「アックスマンのジャズ」レイ・セレスティン

 

「恨みを抱えた人間なんて、ニューオーリンズにはごまんといる」と言った。そのうちルカを見つめて、シーツにこすりつけていた石鹸を持ち上げた。「そういう気の毒な連中を集めてぎゅっと握る」節くれだった細い指で石鹸を握りしめた。

「そうすりゃ悪魔ができあがる」彼が手を開いた。「ニューオーリンズという形の悪魔がな」いつになく冷ややかな目で続けた。

 


ルイジアナ州アメリカの中でも特異なイメージがある。元フランス領であり、アメリカに買収される以前よりルイジアナに暮らしていたフランス、スペイン、アフリカ、インディアンの祖先を持つクレオールや、イギリス人によって大陸北東部のフランス植民地を追われてこの地に流れ着いたケイジャン、さらにイタリアやアイルランド、ハイチからの移民など雑多な人種が混じり合い、独特の文化を形成している。ミシシッピ川とポンチャートレイン湖による水害、ハリケーン被害が多く、湿地にはワニが泳いでいる。住民はそのワニを食べるし、ザリガニやカエルも食べる。アメリカで最も古い歴史を持つマフィアの本拠地であった。そして、ジャズの聖地でもあった。

アックスマンはそんなルイジアナに実在した殺人鬼である。

1919年。ルイジアナ最大の都市・ニューオーリンズではアックスマンと呼ばれる殺人鬼の暗躍によって揺れていた。イタリア系食品販売店の店主ばかりを狙い、幽霊のように民家に侵入し、斧を振るって凶行に及び、血塗れの斧とタロットカードを現場に残す。犯人は白人なのか、黒人なのか、さまざまな人種が入り混じるニューオーリンズの中で人種間の緊張が高まる中、アックスマンを追う男女がいた。

ニューオーリンズ市警の警部補でアックスマン事件の責任者であるマイクル。マフィアとの癒着が原因でマイクルによって警察を追われた彼の師匠でもある元刑事のルカ。ピンカートン探偵社の若き女探偵のアイダとその相棒に選ばれた黒人ジャズマンのルイス。彼らはそれぞれ抱えた事情からアックスマン事件を調査するが、彼らの前に立ち塞がるのはアックスマンだけではなく、深い闇そのものであるニューオーリンズの現実であった。

彼らを嘲笑うようにアックスマンの犯行声明が新聞に載った。それは「ジャズを聴いていないものは斧で殺す」という衝撃的な内容であった…。

先にも触れたがアックスマンは実在の殺人鬼で、この声明も作者の創作ではなく現実のものである。現実ではこの声明に指定された日には殺人は起きず、一連の声明は模倣犯の悪戯という片がついたらしいが、作中ではこの声明にも犯人の深謀が絡んでいることとなっている。またタイトルであるアックスマンのジャズはThe mysterios Axman's Jazzというタイトルで作曲され、大ヒットしたりもしたらしい。YouTubeに音源があったのでぜひ聴いてみてほしい。なかなかに人を食ったメロディである。 https://www.youtube.com/watch?v=x_iSLK74ZI4&feature=share

事実は小説よりも奇なり、という通り、アックスマン事件はそのままでも充分に興味の惹かれる未解決事件であるが、本作は奇な事実をさらに面白いエンターテイメントに昇華することに成功している。

まず三人の主役たちの配置が絶妙だ。マイクルはアイルランド系の白人だが黒人の妻がいる。ゴリゴリの黒人差別が罷り通っていたザ・南部のルイジアナにあって彼は特異中の特異で、自身の立ち位置を危うくしている。一方、ルカは生粋のイタリア系移民であり、同胞を重んじるイタリア系の社会の中でマフィアとズブズブの関係を築いてしまって抜け出せない。アイダは一見そうは見えないほど肌の色は薄いが黒人のしかも女性であり、社会的地位が恐ろしく低い。差別をする者とされる者、犯罪を犯した者とそれを取り締まる者、強者と弱者、男と女といったそれぞれの勢力の対局の位置に収まっており、その視線は非常に幅広くニューオーリンズの街を網羅していく。これが抜群に上手い。

そして、街中に溢れているジャズの描写も雄弁で素敵だ。登場人物の1人が世界でいちばん有名なジャズプレーヤーの1人をモデルとしており、彼の活躍によってニューオーリンズという物騒極まりない街の音楽の世界を巧みに切り取っている。

本書は作者の処女長編であるがその中身は文句のない一流のクライム・ノベルだ。映像化の話もあるらしいし、続編の刊行も決まっている。次は20年代のシカゴが舞台。間違いなくあの暗黒街の顔役が登場することだろう。今から楽しみで仕方ない。おススメです!

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書影。なかなか物騒な売り文句である。

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物騒な売り文句と言えばこれ。映画化の話が塩漬けになっている。

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ルイジアナが舞台と言えばステイサム主演、スタローン脚本のバトルフロント。田舎のモンペにステイサムパパの怒りが爆発。

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ニューオーリンズがモデルの架空の街・ニューボルドーを舞台にベトナム戦争帰還兵の黒人の主人公が復讐のためにマフィアのボスに成り上がっていくゲーム、マフィア3。これをやればニューオーリンズがどんな街かだいたいわかる。

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デヴィッド・エアースーサイド・スクワッドに出てきたベル・レーヴ刑務所はルイジアナ中央にある沼地に設立された極秘の刑務所。ほんとにロクなものがない。

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ニューオーリンズが本拠地と言えば我らがエクスペンダブルズ!大大大傑作!

 

「元年春之祭」陸秋槎

 

以前、13・67の感想を投稿した際に私はこれからは中国系ミステリを目にする機会が増えていくかもしれない、なんてことを言った。13・67を読んだのが昨年末の大晦日であったから、その再会はとても早く訪れた。しかも、本作は二匹目のドジョウなどでは到底なく、まさしく帯に書いてある華文本格推理の傑作であったのだからその喜びは望外のものであった!

舞台は中国、時代は天漢元年(紀元前100年)。楚の国の山野にふたりの少女の姿があった。ひとりは長安の豪商の家の娘で一家の巫女として五経をはじめとするさまざまな古典に通じる博覧強記な才女・於陵葵。片やかつては国の祭祀を担った楚の名家・観家の末娘で才能に乏しい平凡な少女・観露申。ふたりは出会ったばかりであったが、姉妹のように打ち解けていた。

観家は春の祭祀の準備の真っ只中であり、一族の者が集まっていた。和やかな雰囲気で一族に受け入れられた葵であったが、観家には四年前に登場の当主一家が鏖殺される事件が起こっており、不穏な空気が宴の底に流れていた。そんな中、葵の側で露申の叔母が殺されてしまう。不可解なことに過去と現在のどちらの事件においても犯人が現場から消え去っていた。そして、さらに殺人事件が続いていき…。

本書の非常に大きな魅力のひとつに舞台選びの特殊さが挙げられる。本作の時代は紀元前100年、中国の前漢時代、前漢の最盛期でもある武帝の治世のことである。これまでも現代以外を舞台としたミステリーは多くあった。日本の作品でも米澤穂信の折れた竜骨が12世紀のヨーロッパを舞台としていたり、夢枕獏空海を唐の時代の長安安史の乱について謎解きさせた沙門空海唐の国にて鬼と宴すなどがあるし、セオドア・マシスンの名探偵群像は古今東西の偉人を名探偵として描いている(アレクサンダー大王が登場してるらしいので本作よりさらに時代が100年は古い)。

これらの作品のなにが楽しいか、というとやはり現代ではありえない謎、ということに尽きる。しかし、歴史とミステリーの融合は確かに魅力的であるが、そのハードルは途轍もなく高い。現代とは違う風俗、価値観、宗教、科学的な知見。魅力的な謎という大荷物を背負ったままそれらの要害を越えなくてはならない。歴史小説を一冊も読んだことがなかった作者がそれでもこの時代を選んだのは「考案した真相がこの時代以外にぜったい成立できないから」だ。

では、作者がそれほどにしてこだわったものはなんだったのか。この作品を読んだ人が口を揃えて言うのはこの事件のホワイダニットの特殊性だ。作者がこの作品を書くきっかけともなった三津田信三は「ミステリ史上に残る前代未聞の動機」と評している。これがとにかく凄まじい動機なのだ。そして、この特殊な動機が成立するためには舞台はやはりこの時代でなければならなかった。並大抵の知識でできることではなく、その情熱には尊敬以外抱きようもない。

また、これだけ特殊な作りをしているにもかかわらず、その作品はあくまでフェアに作られている。すべての謎を解くカギは作中に散りばめられていて、2回にわたって挿入されている読者への挑戦においても作者から明言されている。

作中で度々引用される儒教道教などの知識も一見難解で取っ付きにくそうに見えるが、作中で説明される以上の知識は必要としないから漢文の成績が芳しくなかった私も安心して読めた。

次に特筆すべきが作品に登場する少女たちの関係性である。メインとなるのは主人公である葵と新たなる友人である露申、そして葵の侍女である小休。この三人の関係がとても込み入っている。

まず葵と露申。頭は良いが革新的でエキセントリックで典型的な天才型名探偵の葵と頭は鈍く保守的で情に篤い露申はホームズとワトスンのようなコンビとなっていくのかと思った。しかし、そのバックグラウンドはそんなに分かりやすいものではない。葵は長安という大都市に暮らす豪族で望むものはなんでも手に入る。しかし、家の巫女として期待されている彼女は人並みの幸せを手にすることもその才能を国のために活かすことも叶わず世に倦んでいる。片や露申は楚の片田舎から出ることも叶わず、なんの才能も持ち合わせておらず、才能に恵まれた姉たちに囲まれて孤独を深めている。才能に溢れ、あらゆるものを持っている葵を見る露申となんの才能を持たず考えず呑気に暮らしている露申を見る葵。そのふたりの視線はやがて険を含んだものへと変わっていき、ある事件を経て憎しみにも似たものとなっていく。

もうひとりの少女・小休も一筋縄ではいかない。エラリー・クイーンの愛すべき従僕ジューナのような立ち位置にいながらその独立性は皆無で、「じゃあ、お前は私が死ねと言えば死ぬのね?」「はい、喜んで死にます」みたいなことを平気な顔して言ってしまうくらい葵に心酔している。その態度がまた葵をイラつかせ、かなりえげつない仕打ちを受けることとなる。

とにかく三者三様にすれ違っているのだ。お互いがお互いに愛情を抱いていて、お互いを想い合っているからこそこのすれ違いが悲しく、物語に深い影を落とすことになる。

この少女たちが抱えた思慕、苦悩、コンプレックスは現代に生きる私たちにも通じるものがあり、胸に刺さる。

確かな実力を備えた華文本格推理小説という新たな流行の最先端。これを見逃す手はない。ぜひ手に取ってもらいたい一冊である。

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書影。中国人作家の作品はハヤカワポケミス史上初であるらしい。

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有栖川有栖の双頭の悪魔。学生アリスシリーズの長編は軒並み読者への挑戦が挿まれてるけれど読者への挑戦が二度も挿まれたのは本作のみ。大傑作。

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葵と同じ引用癖のある名探偵エラリー・クイーンとその愛すべき従僕ジューナ。角川版のイラストもいいですね。

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作者が本作を書くきっかけともなった三津田信三の厭魅の如き憑くもの。刀城言耶にとっての怪奇は葵にとっての古典と似ているのかもしれない。

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米澤穂信の折れた竜骨。12世紀のヨーロッパが舞台というだけではなく、魔法が登場する特殊ミステリでもある。

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最近、染谷将太主演で映画化もされた。完結までに18年くらいかかってる超大作。

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セオドア・マシスンの名探偵群像。登場名探偵はアレクサンダー大王ダ・ヴィンチリヴィングストン、クック船長にナイチンゲールなどなど。

 

 

 

「コードネーム・ヴェリティ」エリザベス・ウェイン

 

1943年、第二次世界大戦最中のドイツ占領下のフランス。そこではイギリス特殊作戦実行部員の女性諜報員がナチスによって捕らえられ、厳しい尋問を受けていた。彼女は冷酷な親衛隊大尉とイギリス軍の無線暗号や空軍の情報を明け渡す取引に応じる。祖国の裏切り者と堕した彼女は与えられた紙切れに密告文とは思えない小説を書き始めた。彼女の親友であり、イギリス補助航空部隊の女性パイロット・マディの物語を。なぜ彼女は小説を書いたのか。そこには戦争という極限状況の中で誇りを失わなかった女性たちの真実(ヴェリティ)のための闘いがあった…。

物語はナチスに捕らえられた女性諜報員が自らの虜囚としての日々と彼女が占領下のフランスに潜伏することとなった経緯の回想とが手記の形式で進められていく第1部と別の人物による手記の第2部で構成されている。

1940年のダンケルクの戦いにおいて連合国をヨーロッパ大陸から駆逐したドイツはフランス国土を占領下に置いた。イギリスもドイツの爆撃機に空襲を受けるようになり、そのパワーバランスは圧倒的に劣勢に傾いていた。

物語はその最中、バイク屋の娘であり、機械いじりの腕が高じてイギリスの補助航空部隊でも数少ない女性パイロットになったユダヤ人のマディとスコットランド女王メアリー・スチュアートの血を引く貴族階級の才女で英国空軍夫人補助部隊の無線技術士のクイーニーのふたりが出会い、友情を育んでいく様が爽やかに描かれている。

英国空軍では激しいドイツとの闘いの中で戦闘機とパイロットが不足しており、マディは故障した戦闘機や戦闘機乗りたちを飛行場から飛行場へと運搬する任務に就いていた。一方、クイーニーはドイツ語をはじめとする高い教養と相手の最も弱い部分を聴きだす力を買われ諜報員として活動していた。

身分差もあり、全く性格も任務も異なるふたりだったが、戦争という非日常的な極限状況がふたりを図らずも結びつけ、お互いに欠かすことのできない比翼の鳥となっていく様は後に悲劇が待ち受けていると分かっていながらも美しい。

序盤の印象的なシーンがある。

 


クイーニーがマディの腰に手をまわし、その頰にさっと軽くキスをした。「〝キスしてくれ、ハーディ!〟よ。これはトラファルガー海戦のときにネルソン提督が言った最期の言葉じゃなかったかしら?泣かないで。わたしたちはまだ生きているし、すばらしい仲間よ」

 


このネルソン提督が腹心であるハーディ艦長に言った今際の言葉は作中何度も登場し、象徴的である。また〝すばらしい仲間〟はまさしくふたりの関係をそのまま言い表した名句でこちらも度々印象的なシーンで用いられる(本書の献辞でもアマンダという女性にこの言葉が献げられていることからもこの言葉が作者にとってどれだけ大きな意味を持っているか窺える)。

個人的にふたりの関係を百合だとかそういうわかりやすい言葉で言い括ってしまいたくはない。その点、原書でどのような表現をされていたのか知る術はないが、すばらしい仲間と訳した訳者の腕は手放しですばらしいと思う。

第1部の手記は自身の命の時間稼ぎを目的としても書かれており、親衛隊大尉をしてシェヘラザードと称される女性諜報員の雄弁な物語を形作る創造性と観察力はまさしく千夜一夜物語の王妃さながらである。故に描写は迂遠な道行きを辿り、また諜報の世界で得た情報も故意にはぐらかし、自身の本名すら明かさないような巧妙な情報戦をも展開しており、なかなか物語の全貌を読者にも掴ませない。

また実際にパイロットでもある作者ウェインのプスモス、ライサンダースピットファイアトム・ハーディが乗ってたやつです)などの航空機の専門的な描写はそっちの素養がないと「ほ、ほお…?」というわくわくというかちんぷんかんぷんの一歩手前というか絶妙な表情にさせる。

しかし、そうやって第1部で巧妙に仕掛けられた伏線が第2部で時限爆弾のように威力を発揮し、彼女がなぜこのような手記をしたためたのか判明したときの驚きは脱帽モノである。

本書は第1級のミステリー小説であり、スパイ小説であり、戦争小説である。そして物語の物語であり、その中心を女性の友情という確かな背骨が貫いている。とにかくよくできている物語だ。もっと早く読んでおけばよかった。またナチス強制収容所に捕らえられた女性パイロットを描いたローズ・アンダーファイアも刊行されたのでそちらも読んでみたい。おすすめです。

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本作の書影。創元推理文庫刊です。

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作者の新作、ローズ・アンダーファイア。もう一つの女性パイロットの物語らしい。

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クリストファー・ノーランダンケルク。本書と同じ時代のフランスが舞台だし、スピットファイアが超かっこいいです。

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デヴィッド・エアーのフューリー。こちらは戦車ですが。名作。

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テイストはだいぶ違うけど英国の女スパイ、そして友情と言えばプリンセス・プリンシパル。こちらは嘘がテーマ。おすすめです。

 

「名探偵の証明」市川哲也

 

ひとつのジャンルが生まれ、多くの作品が編み出されて膨張していくうちにやがてジャンルは熟成していく。そうすると、どのジャンルでも内への問いかけ、ジャンルの根源にあるものへの考察に重きを置かれていくようになっていく。ミステリというジャンルにおいて、その根源とはなんだろうか。謎、そしてそれを解き明かす存在。すなわち、名探偵である。本書はそのタイトルに紛うことなき名探偵の証明問題、そのひとつの解答例である。

東京のとある島で起きた連続殺人事件。その現場に居合わせた男・屋敷啓次郎。彼は名探偵であった。相棒の警官・竜人と鮮やかに事件を解決した啓次郎は人生の絶頂にいた。手掛けた事件の解決率は100パーセント、部下と弟子を取り探偵事務所を営み、テレビ出演や出版などの仕事もつつがなく行い、道行く女子大生にサインを求められる。啓次郎の活躍に刺激を受けた推理小説家が作品を連発し、世は「新本格ブーム」と呼ばれる名探偵ブームを引き起こしていた。

心地よい疲れに包まれながら事務所で仮眠を取った啓次郎が次に眼を覚ますとそこは三十年後の世界、寂れた事務所のソファの上であった。過去の事件の捜査中に芽生えたトラウマから探偵業から半引退状態となった彼は妻とも別居中で内職をこなしながら、なんとか事務所の家賃を捻出するような有様であった。世間ではタレントとしても活躍する女名探偵・蜜柑花子が再び名探偵ブームを引き起こしており、還暦を迎えた屋敷啓次郎は既に過去の人であった。しかし、名探偵への執着を捨てきれない彼は竜人の発破を受け、再起をかけてある事件に挑戦する。その事件に選ばれた名探偵は二人。屋敷啓次郎と蜜柑花子であった…。

本作はミステリ小説、それも新本格の形式を取っているような顔をしている。実際にミステリ小説賞である鮎川哲也賞の受賞作でもある。しかし、謎解きそのものはこの作品の背骨とはなっていないように感じる。正直、中盤までは「おいおいそんな大層なことかこれ?」というくらい冷めた目で読んでいた。それでも最後まで読むのをやめなかったのはこの作品のもう一つの顔が気になったからだ。

それは名探偵とはいったい何者であるのか、という問いかけだ。名探偵であることの栄光はこれまで多くの作品で触れられてきたが、本作では名探偵であることの負の側面について比重が置かれている。啓次郎はかつては名探偵の代名詞として社会に認められた存在であったが、現在はかつての栄光が見る影もないほど零落している。その姿はあまりに切ない。鮎川賞の選者のひとりの辻真先は「超人的存在の名探偵を凡人の座にひきおろす試みは面白く、新鮮な切り口であった」と述べている。では、名探偵であることの負の側面とはなにか。

例えば、名探偵コナン金田一少年が散々言われてきたことだが、「お前らがどっか行くと殺人事件が起きるから家でじっとしてろ」という言説だが、本作ではその点について深く触れている。啓次郎や花子もその言葉に深く傷つき、悩んだ過去を持っている。また名探偵であるが故に犯人の抹殺の対象とされてしまうことの危険性についてもその問題に深く関わってくる。自分がいなければ事件は起きなかったのではないか、また自分が危険を犯してまで事件を解決しなくてもいずれ警察が事件を解決するのではないか。世界でふたりの名探偵は名探偵しか持ち得ない苦悩に侵されていく。

中盤の山場となる事件を経て、啓次郎は人生を見つめ直す。彼は凡人として日々を生き、犯罪と名探偵に背を向けて新たな人生を歩き出す。しかし、その足取りはだんだんと重くなっていく。そして、いくつかのキッカケを経て、彼は名探偵の使命を再び取り戻す。名探偵の負の側面を超えて、なお手放してはいけない尊い使命を。その使命に突き動かされたラストは無常感に満ちている。真犯人の慟哭も悲しかった。

カーの髑髏城のような名探偵VS名探偵!みたいな王道のミステリ小説を期待して読むと少し肩透かしを食らうような感じは否めない。食い足りなさもかなりある。それでも本作のミステリというジャンルの内への問いかけ、名探偵という存在への問いかけとしての側面は面白かったし、本作を一作目に皮切られた三部作でこの問いかけがどうなっていくのか、続きが気になる。

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「エラリー・クイーンの冒険」エラリー・クイーン

 

波乱万丈の精神的な冒険を送る修道僧そのもののエラリーは、人生を気に入っていた。そしてまた、探偵(本人はその呼称を心から嫌っているのだが)でもあるので必然的にこのような人生を送らざるを得ないのだ。

(「ひげのある女の冒険」より抜粋)

 


これまでエラリー・クイーンの友人として彼が手がけた事件を物語として発信、自身も序文を添えるなど熱心な読者との橋渡し役を長年務めていたJ・J・マックのもとにエラリーから一本の電話が。曰く、僕も自分の物語を小説にしてみたくなった。君も知らない事件をノートから引っ張り出してきたので、また序文を書いてくれ、と…。

本作は長編の国名シリーズで名高い作者と同名の探偵エラリー・クイーンの短編集として1934年に刊行された。収録作品は1933年付近に書かれたものを集めたものであるらしいから、世の読者はローマ帽子の謎からエジプト十字架の謎あたりまでの名作長編でのエラリーの活躍は知っていたことだろう。だが本作はクイーンの第一短編集である。私も国名シリーズやドルリー・レーンの悲劇四部作といった長編は読んだことがあったがエラリー・クイーンの短編は初めてだった。しかし、後にミステリのアンソロジーを多く世に出した編纂者としても名高いクイーンが最も重要な短編集106冊を選んだ際に自薦した本書は短編集として屈指の出来である。

そもそもミステリの短編というのは非常に繊細な技巧を求められる難物である。少ない紙幅に読者を引きつける印象的な事件と読者を納得させる簡潔で明快な解答を求められる。キャラクターの特徴をごてごてと飾り立てる暇もなければ膨大な雑学や論理に論理を重ねる講義時間も取れない。優れた短編ミステリを書くのはある意味重厚な長編ミステリを書く以上に難しいのかもしれない。

本作はその点、これまでのクイーンの美しい論理構築で鮮やかに事件を解決する、という気持ち良さをギュッと短編に詰め込んだような素晴らしい短編ばかりが取り揃えられている。

クイーンの長編はたしかに面白い。大作を読んだという読み応えと幸福な満腹感がある。しかし、初めてクイーンに挑戦する人には少しばかりハードルが高いと言われるのもわかる。膨大な登場人物と数多の手掛かりや伏線、論点。舞台も劇場やデパート、病院と広い。それらを取りこぼさずに最後まで辿り着けるか。その点、短編は的が絞られている。解説者の川出正樹も本書の魅力をとっつきやすさ、だと述べている。

短編ではあるが、長編に比べて味気ない、なんてことは断じてない。描写は活き活きと踊り、登場する人物も意気揚々の曲者揃いだ。特にエラリーは行く先々で「もしかして、あなたがあのエラリー・クイーンさん?」「やれやれ。これだから有名人は困る」みたいなことを平気で言っちゃうし、なんだか女性への関心が高まってる気がする(というかローマ帽子のときはイタリアで父親と嫁と隠居してたはずなのになんでかニューヨークに戻ってきてるし、自分の冒険譚についてノリノリだし)。

以下、収録作品について触れていきたい。

「アフリカ旅商人の冒険」大学で犯罪学の講義を受け持つことになったエラリーは三人の教え子と殺人事件に挑む。生徒たちの推理を聴いたクイーン先生の成績講評にニヤリとさせられる。

「首吊りアクロバットの冒険」アクロバット芸人の美女が首吊り死体となって発見された。なぜ他に身近にあった四つの簡単な殺害方法ではなく困難な首吊りを選んだのか?というホワイダニットに唸らされる。冒頭のアクロバットに関する記述が素敵。

「ひげのある女の冒険」殺された医者が最期に手がけていた絵の中の女性になぜかひげが描かれていた。この奇妙なダイイングメッセージの意味とは?

「七匹の黒猫の冒険」体の不自由な猫嫌いな老婆がなぜか毎週決まって黒猫を購入する。可愛らしい猫とグロテスクな事件のコントラストが素晴らしい。ゲストヒロインも可愛い。

「いかれたお茶会の冒険」子どものために不思議の国のアリスの演劇を練習中だと言う金持ちの屋敷に呼びつけられ不機嫌なエラリー。しかし、気狂いの帽子屋役の屋敷の主人が衣装のまま失踪する。誘拐かと思われる状況の中、屋敷に奇妙な届け物の数々が。エラリーの鬼謀が光る。

他にも粒揃いの短編が揃っている。アメリカ代表の片眼鏡の名探偵の入門書としてこれ以上の一冊はないだろう。おススメです。

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「きみといたい、朽ち果てるまで」坊木椎哉

 


「新人賞の原稿を読んで、こんなに泣いたのは初めてだった。ーー傑作である」

こう言ったのは綾辻行人である。本書は日本ホラー小説大賞の優秀賞を受賞したらしいが号泣する綾辻行人というヴィジュアルが想像すると強烈で、興味を惹かれたのでホラー小説にはあまり縁がないけど手に取ってみた。

国家権力にもそっぽを向かれ、脛に傷持つ者たちが最後に流れ着く無法の街・イタギリ。街が吐き出し続けるごみをおんぼろのリヤカーで収集するゴミ屋の少年・晴史は仲間とともに死体(ロク)を燃やして骨を川に捨てる毎日を送っていた。酒浸りの父親や劣悪な職場環境に少年らしさを摩耗させながらも彼は街の目抜き通りである極楽通りで似顔絵と体を売る物売りと呼ばれる売春婦の少女・シズクを遠くから眺めることで安らぎを得ていた。

迷路のようにビルが乱立するイタギリには摩訶不思議なものが溢れている。動く死体のシナズとシナズを燃やすと現れる影と呼ばれる黒い人型。殺した死体から内臓を抜き取る“肝喰い”と呼ばれる通り魔。人を喰う魔物が住むという2番街の丑首ビル。そして、描いた人物の未来が聴こえるというシズクの予言。

理解はできないイタギリでの現実と大人たちの世界となんとか折り合いをつけながら、やがて晴史はシズクと少しずつ距離を縮めていく。しかし、2人の運命はイタギリという街の毒素を取り込んで悲情な終局を迎える…。

面映くなりそうなタイトルと爽やかで可愛らしいイラストから流行りのラノベのような見た目をしているが、中身はそんな浮かれ気分のラノベおじさんをなかなかハードでグロテスクな描写でお出迎えしてくれる怪作だ。そうだ、15年前、私が路地裏ラノベ少年だった頃もこんな作品が沢山あった。谷川流の絶望系や西尾維新きみとぼくの壊れた世界桜庭一樹の砂糖菓子の弾丸、風見周殺×愛…。感受性豊かなスレたようでピュアっピュアな少年少女を戯画化された残酷な展開で打ちのめすような作品群。暗黒ラノベなんて呼ばれたりもした歪な作品たちが。

本作もその系統を受け継いでいる。作品の背骨は健気な少年・晴史とか弱く不思議な少女・シズクのボーイミーツガールだが、とにかく不穏な要素が多過ぎる。「おまえもしかしてまだ、このまま図書館デート楽しいな、で終わるとでも思ってるんじゃないかね?」と心の戸愚呂弟が言ってくるような濃厚な火薬の匂いにむせる。

話の展開を隠し切れていない部分や登場人物が説明口調すぎる部分もあるが、それでもグロテスクで趣味の悪い露悪的な展開の果てに待っていたラストは意外で、かなりユニークで、そして言い知れぬ美しさを感じた。なるほど、綾辻行人が泣いた、と言うのもわかる。私も少しほろっときた。受け付けられない人には天地が逆さまになっても受け付けられないだろうけどそれでも、このラストはちょっと他の人にはそうそう真似できないだろうし、このラストのために他の全ての瑕が気にならなくなるほどの美点だ。

舞台となるイタギリの街もなかなか素敵だ。統治者の存在しない無法の街を舞台にしたラノベと言えば成田良悟の越佐大橋シリーズの越佐大橋や十文字青薔薇のマリアの無統治国家の首都エルデンなどがあるが、これらがヒャッハー!な人たちに溢れた陽の街だとするとイタギリはひたすら顔の死んだ人たちが闊歩する陰の街だ。街には様々な業務形態の娼婦や筋者、ホームレス、それと変態心理を抱えた犯罪者と死体に溢れ、4K(キツい、汚い、危険、気が滅入る)の仕事に誰もが心をすり減らしている。この街が生み出す独特の臭気が晴史とシズクの異彩を放つピュアさを極めて引き立てている。

ノスタルジックな気持ちと新鮮な気分を同時に味わえる楽しい作品だった。たまには若い気分になってこういう作品を読んでみるのもいいもんです。最後に作中の一文を引用してこの雑文を終えようと思う。

 


行くあても縁もまるでなかったが、海を目指そうと思った。

どれだけ歩けばいいのかすら知らなかったものの、打ち寄せる波と潮風に出会える確信はあった。

俺はまだまだ生きていける。

少なくとも、海へ辿り着くまでは。

黄昏の空に走る緑色の閃光を、まだ見ていないのだから。

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「動く標的」ロス・マクドナルド

 

作者の生み出した私立探偵リュウ・アーチャーのシリーズ第1作。本作はポール・ニューマン主演で映画化され、彼は先に売れっ子作家となっていた妻のマーガレット・ミラーに肩を並べることとなる。

美しい渓谷の街サンタ・テレサを訪れた私立探偵のリュウ・アーチャー。石油業界の大物のサンプソンの夫人エレインから受けた依頼はロサンゼルスの空港から消えた夫の行方を捜索してほしい、というものだった。旧知の元地方検事と元軍人のパイロット、サンプソンの成熟過程の美しい娘などから話を聞くうちにきな臭さを感じた彼はハリウッドの裏側に足を踏み入れる。その過程でエレインの元にサンプソン本人の署名入りの手紙が届く。その内容は10万ドルを用意しろ、というものだった。これは誘拐なのか?動く標的のように二転三転する事態に翻弄されるアーチャーの前にいくつもの死体が転がる…。

後に悲しき運命の傍観者であり、解放者ともなっていくリュウ・アーチャーだがその第1作はまだその片鱗を覗かせる程度で、従来のタフな私立探偵の紋切り型なキャラクターから完全に脱し切れていないように感じられる。本作の彼は事件の中心に拳銃片手に踏み込んで行き、ゴロツキを殺めてしまう場面もある。また道に迷う人々に投げかける言葉も少し説教臭い。中期以降の彼のイメージを知っていると少し鼻白む。

しかし、後の人間の全てに諦めを感じながらも傷ついた人間にそっと寄り添う彼のアイデンティティを感じさせる言葉の数々は読ませる。

「昔は世の中の人間というのはふたつに分けられると思っていた。善人と悪人にね」

「しかし、悪というのはそう単純じゃない。邪悪さは誰もが持っているものだ。ただ、それが行動に移されるかどうかは、実に多くの要因に拠っている。環境、機会、経済的なプレッシャー、不運、悪い友達」

「私の仕事の大半は人を見ることだ。人を見て判断することだ」

本作のアーチャーはよく自分のことを話す。それこそ彼が何度も喋りすぎている、と毒づくほどに。だが、先にも言ったがこの言葉に彼のアイデンティティがある。本書はリュウ・アーチャーという男の名刺だと言えるかもしれない。

事件を取り囲む登場人物も個性豊かだ。年若い娘への恋に盲目となっている中年の地方検事、戦争から抜け出せていない色男のパイロット、その二人の間で思わせぶりな態度を見せる未成熟な美しい娘。ハリウッドに忘れかけられ占星術にのめり込む中年女優、冷酷な黒社会の大物、宗教を隠れ蓑にした詐欺師など個性の濃いキャラクターたちを入れ替わり立ち替わりさせながらも渋滞させることなく描いている。そして、そのキャラクター性を巧妙に裏切るようなストーリー運びにも唸らされる。

中期三部作などに比べるとやはり物語も捻りが足りないと感じるが、それでも結末は意外な着地を見せているし、後のリュウ・アーチャーという男を形作る上で欠かせない布石が多くある。映画版を観てみたくなるし、ほかのシリーズ作品もまた違った読め方がすると思う。先日、シリーズ最終作のブルー・ハンマーもようやく手に入ったことだし、そこを目指して未読の作品を埋めていきたい。

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