「ドルの向こう側」ロス・マクドナルド


アメリカのハードボイルド小説の御三家の一角、ロス・マクドナルドの産み出した探偵リュウ・アーチャーが登場する作品は二十作程度ある。わたしが読んだのはデビュー作である動く標的、象牙色の嘲笑、彼の黄金期と呼ばれる中期三作であるウィチャリー家の女、縞模様の霊柩車、さむけ、そして本作をあわせて六作目である。手元にまだ彼の遺作であるブルー・ハンマーが残っているが、これは最期のお楽しみとして置いておくとして、わたしにはまだ十四作もアーチャーの物語が残っている。幸せなようで、残酷なようにも感じられる。読むたびにこんな感傷に浸ってしまうくらいロスマクを読んでいる間の幸福感は他に替え難い。これを読み切ってしまうといよいよブルー・ハンマー以外の手元の未読の作品がなくなってしまう。それがさびしくてなんとなく今まで棚上げになっていたが、いよいよ手をつけることにした。

LAの私立探偵リュウ・アーチャーはラグナ・ペルディナにある少年たちの更生施設のスポンティ博士から脱走した少年トム・ヒルマンの捜索を依頼される。トムはガールフレンドの親の車を盗み、その車を大破させ、さらに両親と諍いを起こしてこの施設に入れられたものの、施設内で暴動未遂を起こし、そのまま姿をくらませたという。聞き取り調査中、施設に現れたトムの父親の口からトムが誘拐され、犯人から身代金を要求されたことを知るアーチャー。犯人からの電話を待つ間に、アーチャーはトムのガールフレンドであるステラやトムが入り浸っていたジャズ・バーの仲間たちからまだ見ぬトムの姿を描いていく。そして、トムと行動を共にする謎の年上の女性の存在を掴む。その女性はトムと関係があったのか。誘拐犯との関わりは。しかし、捜査線上で彼が目の当たりにしたのはモーテルで撲殺された女の死体であった・・・。

これまではどちらかと言えば郊外でのフィールドワークが多かったイメージだが、今作でアーチャーはLAの探偵らしくハリウッドを主戦場に捜査を行っている。そして、きらやかな映画産業の街が放つ光が落とす影に潜む欲望に突き動かされた裏社会の人物も登場する。ここまでは一見するとありきたりなハードボイルド小説的な舞台選びであるように思える。

しかし、中期以降のロスマクはアメリカにある平凡な家庭の中にある複雑な関係、心理に重心を置いており、これらの裏社会の片鱗はあくまでどこの世界にも見えないだけで存在するありきたりの暗闇の一部分にすぎないことがわかる。

そして、ふつうに生活している人々の日常の風景はリュウ・アーチャーの目というレンズを通し撮影され、そして簡潔だが巧みなマクドナルドの描写によって現像されることによって愛憎、利害関係、虚栄心などが鮮明に浮かび上がる。これは裏社会の抗争や政治の陰謀を描いている他のハードボイルド小説とは違う道筋をたどった作者だけが到達した境地だと思う。今作でも犯人は裏社会のギャングや財政界の大物でもない。複雑に交錯するプロットの果てに想像だにしない予想外の人物が最終局面で急浮上する。これはさむけのときに味わった以来の衝撃だった。そして、その動機も心理も今となっては前代未聞でこそはないもののこの世界に引き込まれた読者の心胆寒からしめるほどとびっきりに邪悪だ。こんなに邪悪な犯人、お目に掛かったことがないかもしれない。それくらい恐ろしいラストシーンだった。

家族から背を向けた息子、すべてを支配しようとする父親、家庭を維持することに摩滅しつつある母親。急激な時代の変化に隔絶された親と子の間で冷静な観察者であり続けるアーチャー。彼について印象的なシーンがある。

 


「人は現実を爆発させることはできないんだ。人々の人生は、一体となってくっついている。すべてが、他のすべてと結ばれている。要は、その結合部分を見つけることだ」

 彼女が多少の皮肉をこめて言った。「それが人生におけるあなたの使命ね、そうでしょう? あなたは人間には興味がないのよ、あなたは人間の間のつながりにしか興味がない。例えば――」侮辱する言葉を探していた。「――配管工のように」

 私は笑った。彼女はわずかにほほえんだ。目は相変わらず陰うつであった。

 


これはアーチャーが過去につながりがある女性と交わした会話である。探偵としての生き方が染みついてしまった彼はふつうの人のように人間と交わり合えず、一種違う境地に達してしまっている。そこを突かれた痛々しい言葉だ。

彼は家庭を持たず、相対する誰からも疑念を持たれてしまう。しかし、彼は粘り強く対話を繰り返し、やがて身近な人々からは聞き出し得ない情報を手に捜査を続けていく。彼は冷徹な一匹狼ではない。彼の根底にあるのはやさしさだ。やさしいからこそ、不正義に怒りを覚えるし、傷ついた人に寄り添おうとする。そこがたまらなくクールだし、スリリングだ。

そんな彼がラストに犯人に突きつける「ノー」の言葉。その高潔さ。これには痺れた。

とにかく前のめりに没頭したすばらしい作品だった。個人的にいままで読んだマクドナルド作品の中で一番好きかもしれない。ブルー・ハンマーにたどり着くまで、彼の作品を探し求め続けよう。そう思うとちょっと明日からが楽しみになった。

 

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書影。現在新訳で復刻されていないので手に入りにくい状況。大阪にあるミステリー専門古書店で出会った。タイトルの意味がわかったときの戦慄。たまりません。

「御手洗潔対シャーロック・ホームズ」柄刀一


「ホームズ?」


「ああ!あのホラ吹きで、無教養で、コカイン中毒の妄想で、現実と幻想の区別がつかなくなってる愛嬌のかたまりみたいなイギリス人か」


島田荘司占星術殺人事件」より抜粋

 


イギリスが産んだ世界に誇る名探偵の代名詞、シャーロック・ホームズにこの目が眩むような批評を下したのは日本の本格推理小説の中興の祖とも言える作家・島田荘司が産んだ名探偵・御手洗潔である。彼はこの後もまだらの紐の有名すぎるトリックの誤謬を笑い、ホームズの変装術にいちゃもんをつけ、ホームズの人生とイギリスという国家が持つ歴史の功罪について滔々と講釈を垂れる。このシーンは御手洗の非常識な奇人さに語り手の石岡くんが目をぐるぐる回してしまうコミカルな場面となっているが、私を含めた読者はこう思ったのではないだろうか。

いや、お前(御手洗潔/島田荘司)めっちゃホームズ好きやんけ。

(御手洗はこの後にホームズを愛すべき人物だと語っているし、島田荘司漱石と倫敦ミイラ殺人事件でホームズパスティーシュを書いているので実際に大好きなのだろう)

さて、ホームズもののパスティーシュがこの世には溢れかえっており、その宿命かさまざまな探偵や悪党や怪異や地球外生命体と対決させられていることは以前、言及したと思うが(アンソニーホロヴィッツの絹の家の感想参考)、日本の探偵でホームズと肩を並べ得る探偵と言えば誰がいるであろうか。明智小五郎金田一耕助、神津恭介、この辺りの御三家はホームズと並んでも遜色ないだろう。というかもうそういう作品もありそうだし。銭形平次北杜夫がすでに対決させているそうだ。

さて、御手洗潔はどうだろうか。職業は初登場は探偵が趣味の占星術師で、その後は横浜の馬車道に正式に探偵事務所を構える。近年では日本を飛び出てストックホルムの大学で脳科学を研究し、探偵が趣味の脳科学者となっている。IQは300以上で世界に存在するほとんどの言語に通じている。趣味のエレキギターはプロが裸足で逃げ出すような超絶技巧を誇る。身なりにこだわらない割に上流階級にも下級労働者にもうまく溶け込めるカメレオンっぷりを発揮する。躁鬱傾向があり、女性嫌いの節がある。…似ている。非常にホームズによく似た形質を持っている。

最近でも多くの作家が自身の探偵をホームズと競演させているが、私は御手洗潔がホームズと並び立つに相応しい歴史と説得力を持った最後の探偵のように感じる(綾辻行人の島田潔はホームズの前に立つとただのファンになってしまいそうだし、有栖川有栖の相方の2人は単純にホームズが苦手そうだし、二階堂黎人の妹はホームズが苦手そう)。

そんな御手洗とホームズの東西の名探偵を競演させたパスティーシュが本作である。作者は島田荘司ではなく、有栖川有栖二階堂黎人に激賞された3000年の密室や各種ミステリランキングで高く評価された密室キングダムの著作を持つ本格推理小説作家の柄刀一である。作品は全5編から成り、御手洗編とホームズ編が2編ずつ、そして2人が競演する1編、そして島田荘司によるオマケのような短編が収録されている。以下、収録作について触れていく。

 


・「青の広間の御手洗」小説家の石岡の前にかつての相棒である御手洗潔が久しぶりに顔を見せた。ストックホルムの大学で脳科学を研究する御手洗はノーベル賞の授賞候補となっていたが、それを固辞。かつてのように石岡を翻弄する。しかし、とある目的のために石岡を引き連れ、授賞式が執り行われるストックホルムへと向かう。

ファンが待望する御手洗・石岡のコンビが久しぶりに顔を合わせたという夢のような短編。大きな事件は起こらないが、脳科学者となった御手洗の姿が堂に入っており、あわあわする石岡くんが愛おしい。

 


・「シリウスの雫」日本で暗闇坂の人喰いの木事件を解決した御手洗たちは事件解決に協力してくれた老警官を訪ねて、再びイギリスの地へ。そこで旅芸人の一座と交流する彼らであったが、泥酔した石岡はその地方に伝わる巨石建造物の遺跡の中で倒れてしまう。酩酊する視界の中で石岡は逆さ向きに取り付けられた石の階段を登る人影を目撃する。反重力の里と呼ばれる地に伝わる飛行族の妖精の姿だったのか。旅芸人たちに発見された彼であったが、そこで彼を待っていたのは逆さ向きの階段に座る紫のペンキで体を彩られた老人の死体であった…。

島田荘司が起想したかの如く幻想的な事件を論理的に鮮やかに説明する大トリックが瞠目の1編。一番好きな話。胸がじんわりとするとてもよい話。

 


・「緋色の紛糾」横浜、馬車道シャーロック・ホームズとワトスンの探偵事務所にひとりの女性の依頼人が現れる。彼女の父の犯罪学研究者が研究室で死亡していた事件を捜査してほしいという。研究者はとある事件の再現実験の準備中だった密室で頭を拳銃で撃ち抜かれて死亡していた。これは自殺なのか他殺なのか。死体の側には血で書かれたダイイングメッセージと思わしき血の文字が…。

なぜ現代日本にホームズとワトスンが?という謎から始まる短編。緋色の研究やまだらの紐などの名作を彷彿とさせる怪事件。

 


・「ボヘミアン秋分」日本のホームズの新たな依頼人は在日スペイン大使。彼はかつて熱愛の果てに別れたジプシーの女性・アドラーに脅迫を受けていた。大使がかつてアドラーへ宛てた手紙と写真の奪回を依頼されたホームズはジプシーの秋分の祭りに沸き立つアドラー邸へ乗り込むが、そこで殺人事件が起こり…。

ボヘミアの醜聞を現代ナイズし、さらに殺人事件をトッピングした短編。ボヘミアの部分はそのままだが、新たな殺人事件がそこに彩りを加えている。

 


・「巨人幻想」巨人の足跡が残るイギリスの地方都市を訪れていた御手洗と石岡。彼らはそこで滞在していた家で巨人が通り過ぎたとしか思えない跡を目撃する。さらにその街にある大学の学長の孫が誘拐される事件が発生する。ホームズとワトスンはその事件の捜査中に窓の外に巨大な人間の顔と不気味に揺らめく鬼火を目撃する。誘拐事件の犯人がいると思われた塔の最上階は巨人に掴まれたが如く無惨に破壊され、部屋の中にいた男はナイフで刺され、重症であった。さらに破壊された屋根の上には火傷を負った男の死体が。霧の中を不気味に闊歩する巨人の猛威と少年の誘拐事件の捜査線上で御手洗とホームズの2人の名探偵が邂逅する。

現実と思えない事件を鮮やかに解き明かす一方、ロマンチックな幻想を愛でるような洒脱なストーリーテリングが冴え渡り、見事な余韻をもたらす至福の1編。

 


・「石岡和己対ジョン・H・ワトスン」柄刀一が書いた物語をもとに石岡とワトスンの両名探偵伝記作家から感謝を告げる手紙が届く。しかし、その内容は次第にお互いの名探偵への愛着から泥沼のフリースタイルのdisり合いへと転がっていき…。

島田荘司による解説とは名ばかりの悪ふざけのようなサプライズ短編。日本のゴッド・オブ・ミステリーもこのパスティーシュを楽しんでいたことが窺える。

 


パスティーシュは一見すると魅力的なキャスティングを思い付いた時点で勝ち確のように思えるが、それを作品へと昇華するにあたって必要不可欠なのが作品やキャラクターへの深い理解と愛着、そして擬態力である。その点、この作品はどれも申し分ない。島田荘司の作品でしか味わえないような魅力的な奇想から生まれる難事件とそれに戸惑う読者を足元からひっくり返すような大トリック。そして、まるで石岡くんが島田作品から抜け出してきたかのように錯覚するくらい自然な語り口。そして、論理を尽くした後であっても幻想を幻想のままそっと引き出しにしまうような素敵な幕引き。素晴らしいの一言に尽きる。私はまだ作者の他の作品に触れたことがなかったが、これから探して読んでみようと思う。御手洗やホームズに馴染みない人でも楽しめると思う。おススメです。

 

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書影。原書房刊。文庫版は創元推理文庫から出ている。

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30年以上の歴史を誇る御手洗潔シリーズの原点にして類稀なる奇想とトリックが伝説となった占星術殺人事件。全人類に読んでもらいたい。

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最近のホームズパスティーシュでは成歩堂家のご先祖様である龍ノ介が英国でホームズと競演する大逆転裁判が面白かった。推理力が高すぎるが故に普通の人には披露される推理が突飛なように思えてしまう、という点は柄刀版御手洗やホームズにも当て嵌まることだが、本作ではそれを龍ノ介が噛み砕き、ホームズの暴走をそっと修正するというゲームシステムとして昇華している。こちらも傑作。1.2ぶち抜いてプレイしてほしい。

「金子文子と朴烈」イ・ジュンイク


映画館で予告編を観るのが好きだ。特に初めて観る予告編ばかりであったら、本編など始まらずに予告編だけをずっと観ていたい気にさえなるときがある。この映画もたまたま予告編を観ただけで、事前の情報などなにも調べずに映画館へと足を運んだ。

 

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「わたしは犬ころである」

そう書き出された詩に目を止めたおでん屋で働く日本人の金子文子は、その詩の作者が日本人から不逞鮮人と呼ばれる朝鮮人社会主義者グループのリーダー格で、無政府主義者で朝鮮独立運動家の朴烈(パクヨル)という男であること知る。この詩と朴烈の人柄に惹かれた文子は強引に朴にアプローチをかけ、やがて彼と同棲するようになる。しかし、幸せのまっただ中、関東大震災が起こる。かつてない大災害を前に民衆の暴動の気配を感じ取った内閣の内務大臣・水野錬太郎は、彼らの怒りを政府からそらすために、朝鮮人たちが震災の混乱に乗して井戸に毒を投げ入れたという真偽の定かでない情報をもとに戒厳令を発令を提案する。警察による朝鮮人の不当な逮捕、収監だけでなく、自警団による朝鮮人の虐殺が始まり、朴たちは安全のために警察たちに逮捕されることを選ぶ。

朝鮮人虐殺が急速に全国に広まる中、水野は朝鮮人が日本人に反乱を起こそうとしていた証拠を得るために見せしめとなる朝鮮人として不逞社という朴が率いていた秘密結社に目をつけた。組織の中のメンバーを拷問し、朴が上海から爆弾を購入しようとしていた情報を掴むと、朴と文子を市ヶ谷刑務所へと収監し、裁判にかける。予審の最中、朴が爆弾は皇太子を狙った暗殺計画のためだったことを認めると、彼らの罪状は大逆罪へと変わる。大逆罪の量刑は死刑のみ。しかし、それは朝鮮人初の大逆罪人という肩書きとともに朝鮮民族独立の英雄となって死ぬことを願った朴の一世一大の大見得であった・・・。

関東大震災がきっかけで起こった朝鮮人大虐殺については、わたしも学生時代の世界史の勉強中に習っていたが、その様相はわたしが歴史の一単語と思っていたよりもはるかに悲惨で許容しがたいものであった。虐殺の被害者が六千人近くになったという作中の情報が真実であるかはわたしも判断がつかないが、それでもそのうちには真実であった事件もあったことであろう。

当然、被害者側である韓国で造られた映画であるから、日本人に対する描写は同じ日本人として心苦しくなる場面も多い。天皇制に対する主張も額面通りに受け取れば、日本人として受け入れがたいところもある。しかし、それでもこの映画は日本憎しで造られた映画ではない。この映画で文子や朴が訴えているのは人間として平等に生きることの尊厳であり(天皇も日本という国家を維持するための被害者であるという描かれ方をしているように思えた)、当時の権力者や関係者たちは自らの保身と朝鮮人たちへの差別感情で行動しているが、やがて彼らのまっすぐな姿に少しずつその行動を改めていく。単なる昔の朝鮮人すげえ映画ではないバランス感覚がうかがえる。

わたしがこの映画を観ていて考えさせられたことは闘うことについてだ。日々、ツイッターなどを見ていると、あらゆる人たちがなにかについて怒っている。そして、自分の主張を延々だらだらと書き連ねている。わたしなどはそれを実に不毛だとしか感じないから、そんなものなど存在しないように自分の楽しいと思うことだけを見ています、みたいな態度をして過ごしているが、この作品を見ていてすこしわかったことがある。闘うことはある種の娯楽なのだ。たとえそれが怒りに満ちたものであっても、きっとその最中にいる人は心のどこかでそれを楽しんでいる。社会の不具に相対し、それを正している自分の姿にうっとりし、それに打ち込んでいる間は他のもっと現実的な憂さを忘れられるのだろう。作中序盤の朴や文子にも共通したものを感じる。思想的に堕落した同志を私刑し、雑誌に自分の理想や虚飾に満ちた主張を書き続けている。

だが、当局に逮捕され、自らの死が近づいてくるにつれ、彼らの主張は純化され、愛する人と死に、自らの理想を後世の人に繋いでいくために残された日々を使うようになっていく。社会の不平等さに怒りを抱くことは間違いではない。ただ、手段や目的を間違えてはいけないとも思う。誰かを断罪することにのみ快楽を見いだすようになってしまってはいけない。

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ともすれば苦しくなってしまうような物語の中で清涼剤となっていた主演のチェ・ヒソのキュートさには脱帽だ。わたしは裁判中の黒髪ロング丸眼鏡姿に胸を打ち抜かれたクチだが、それ以外の場面もキュートの塊であった(予審中に「やべ・・・いらんこと言ってしもうた・・・」みたいなとことか最高だった)。

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「静かにしろ!」は個人的に今年一のパワーワードだ。

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朴烈役のイ・ジェフンも高地戦以来久しぶりに観たが、あのときのイケメンさは形を潜め、薄汚い底辺政治活動家っぷりを怪演していた。序盤こそ自らを犬ころというような狂犬っぷりからおどけた狂人さを垣間見せたが、やがて文子と心を通わせ、自らの死期を悟るようになってその険は取れていき、やさしい顔つきへと変わっていき、涙を誘う。ふたりが獄中で写真を撮るシーンは非常によかった。

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判事役のキム・ジュンハンもむちゃくちゃなふたりに振り回されながらもやがてふたりに理解を示していくところがよかったし、作中一の極悪人・水野錬太郎役のキム・インウも実に清々しいクズっぷりだった。

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苛烈で強烈なラブストーリーだった。もう掛かっている映画館も少ないとは思うが、ぜひ一度観てもらいたい作品だった。おすすめです。

 

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韓国版プライベート・ライアンこと高地戦と爽やかなイ・ジェフン。

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最近の作品で関東大震災を扱った作品といえば馴染み深いのは風立ちぬじゃないでしょうか。

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大正時代が舞台の田代裕彦富士見ミステリー文庫の名作・平井骸惚此中ニ有リの中でも関東大震災中に起きた殺人事件を扱った第4巻。復刊された一作目の売れ行きが振るわなかったようで、第1巻以外は読みづらい現状。辛い。

「天国でまた会おう」アルベール・デュポンテル

 

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久しぶりに鎮火気味だった映画熱が盛り返して来たので、ふらっと県内唯一のミニシアターであるソレイユに行ってきた。地元にあったレトロミニシアターは潰れちゃったけど、ここは令和になっても相変わらず上映が始まるとき、ブザーの音で始まるのがいい。香川、岡山は味のあるレトロミニシアターが存命しててとても嬉しい。あとはイオンシネマの天下だけど。

閑話休題。そんな感じで天国でまた会おうである。原作はピーター・ルメートル。その女アレックスを書いた人、と言えば通じるだろうか。書店でスルーされがちな海外ミステリの中でも比較的に置いてあったからタイトルだけは知ってる人も多いかと思う(私もその安心感から読むのを後回しにしてしまっている。反省)。監督はフランス人のアルベール・デュポンテル、そして主演はアルゼンチン人のナウエル・ピエーズ・ビスカヤートだ。

物語は第一次世界大戦末期、西部戦線から始まる。前線である113高地のフランスを始めとする連合国軍と敵国であるドイツの兵士たち間にも休戦の噂が流れ、士気は低下していた。そんな中、戦争を終わらせるのを良しとしないフランスのプラデル中尉は卑劣な偽装工作により、戦闘中止命令を無視し、戦闘を開始する。塹壕より這い出し、突撃を開始するフランス兵たち。砲火降り注ぐ戦場で榴弾の爆発に巻き込まれた兵士のマイヤールは生き埋めになってしまうが、そこを辛くも仲間のエドゥアールに救われる。しかし、その刹那の後、今度はエドゥアールが爆撃に巻き込まれてしまう。病院で目覚めた彼は、自分の吹き飛んでしまった顔の下半分を見て驚愕する。まともに言葉を発することができなくなったエドゥアールはマイヤールに自分を死んだことにしてほしいと懇願する。

復員したマイヤールを待っていたのは祖国の残酷な現実だった。戦死した兵士たちが英霊として祭り上げられる一方、傷ついた帰還兵たちは冷遇され、以前の職も、かつての恋人も彼を迎え入れてはくれなかった。さらに怪我の後遺症でモルヒネ中毒となったエドゥアールを介護し、彼の死を遺族に偽装し、彼のために他の帰還兵から配給品のモルヒネを奪い、なんとかその日をやり過ごしていた。

モルヒネに耽溺して隠れるように生活していたエドゥアールであったが、下宿先の娘と心を通わせるようになり、やがて自らの芸術の才能を発揮し、美しい青いマスクを創り出す。見違えるように活力を漲らせた彼は、少女を通訳に、マイヤールにある犯罪を持ちかける。それは架空の戦没者記念碑を種にした大胆な詐欺であった…。

まず目を引かれるのはエドゥアールの美しくユーモアに満ちたマスクの数々である。

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彼が生まれ変わったときの美しい青いマスクや

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悪巧みしてまっせ!って悪党マスク

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潜入中の変装マスクに

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印象的な孔雀のマスク。

とにかくシーン毎にバリエーション豊富にマスクが登場しまくる(ありすぎて一発マスクすらあるくらいだ)。エドゥアールは顔の下半分を失い、まともに話すことも食事をすることも、表情を作ることすらできなくなっていた。しかし、彼の天賦の芸術の才能により産み出されたマスクの数々は彼の失われた自己表現の手段となり、シーン毎に饒舌に彼の感情を語っている。そのお喋りっぷりはジム・キャリーにだって負けていない。私のお気に入りは予告にも登場した表情を変えることのできるマスクだ。

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だが、彼の本当に素晴らしいのは目の演技だと思う。目は口ほどに物を言うと言うが、マスクの隙間から見えるその目は登場人物はもちろん、観客の視線をも釘付けにする。

そして、エドゥアールには神に与えられた二物がある。それが犯罪の才能である。実にクレバーでエキセントリックに実に優雅に犯罪を楽しむ姿に「こいつこの後なにしてくれるんだろう」とワクワクが止まらない。戦後、戦没者の埋葬を生業に成り上がったプラデル中尉に対する嫌がらせに近い仕返しなんかは、本当に着眼点から性格が悪くてにやにやしてしまった。しかし、彼はただの愉快犯として犯罪を楽しんでいたわけではない。彼がこの大胆な犯罪に取り組んだ理由は彼の悲しい生い立ちに根ざしており、その最後に彼の目に浮かんだ感情は途轍もなく深い悲しみをたたえており、涙を誘う。

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彼の相棒であるマイヤール(演じるのはデュポンテール監督)はエドゥアールと真逆の小市民だ。

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臆病で風采の上がらない彼は、戦争で一段高い精神状態へと移行したエドゥアールとは違い、ずるずると低いところへとずり落ちていく哀愁漂う中年男性だ。彼は良くも悪くも優しい男であり、エドゥアールのために献身的に尽くす。しかし、彼はエドゥアールのイエスマンとは成り下がらず、彼なりに人生を立て直そうと試行錯誤を繰り返す。彼らのその姿は犯罪者版ホームズとワトスンのようだ。

エドゥアールのもうひとりの理解者であり、彼の通訳と作品のプロデュースを務めることとなる少女ルーシー役のエロイーズ・バルステールも非常にチャーミングだ。本作が映画初出演らしく、今後の活躍が楽しみだ。歌がとても下手らしい。かわいい。

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本作で仇役のクソ男・プラデル中尉を好演したローラン・ラフィットとエドゥアールの父親役のマルセル役のニエル・アレストリュプなどの脇役も実に堅実で豪華だ。

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アートのような華やかな造りと強かな謎解きを含んだ確かな佳作。もう上映されてる映画館も少なくなってきてるだろうけど、ぜひ劇場で観てもらいたい作品だ。しみじみといい話だった。おススメです!

 

 

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本国のポスター。すごく好き。

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原作者ルメートルの代表作、その女アレックス。なんとなく後回しになってから早く読みたい。

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フランス産・仮面の犯罪者と言えばオペラ座の怪人。原作は推理小説黎明期の密室殺人として名高い、黄色い部屋の秘密のガストン・ルルー

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マスクと言えば、ジム・キャリーのマスク。幼少期に吐くぐらい金ローとかで観せられた。

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「え?マイケル・ファスベンダーにマスクを!?」となってそのヴィジュアルに度肝を抜かれたフランク。スーパー面白いらしいので観たい。

 

 

 

「さよならよ、こんにちは」円居挽


円居挽という名前を聞くと、京都のことを深く思い出す。私自身京都のボンクラ大学生であった縁もあって、大学の近所の本屋で並んでいた作者の烏丸ルヴォワールを手に取ったのがもう7年前近く(なぜかシリーズ1作目から読まない私の悪癖がここでも発揮されている)。

私が普段歩いていたような馴染みのある場所が非日常の物語の舞台となる高揚感(確か瓶賀流と山月の会談場所が金閣寺の駐車場だった気がする。ご近所!)、大学生の彼らが知恵と策謀と弁舌を以って怪人超人巨悪と対峙していく胸打つ展開、どれもとても楽しかった。思えば西尾維新戯言シリーズで京都の大学生活に憧れ、森見登美彦の作品に京都の東側の文化に魅せられ、そして綾辻行人有栖川有栖といった京都の大学生を描いた新本格ミステリへの道へと誘ってくれたのは京都という街を舞台にミステリを書き続けた円居挽のおかげかもしれない。そう思うと恩のある作家であると今になって思う。

ルヴォワールシリーズの主人公のひとり、京都で古より開かれていた秘された私的裁判である双龍会の若き龍師(弁護士であり検事である詭弁イカサマ上等の弁舌家)の御堂達也がまだ母方の姓である本陣達也を名乗っていた頃。彼は亡くなった母の復讐のために仇がいるという奈良の山奥にある越天学園へと入学する。絶対記憶を有する彼は復讐の足掛かりとして学園内で探偵の真似事をして、あらゆる人物の困り事を捜査し、その成果によって恩を売ったり弱味を握ったりしては彼らを手足として使い仇の手がかりを集めており、学園内で畏れられていた。彼の側には後に大学と龍師の先輩となり人生の中で大きな存在となる瓶賀流や反省室と呼ばれる達也の根城となる探偵事務所のようなアジトの仲間たちがいた。一人で生きられると語る彼が奈良の狭い世界で人との生き方を見出していくルヴォワールの前日譚とも言える連作短編集だ。

本作は作者の生まれた奈良を舞台に達也が仇に敗れ、京都に流れ着くまでを描いている。達也の母校・越天学園についてはルヴォワールでも言及されていて、作者の母校がモデルらしい(後輩のM君の母校でもある。聞いていた通りにかなり辺鄙なところにある学校のようだ)。私も高校の同窓に奈良生まれが多かったからか、彼らが語る物寂しいものの牧歌的な奈良の雰囲気には少し親近感がわいた。

以下、収録作品について触れていく。

 


・「DRDR」流の溜まり場となった学園寮の達也の部屋。彼はそこでドラクエ1のソフトをプレイする流のプレイを傍目にふっかつのじゅもんの記憶役をさせられていた。「せかいのはんぶんをおまえにやろう」という有名な竜王の提案に「はい」と答えた流。バットエンドのじゅもんを記憶させられた達也だったが、そこで流はさらに「この続きを解いてくれ」と宿題を残す…。ドラクエ1をやったことない私でもグッとくるセンチメンタルにノスタルジックな日常の謎。作者が最高傑作と自負するに頷ける趣深い短編。

 


・「友達なんて怖くない」達也の一風変わった本棚を見て首を傾げる反省室の仲間である御堂守哉と桜田水姫。そこから休日の達也を尾行する守哉だったが…。本で人と人が繋がっていくのはいいよなあ、と思わせてくれるいい話。

 


・「勇敢な君は六人目」誰かが落とした謎の暗号が記された手帳。その手帳を巡って5人もの落とし主が達也たちの反省室を訪れる。暗号を解析することでとある犯罪の可能性に気づいた達也は犯人たちと対峙するべくゲームセンター・キャノンショットへと乗り込む…。探偵団出動!というような小気味いい冒険譚。達也の女たらしが意外な新キャラに炸裂する。今はなきあやめ池遊園地が印象的に登場する。

 


・「な・ら・らんど」流はならまちの中で目的地とその目的に迷っていた。そこで出会った褐色の美女・安蘭寺くろみの不気味なほど正確な推理と口車に乗せられ、彼女は2人で目的地を目指すが…。駄洒落やん!となるタイトルに反してDRDRに繋がる流の心の動きを丁寧に描いた綺麗な話。

 


・「京終にて(アット・ワールズエンド)」学校と実家と母の入院する病院を最短距離で移動する小学生の達也。絶対記憶の体質故に周囲と折り合えず、そのことから母親に弱いところを突かれ、病院の屋上へと避難する。そこで本を読んでいると謎の美女が彼に話しかけてくる。彼女は未来予知の能力を持っていると言い、彼を恐怖させるような振る舞いを見せるとともに彼の人生に大きな示唆を与えていく。達也の初めての敗北と後に不屈の龍師となる彼の原点ともなった闘いの話。泣ける。

 


・「ふっかつのじゅもん」闘いに敗れ、復讐を果たせず御堂家の養子となった高校三年生の達也。彼は燃えてしまった自分の寮を見上げて、これからのことを考えていた。丸太町ルヴォワールの直前の話。

 


丁々発止、イカサマ、どんでん返しアリアリのルヴォワールシリーズに比べると非常に穏やかで小さいスケールの話ばかりだ。しかし、後の御堂達也や瓶賀流といった物語の重要なキャラクターの新たな側面を見せてくれており、次回ルヴォワールを再読したときに新たな発見をさせてくれることだろう。

物語のラストに非常に印象的な会話がある。

 


「ちょっとだけゲームの話をしよう。ハードウェアの限界が世界の限界を決めてきた。これは解るかな?」

ドラクエのマップがどんどん広くなっていったのも容量が増えていったからですよね」

「そういうことだ。そして君も同じだよ」

奈良の街、越天学園……思えば随分と狭い世界に囚われてきた気がする。

「君は身も心も大きくなった。それに相応しい世界が待ってるよ」

おそらく達也がこの場所から出て行きたいと感じているのもそういうことなのだろう。ここはもう自分には狭いのだ。

 


奈良から京都へ。そしていつか京都すら彼には狭く感じられていくのだろうか。これからの彼らのことが気になるとともにルヴォワールシリーズを再読してみたくなった。いつのまにか過ぎていった平成のノスタルジーを感じさせる地方都市の青春連作短編。おススメです。

 

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書影。イラストはルヴォワールから引き続きくまおり純が担当。

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講談社BOXから刊行されていたルヴォワールシリーズ。相手をやり込められればなんでもありのどんでん返し法廷ミステリ。全4巻。

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作者によるノベライズ版逆転裁判逆転裁判逆転検事のキャラをうまく登場させながら、ふたつの時間のふたつの事件を逆転裁判らしく解決。近々、FGOのノベライズも刊行されるらしいのでそちらも楽しみ。

「悪霊の館」二階堂黎人


先日、帰省中に奈良へ出かけた際にたまたま入った古書店が思いの外、推理小説の取り揃えが良く、セールをやっていたのもあって思わず長居してしまった。家も手狭になってきたし、旅先で本を買うのも荷物になっていけないと思いながら毎回ついつい買ってしまう。

なに買ったの?

二階堂黎人の悪霊の館。

ハードカバー?

うん。

何ページあるの?

700ページ。

馬鹿なの?

うん…。

というわけで作者の代表シリーズである探偵・二階堂蘭子シリーズの第4作である本作は原稿用紙1200枚にも及ぶ大長編である。

戦前、医療品の輸入によって財をなし、その後大学病院などを経営することで医療界のみならず財界にも絶大な力を持つようになった志摩沼家。その一族は先代の伝右衛門の下に3人の娘がおり、それぞれが一族の支配権を狙って争い、憎み合っていた。伝右衛門の死後、一族を統率していた奥の院様と呼ばれる伝右衛門の姉である老婆・きぬ代の臨終の際、明かされた彼女の遺言が一族に波紋を起こす。それは、長女の孫の卓也が三女の孫である美幸と結婚しなければ彼女の莫大な遺産を国に遺贈する、というものであった。しかし、卓也は従兄妹の茉莉との結婚を望んでいた。

志摩沼家と昵懇の仲であった二階堂家の家長で警視正の陵介のもとに志摩沼家の顧問弁護士である田辺という青年が現れ、これから彼ら一族に起こる何らかの事件を阻止してほしいと依頼する。しかし、一歩遅く、事件発生の報を聞いた陵介は息子の黎人と義娘の蘭子は父とともに志摩沼家が住まう屋敷、アロー館へと赴く。そこでは卓也の婚約者であった茉莉と思われる女性が密室で死亡していた。彼女の死体は顔の他に手の指も切断されており、さらに五芒星の魔法陣と破られた書籍の山と四体の西洋の甲冑が彼女を守護するかのごとく設置されているという黒魔術的な装飾を施された異様な状態であった。さらに茉莉の双子の姉である沙莉も事件後、屋敷から姿を消していた。殺されたのは双子のどちらなのか。しかし、その凄惨極まる殺人事件も悪霊の館と呼ばれる屋敷に住まう呪われた一族を巡る血塗れの惨劇の第1幕に過ぎなかった…。

作者がカーのような不可能犯罪に魅入られた本格推理小説作家であることは以前の感想で触れたと思うが、今回も魅力的な殺害現場を用意しておきながらその解決は比較的あっさりとしている(それでも鮮やかな解決であるのは間違い無いのだが)。

それよりも今回は作者が愛して止まない日本の呪われた一族が登場するドロドロとした血濡れた悲劇としての作劇の方に重きが置かれている。物語の冒頭に登場する奥の院様の臨終のシーン。横溝正史犬神家の一族を彷彿とさせる。そして複数登場する双子の存在。これは作者が以前述べていた美貌の姉妹が登場する惨劇的な日本の探偵小説への愛がますます深く発露したものであると同時に読者の推理欲を掻き立てる絶好の対象となっている。

さらに印象的に挿入される魔女の物語。モンテスパン夫人とルイ14世マリー・アントワネットルイ16世の伝説、そしてアロー館を建てた後、突如消えてしまったドイツ人夫婦の謎など歴史的な考察などがどのようにこの一族と関連しているのか。殺人事件の他に屋敷に度々現れる亡霊の仕業としか思えない怪奇現象と相まって私の興味と興奮は収まることなく最後まで突き進んでいった。そして、流麗な蘭子の推理で事件が解き明かされた後に待ち受ける論理で語り切ることのできない怪異的で残酷なラストシーン。満足の溜息しかでなかった。

圧倒的なボリュームではあったが、苦痛になることなくグイグイと読み終えることができたし、ラストで蘭子たちがフランス、すなわち作者の代表作であり、ミステリ史上最長の大作として名高い人狼城の恐怖の舞台へと繋がるところに達した。私自身まだシリーズ第1作の地獄の奇術師が未読のままだが、そちらと合わせて早く読んでみたい。楽しかった!

 

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書影。このボリュームで800円だった。最高。

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大富豪の遺産を巡る骨肉の争いと言えば横溝正史犬神家の一族

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ミステリとしてだけでなくホラーとしても名高い三津田信三の刀城言耶シリーズ。本作と通底するものがあるように思う。魔女の如き呪うもの、みたいな?

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作中でも言及される高木彬光の刺青殺人事件と比較される名前のみ登場する幻の難事件、甲冑殺人事件。作者はその事件を本作で具現化した。

 

「プランD」ジーモン・ウルバン


もし、ある歴史的事件が成功あるいは失敗していたらその後の歴史はどうなっていたか、という視点で描かれた歴史改変小説と言えばディックの高い城の男などのSF小説が高名だが、ミステリとの親和性も高い。たとえばマイケル・シェイボンユダヤ警官同盟イスラエルが建国に失敗し、ユダヤ人の特別行政区アメリカのアラスカにあったら、という世界観で描かれた警官小説であった。現実の世界ではイスラエルという自分たちの国をようやく手に入れたユダヤ人が物語の世界ではその居場所を得ることに失敗し、さらに新たに手にした仮初めの居場所までも失おうとしていた。そんな現実世界ではあり得ないifの中で政治、宗教的背景を抱いて暗躍する犯罪者とそれを追う警官たちの心理と情熱を実に巧みに描写していた傑作だ。

当然、たとえ物語が荒唐無稽に思える前提からのスタートを切るのだとしても、そこに描かれるのはひとつの世界の歴史であるのだから、相当に精巧な描写と考証がなければ説得力のない絵空事になってしまう。しかし、本作がデビュー作であるドイツの新鋭ジーモン・ウルバンはそれを見事にやってのけた。

舞台はドイツ。東ドイツの元首ホーネッカーを権力の座から引きずり下ろしたクレンツは東西に分断されたベルリンの境界線である壁を一度は解放するも(多少内情は異なるもののここまでは現実通りの歴史)、流出する国民を止めきれず、再び壁を閉ざしてしまう。〈再生〉と呼ばれる一連の改革で現実世界では崩壊した東ドイツは延命に成功し、2011年の現在でも東ドイツ社会主義国家として存続しているという架空の歴史を歩む世界。

人民警察の警部マルティン・ヴェーゲナーは国家が所有する森にあるガスのパイプラインにて首を吊られて死亡した老人の殺人事件を捜査していた。老人の死体には再生時代以前に暗躍したシュタージと呼ばれる秘密警察の処刑人が裏切り者に対して行なったという左右の靴の靴紐を結びつけるという独特の符丁が残されていた。今回も国家保安省の機密保持の書類にサインしてお役御免かとお決まりの捜査をこなすヴェーゲナーであったが、事件の写真が西ドイツの有力紙に流出して事態が一変する。

東西ドイツはロシア産のガスを東ドイツのパイプラインを通じて西ドイツに供給するエネルギー協定を間近に控えていた。しかし、東ドイツで依然として国家による非人道的な殺人が行われていると世界に思われれば、エネルギー協定は白紙に戻ってしまう。そうなるとトランジット料金をあてにしていた東ドイツ経済も安定したガス供給を公約に当選した西ドイツの新元首も破滅だ。

その最悪の事態を回避するべく、東西ドイツは異例の合同捜査を行うことに。西ベルリン警察の特殊捜査班のトップ捜査官であるブレンデル刑事の相棒として白羽の矢が立ったヴェーゲナーは彼とともに事件を捜査することに。犯人はエネルギー協定を疎ましく思い、シュタージの犯行に見せかけた何者なのか。殺された老人はシュタージの関係者なのか。浮上するプランDという計画とは…。

とにかく面白いのは東ドイツという社会主義国家の現在の姿だ。あらゆるインフラやサービスを国家が所有し、管理する社会は困窮した西ドイツをはじめとした資本主義の民主国家からは青い芝生のように見ている人々もいる。しかし、その内情はあまりに悲惨だ。あらゆる場所にカメラと盗聴器が潜み、骨抜きにされたとは言え、シュタージをはじめとした国家の目が光る閉塞した社会。そんな誰が敵かわからない状況の中で人々は口をつぐみ、希望も持てずに下を向いて生きている。主人公のヴェーゲナーもそんな人のひとりだ。

当初、コードネームU.N.C.L.E.のナポレオン・ソロイリヤ・クリヤキンシュワちゃんレッドブルのような東西の凸凹コンビがお互いのコミュニティをディスり合いながらいつしか友情を勝ち得ていく王道のストーリーかと思っていたが、そんな予想は10ページも読む頃には霧消していた。とにかくヴェーゲナーが卑屈なのだ。彼は国家が大量生産した粗悪品の下着や車しか所持しておらず、真実を追い求める警察官であるにもかかわらず、国の不都合なことに目を背け、口を閉ざしてきた。容姿にもそれほど自信はなく、今も愛して止まない元恋人のカロリーナはエネルギー省のエリート街道を邁進し、ロシア人の高級官僚に体を許すガス娼婦だと妄想してはひとりで傷つく哀れな中年男性。片や西のブレンデルはハンサムで高級な香水の香りを纏い、東ドイツ製とは雲泥の差のある高級車を乗り回し、周囲の人々の目を離さない伊達男。しかも人格者でヴェーゲナーや東ドイツの人々にも友情を示し優しい。ヴェーゲナーはブレンデルやカロリーナの姿を見てはその劣等感を募らせ、東ドイツの荒涼たる現実を見せつけられていく。

とにかく陰鬱で迂遠な展開で物語は進んでいく。腐敗した社会主義国家の中で誰しもの口は重く、捜査は進まず、そんな社会に毒されたヴェーゲナーは傍目には寡黙だが、自らの内で消えてしまったかつての上司であるフリュンヒテルを同居させ、とにかく内省を通り越した自罰的で饒舌な会話を繰り返す。女々しいまでにカロリーナに固執し、目にする風景の中で山崎まさよし並みに事あるごとに彼女の姿を探してしまう。そんなところにいるはずもないのに。こうはなってしまってはダメだ、と思いながらも彼に共感せずにはいられない悲しい中年男性の物語だ。

しかし、そんな架空の世界の社会主義の中でも現在の現実世界にある問題と重ねて見えてしまうものもある。フリュンヒテルは言う。社会主義は希望に根差している、と。あらゆる政治システムは社会がこうなったらいい、こうなったら誰もが幸福になれるという希望からスタートする。しかし、その希望が現実問題と折衝していくうちに、変質し、人にとって暮らしづらい閉塞したものへとなっていってしまう不幸。この東ドイツではない東ドイツがどこの世界にもいつしか現れてしまう。それはとても悲しいけれど避けては通れない。私たちはそこに寡黙になってはいけないのだと痛感させられた。

なんだか求めていたものとは全然違う筋道を辿っていったけれど、それでも謎解きとして面白く着地していったし、色々と考えさせられた。ナチスと関係してないドイツ小説というのも新鮮だったし、時間はかかったけど読んでみて良かったと思えた作品だった。

 

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書影。グッドデザイン賞

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マイケル・シェイボンユダヤ警官同盟コーエン兄弟による映像化の話がうやむやになっている。

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第二次世界大戦アメリカがドイツと日本に敗れていた世界を描いたフィリップ・K・ディックの高い城の男。映像化もされている。

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こちらも日本がアメリカに勝った世界を描いたピーター・トライアスのユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン。まんま高い城っぽいあらすじだけどこのパシリムっぽいロボットはどう絡んでくるのか。