「吸血の家」二階堂黎人

 

二階堂黎人作品を読むことを実は憧れながらもずっと手が伸びずにいた。氏の作品の代表作としてあまりに有名な人狼城の恐怖があるが、その全貌は全4巻、4000ページにも及び、ギネスブックに登録された世界最長の推理小説なのだ。京極夏彦の最厚作品である絡新婦の理や綾辻行人の全4巻の暗黒館の殺人でもだいたい1400ページほどであることからでもどれだけ長いかわかるだろう。しかも長いだけでなく、1999年の本格ミステリ・ベスト10で第1位を取っているのだから途方もない話だ。

最近、上下巻の作品を読むことにすら躊躇するようになってしまっているので、いつか読みたいと思いながらもなかなか手が出せずにいたが、たまたま古書店で同じ二階堂蘭子シリーズの本作を見つけ、手頃なページ数だったので読んでみた。やっぱりめちゃくちゃ面白いじゃないか!

警視正の父を持ち、ハリウッドの映画女優のような豊かな巻き毛と怜悧な顔と猫のような黒い目を持ち、犯罪捜査に手を染める美貌の名探偵・二階堂蘭子とその兄・二階堂黎人の元に奇妙な話が持ち込まれる。彼らの溜り場の喫茶店に頭巾で顔を隠した謎の女が現れた。女は近くある家で殺人事件が起きることを二階堂家に知らせてほしい、と客たちに告げると一悶着を起こした後、吹雪の街の中に飛び出していった。その顔は髑髏のように眼窩が落ち込み、口の端から血を流していたように見えたと言う。さらに女の足跡は逃走中にまるで幽霊のように掻き消えていた。

女の話に出てきた家は二階堂家と親戚筋に当たる雅宮家のことだった。雅宮家は江戸時代から遊郭を営んでいた一族の末裔で、代々美しい女たちが支配する女系の一族だった。その家には座敷牢で一族を呪いながら死んだ血吸い姫と呼ばれる翡翠姫の伝説があり、さらに戦中に迷宮入りした脱走兵の殺人事件と謎の毒殺魔が浮かび上がる。事件を担当した刑事から事件のあらましを聞くとその脱走兵は雅宮の屋敷の庭で毒の塗った短刀で刺し殺されていたという。しかも、その死体の周りは雪で覆われていたにも関わらず犯人の足跡が存在していなかった…。

雅宮家には現在、絃子・琴子・笛子の美しい三姉妹がおり、絃子の娘で神がかりに悩まされる病弱な冬子のために怪しげな女霊能力者による浄霊会が行われることになっていた。そこで事件が起こるに違いないと踏んだ蘭子と黎人は雅宮家の屋敷を訪れるが、やがて屋敷にて過去の事件を彷彿とさせる不可思議な密室殺人事件が起こり…。

本作の大きなテーマは「足跡なき殺人」の謎である。雨で泥濘んだ地面や雪原などが現場の事件で犯人、あるいは被害者の当然あるはずの足跡が残されていない謎について言及した不可能犯罪であるが、その類型の作品は膨大に存在し、作中でも多くの作品に言及される。私が読んだことあるもの中で即座に浮かび上がるのは、江戸川乱歩の何者、有栖川有栖スウェーデン館の謎、島田荘司占星術殺人事件などがある。そして、最も有名なものと言えばやはり作者自身が本作を書く上で挑戦したというカーのテニスコートの殺人だろう。私は生憎まだ読んでいない(こんなに悔しいことはない!)が、カーの不可能犯罪への並々ならぬ執念と怪奇的な演出に関してはカーキチの作者へ間違いなく受け継がれている。カーの三つの棺に登場するフェル博士の「密室の講義」や緑のカプセルの謎に登場する「毒殺講義」などのように二階堂蘭子による「足跡なき殺人講義」が打たれていることもにやりとさせられる。

だが、この小説はそんなファンにとってのお約束の記号を羅列しただけの小説なのかと言うとそんなことは断固としてない。本作の結末はとても悲劇的な様相を見せるのだが、この不可能犯罪のトリックがその悲劇にとても深く悲しい影を落としている。膝を打つような素晴らしいアイディアのトリックでありながら、「うわあ…」と思わず宙に視線を逃さずにいられない、そんな趣深いものに仕上がっている。

トリックも素晴らしいがそのトリックを演出する登場人物や舞台、歴史描写を欠かしては光らない。横溝正史作品のような薄暗い情感のある雰囲気と妖しい気品を持った登場人物。これがなにより素晴らしい。作者も文庫版のあとがきにてこのように述べている。

「もしも、本格ミステリーにおいて、日本固有の題材があるとするならば、私は、美貌の姉妹が出てくる惨劇的な探偵物語だと主張します。横溝正史の『犬神家の一族』、高木彬光の『刺青殺人事件』、島田荘司の『占星術殺人事件』、宮野叢子の『鯉沼家の悲劇』、京極夏彦の『絡新婦の理』など、この分野には傑作が目白押しです。ぜひ『吸血の家』と合わせてお読みいただきたい。そして、推理小説をもっともっと好きになってください」

カーの不可能犯罪への燃えるような情熱と横溝正史の日本的な密やかな情感が新本格ブームの波の中で花を開いたの本作なのではないだろうか。読む前からビビってばっかりいないで色んな名作に挑みたくなるような推理小説界の水先案内人のような骨太で素晴らしい作品だった。おススメです。

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