川有栖の相方の2人は単純にホームズが苦手そうだし、二階堂黎人の妹はホームズが苦手そう)。

そんな御手洗とホームズの東西の名探偵を競演させたパスティーシュが本作である。作者は島田荘司ではなく、有栖川有栖二階堂黎人に激賞された3000年の密室や各種ミステリランキングで高く評価された密室キングダムの著作を持つ本格推理小説作家の柄刀一である。作品は全5編から成り、御手洗編とホームズ編が2編ずつ、そして2人が競演する1編、そして島田荘司によるオマケのような短編が収録されている。以下、収録作について触れていく。

 


・「青の広間の御手洗」小説家の石岡の前にかつての相棒である御手洗潔が久しぶりに顔を見せた。ストックホルムの大学で脳科学を研究する御手洗はノーベル賞の授賞候補となっていたが、それを固辞。かつてのように石岡を翻弄する。しかし、とある目的のために石岡を引き連れ、授賞式が執り行われるストックホルムへと向かう。

ファンが待望する御手洗・石岡のコンビが久しぶりに顔を合わせたという夢のような短編。大きな事件は起こらないが、脳科学者となった御手洗の姿が堂に入っており、あわあわする石岡くんが愛おしい。

 


・「シリウスの雫」日本で暗闇坂の人喰いの木事件を解決した御手洗たちは事件解決に協力してくれた老警官を訪ねて、再びイギリスの地へ。そこで旅芸人の一座と交流する彼らであったが、泥酔した石岡はその地方に伝わる巨石建造物の遺跡の中で倒れてしまう。酩酊する視界の中で石岡は逆さ向きに取り付けられた石の階段を登る人影を目撃する。反重力の里と呼ばれる地に伝わる飛行族の妖精の姿だったのか。旅芸人たちに発見された彼であったが、そこで彼を待っていたのは逆さ向きの階段に座る紫のペンキで体を彩られた老人の死体であった…。

島田荘司が起想したかの如く幻想的な事件を論理的に鮮やかに説明する大トリックが瞠目の1編。一番好きな話。胸がじんわりとするとてもよい話。

 


・「緋色の紛糾」横浜、馬車道シャーロック・ホームズとワトスンの探偵事務所にひとりの女性の依頼人が現れる。彼女の父の犯罪学研究者が研究室で死亡していた事件を捜査してほしいという。研究者はとある事件の再現実験の準備中だった密室で頭を拳銃で撃ち抜かれて死亡していた。これは自殺なのか他殺なのか。死体の側には血で書かれたダイイングメッセージと思わしき血の文字が…。

なぜ現代日本にホームズとワトスンが?という謎から始まる短編。緋色の研究やまだらの紐などの名作を彷彿とさせる怪事件。

 


・「ボヘミアン秋分」日本のホームズの新たな依頼人は在日スペイン大使。彼はかつて熱愛の果てに別れたジプシーの女性・アドラーに脅迫を受けていた。大使がかつてアドラーへ宛てた手紙と写真の奪回を依頼されたホームズはジプシーの秋分の祭りに沸き立つアドラー邸へ乗り込むが、そこで殺人事件が起こり…。

ボヘミアの醜聞を現代ナイズし、さらに殺人事件をトッピングした短編。ボヘミアの部分はそのままだが、新たな殺人事件がそこに彩りを加えている。

 


・「巨人幻想」巨人の足跡が残るイギリスの地方都市を訪れていた御手洗と石岡。彼らはそこで滞在していた家で巨人が通り過ぎたとしか思えない跡を目撃する。さらにその街にある大学の学長の孫が誘拐される事件が発生する。ホームズとワトスンはその事件の捜査中に窓の外に巨大な人間の顔と不気味に揺らめく鬼火を目撃する。誘拐事件の犯人がいると思われた塔の最上階は巨人に掴まれたが如く無惨に破壊され、部屋の中にいた男はナイフで刺され、重症であった。さらに破壊された屋根の上には火傷を負った男の死体が。霧の中を不気味に闊歩する巨人の猛威と少年の誘拐事件の捜査線上で御手洗とホームズの2人の名探偵が邂逅する。

現実と思えない事件を鮮やかに解き明かす一方、ロマンチックな幻想を愛でるような洒脱なストーリーテリングが冴え渡り、見事な余韻をもたらす至福の1編。

 


・「石岡和己対ジョン・H・ワトスン」柄刀一が書いた物語をもとに石岡とワトスンの両名探偵伝記作家から感謝を告げる手紙が届く。しかし、その内容は次第にお互いの名探偵への愛着から泥沼のフリースタイルのdisり合いへと転がっていき…。

島田荘司による解説とは名ばかりの悪ふざけのようなサプライズ短編。日本のゴッド・オブ・ミステリーもこのパスティーシュを楽しんでいたことが窺える。

 


パスティーシュは一見すると魅力的なキャスティングを思い付いた時点で勝ち確のように思えるが、それを作品へと昇華するにあたって必要不可欠なのが作品やキャラクターへの深い理解と愛着、そして擬態力である。その点、この作品はどれも申し分ない。島田荘司の作品でしか味わえないような魅力的な奇想から生まれる難事件とそれに戸惑う読者を足元からひっくり返すような大トリック。そして、まるで石岡くんが島田作品から抜け出してきたかのように錯覚するくらい自然な語り口。そして、論理を尽くした後であっても幻想を幻想のままそっと引き出しにしまうような素敵な幕引き。素晴らしいの一言に尽きる。私はまだ作者の他の作品に触れたことがなかったが、これから探して読んでみようと思う。御手洗やホームズに馴染みない人でも楽しめると思う。おススメです。

 

f:id:gesumori:20190612104938j:image

書影。原書房刊。文庫版は創元推理文庫から出ている。

f:id:gesumori:20190612105723j:image

30年以上の歴史を誇る御手洗潔シリーズの原点にして類稀なる奇想とトリックが伝説となった占星術殺人事件。全人類に読んでもらいたい。

f:id:gesumori:20190612105125j:image

最近のホームズパスティーシュでは成歩堂家のご先祖様である龍ノ介が英国でホームズと競演する大逆転裁判が面白かった。推理力が高すぎるが故に普通の人には披露される推理が突飛なように思えてしまう、という点は柄刀版御手洗やホームズにも当て嵌まることだが、本作ではそれを龍ノ介が噛み砕き、ホームズの暴走をそっと修正するというゲームシステムとして昇華している。こちらも傑作。1.2ぶち抜いてプレイしてほしい。