「金子文子と朴烈」イ・ジュンイク


映画館で予告編を観るのが好きだ。特に初めて観る予告編ばかりであったら、本編など始まらずに予告編だけをずっと観ていたい気にさえなるときがある。この映画もたまたま予告編を観ただけで、事前の情報などなにも調べずに映画館へと足を運んだ。

 

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「わたしは犬ころである」

そう書き出された詩に目を止めたおでん屋で働く日本人の金子文子は、その詩の作者が日本人から不逞鮮人と呼ばれる朝鮮人社会主義者グループのリーダー格で、無政府主義者で朝鮮独立運動家の朴烈(パクヨル)という男であること知る。この詩と朴烈の人柄に惹かれた文子は強引に朴にアプローチをかけ、やがて彼と同棲するようになる。しかし、幸せのまっただ中、関東大震災が起こる。かつてない大災害を前に民衆の暴動の気配を感じ取った内閣の内務大臣・水野錬太郎は、彼らの怒りを政府からそらすために、朝鮮人たちが震災の混乱に乗して井戸に毒を投げ入れたという真偽の定かでない情報をもとに戒厳令を発令を提案する。警察による朝鮮人の不当な逮捕、収監だけでなく、自警団による朝鮮人の虐殺が始まり、朴たちは安全のために警察たちに逮捕されることを選ぶ。

朝鮮人虐殺が急速に全国に広まる中、水野は朝鮮人が日本人に反乱を起こそうとしていた証拠を得るために見せしめとなる朝鮮人として不逞社という朴が率いていた秘密結社に目をつけた。組織の中のメンバーを拷問し、朴が上海から爆弾を購入しようとしていた情報を掴むと、朴と文子を市ヶ谷刑務所へと収監し、裁判にかける。予審の最中、朴が爆弾は皇太子を狙った暗殺計画のためだったことを認めると、彼らの罪状は大逆罪へと変わる。大逆罪の量刑は死刑のみ。しかし、それは朝鮮人初の大逆罪人という肩書きとともに朝鮮民族独立の英雄となって死ぬことを願った朴の一世一大の大見得であった・・・。

関東大震災がきっかけで起こった朝鮮人大虐殺については、わたしも学生時代の世界史の勉強中に習っていたが、その様相はわたしが歴史の一単語と思っていたよりもはるかに悲惨で許容しがたいものであった。虐殺の被害者が六千人近くになったという作中の情報が真実であるかはわたしも判断がつかないが、それでもそのうちには真実であった事件もあったことであろう。

当然、被害者側である韓国で造られた映画であるから、日本人に対する描写は同じ日本人として心苦しくなる場面も多い。天皇制に対する主張も額面通りに受け取れば、日本人として受け入れがたいところもある。しかし、それでもこの映画は日本憎しで造られた映画ではない。この映画で文子や朴が訴えているのは人間として平等に生きることの尊厳であり(天皇も日本という国家を維持するための被害者であるという描かれ方をしているように思えた)、当時の権力者や関係者たちは自らの保身と朝鮮人たちへの差別感情で行動しているが、やがて彼らのまっすぐな姿に少しずつその行動を改めていく。単なる昔の朝鮮人すげえ映画ではないバランス感覚がうかがえる。

わたしがこの映画を観ていて考えさせられたことは闘うことについてだ。日々、ツイッターなどを見ていると、あらゆる人たちがなにかについて怒っている。そして、自分の主張を延々だらだらと書き連ねている。わたしなどはそれを実に不毛だとしか感じないから、そんなものなど存在しないように自分の楽しいと思うことだけを見ています、みたいな態度をして過ごしているが、この作品を見ていてすこしわかったことがある。闘うことはある種の娯楽なのだ。たとえそれが怒りに満ちたものであっても、きっとその最中にいる人は心のどこかでそれを楽しんでいる。社会の不具に相対し、それを正している自分の姿にうっとりし、それに打ち込んでいる間は他のもっと現実的な憂さを忘れられるのだろう。作中序盤の朴や文子にも共通したものを感じる。思想的に堕落した同志を私刑し、雑誌に自分の理想や虚飾に満ちた主張を書き続けている。

だが、当局に逮捕され、自らの死が近づいてくるにつれ、彼らの主張は純化され、愛する人と死に、自らの理想を後世の人に繋いでいくために残された日々を使うようになっていく。社会の不平等さに怒りを抱くことは間違いではない。ただ、手段や目的を間違えてはいけないとも思う。誰かを断罪することにのみ快楽を見いだすようになってしまってはいけない。

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ともすれば苦しくなってしまうような物語の中で清涼剤となっていた主演のチェ・ヒソのキュートさには脱帽だ。わたしは裁判中の黒髪ロング丸眼鏡姿に胸を打ち抜かれたクチだが、それ以外の場面もキュートの塊であった(予審中に「やべ・・・いらんこと言ってしもうた・・・」みたいなとことか最高だった)。

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「静かにしろ!」は個人的に今年一のパワーワードだ。

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朴烈役のイ・ジェフンも高地戦以来久しぶりに観たが、あのときのイケメンさは形を潜め、薄汚い底辺政治活動家っぷりを怪演していた。序盤こそ自らを犬ころというような狂犬っぷりからおどけた狂人さを垣間見せたが、やがて文子と心を通わせ、自らの死期を悟るようになってその険は取れていき、やさしい顔つきへと変わっていき、涙を誘う。ふたりが獄中で写真を撮るシーンは非常によかった。

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判事役のキム・ジュンハンもむちゃくちゃなふたりに振り回されながらもやがてふたりに理解を示していくところがよかったし、作中一の極悪人・水野錬太郎役のキム・インウも実に清々しいクズっぷりだった。

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苛烈で強烈なラブストーリーだった。もう掛かっている映画館も少ないとは思うが、ぜひ一度観てもらいたい作品だった。おすすめです。

 

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韓国版プライベート・ライアンこと高地戦と爽やかなイ・ジェフン。

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最近の作品で関東大震災を扱った作品といえば馴染み深いのは風立ちぬじゃないでしょうか。

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大正時代が舞台の田代裕彦富士見ミステリー文庫の名作・平井骸惚此中ニ有リの中でも関東大震災中に起きた殺人事件を扱った第4巻。復刊された一作目の売れ行きが振るわなかったようで、第1巻以外は読みづらい現状。辛い。