「合邦の密室」稲葉白菟

 

島田荘司が故郷の広島県福山で優れた本格ミステリ作品を賞する地方文学賞・ばらのまち福山ミステリー文学賞の第9回新人賞準優秀賞作品である。

「お母さんはわたしに毒を飲ませました」

大阪府からの助成金カットの沙汰に揺れる文楽芸術協会。大阪文楽劇場での公演中に見つかったノートに書かれた謎の手記。母に毒を飲まされ、顔を溶かされた子供が、切断された父の生首が空中に浮かび上がるのを目撃したーーちょうど劇場でかけられていた合邦辻とも被る奇妙な手記を文楽三味線の弦二郎はノートを書いた人物を探すが、やがて44年前に文楽の聖地とも言える離島で起きた殺人事件との関係が浮かび上がる。離島での巡業中に起きた存在しないはずの文楽三味線の音色、消えた正体不明の旅回りの太夫、謎の天才人形師の生き人形、そして「母のところに行かなくては」と言い残した人形遣いの腫れ上がった赤黒い顔…。さまざまな謎を抱えたまま再び行われる離島の巡業に幼馴染の物書き・海神惣右介と弦二郎はそこでなにかを発見したらしい舞台関係者の墜落死体を発見する。しかし、その男は密室にいたはずだった…。

文楽とミステリと言えば少年ジャンプで連載された原作・写楽麿、作画・小畑健の人形草子あやつり左近が思い出される。あやつり左近は人形遣いが主人公であったため、主に人形について焦点が絞られていたが、こちらは語り手のひとりである弦二郎が三味線であり、またもう一人の彼の相方として長谷太夫が登場することから文楽の三業をバランスよく描写している。またあやつり左近は金田一少年的な作品であったため、人形遣いの名探偵としての描写が優先されて文楽界の内情に踏み込んだものは少なかったが、こちらはかなり深く業界の内幕を描いている。特に大阪人としては助成金カットのくだりは感慨深いものがある。このあたりは落語の神田紅梅亭寄席物帳シリーズを彷彿とさせるお仕事ミステリ感もある。

そして、やはりこの作品は本格ミステリである。探偵役の海神は文楽だけでなく、芸術や神話への造詣が深い神秘的な美青年。一方、人の善い好青年だが少し抜けたところのある弦二郎をワトスン役に大阪弁で進む怪奇的でありながらじんわり優しい読感は有栖川有栖の両アリスシリーズを彷彿とさせる。

事件の背後にある悲劇は途方もなく深くてやるせない。しかし、海神は実際に起きた事件の密室ではなく、関係者の間に存在する秘密という名の密室を類稀なる推理力と深い優しさによって解き放つ…。

緻密に組み上げられたミステリの強度と心地よい人間の営み、そして芸術への深い敬意。途轍もなく巧くできた本格ミステリだ。本作がデビューとなる作者のこれからの作品を追いかけていきたくなると同時に、文楽を観てみたくなること間違いなしです。ええもん読ましてもらいました。おススメです。

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