今週のお題「2018年上半期」

 

 

2018年上半期に読んだ本

 

屍人荘の殺人 今村昌弘

樽 F・W・クロフツ

サマー・アポカリプス 笠井潔

ニューヨーク1954  デイヴィッド・C・テイラー

うまや怪談 神田紅梅亭寄席物帳 愛川晶

三題噺 示現流幽霊 神田紅梅亭寄席物帳 愛川晶

幽霊塔 江戸川乱歩&宮崎駿

私が殺した少女 原尞

怪盗不思議紳士 我孫子武丸

そして夜は蘇る 原尞

明智小五郎事件簿Ⅰ 江戸川乱歩

真実の10メートル手前 米澤穂信

ピアノ・ソナタ S.J.ローザン

明智小五郎事件簿Ⅱ 江戸川乱歩

山魔の如き嗤うもの 三津田信三

エジプト十字架の謎 エラリー・クイーン

奇術探偵 曾我佳城全集 秘の巻 泡坂妻夫

飛蝗の農場 ジェレミー・ドロンフィールド

『アリス・ミラー城』殺人事件 北山猛邦

月光亭事件 太田忠司

『クロック城』殺人事件 北山猛邦

ガラスの街 ポール・オースター

シャーロック・ホームズ 絹の家 アンソニーホロヴィッツ

縞模様の霊柩車 ロス・マクドナルド

その可能性はすでに考えた 井上真偽

べにはこべ バロネス・オルツィ

二都物語 チャールズ・ディケンズ

合邦の密室 稲葉白菟

探偵AIのリアル・ディープラーニング 早坂吝

 

その中で、特に面白かったのは

 

私が殺した少女

『アリス・ミラー城』殺人事件

ピアノ・ソナタ 

二都物語 

幽霊塔 

 

でした。

下半期も面白い本を読みまくりたいなあ、と思いました。マル。

 

「幽霊塔」江戸川乱歩&宮崎駿

 

恥ずかしながら初乱歩である。江戸川乱歩が日本の代表的名探偵・明智小五郎の産みの親であることは百も承知だし、映像化された作品は何本か観ているし、筋を知っている作品もいくつかある。満島ひかり明智小五郎、超良かったですよね。しかし、乱歩を活字で読むのは初めてである。普段からミステリミステリ言ってるくせに基本中の基本を押さえられていないコンプレックスが地味にあったりしたので(エドガー・アラン・ポーのモルグ街もまだ読んでない。オチは知ってるけど)いつか読んでみたいと思いながら作品と版元の選択肢が多過ぎるのでなかなか手が伸びずにいたが、今回ようやく読んでみて、これがまあ面白かった!

幽霊塔は江戸川乱歩黒岩涙香がイギリスの推理小説を翻訳した作品をさらにリライトした作品であるが、岩波書店版は乱歩と同じく少年時代に幽霊塔に出会った宮崎駿がフルカラーの漫画と絵コンテで作品のネタバレすら厭わない偏愛的な情熱をもって解説するという超豪華仕様である。

大正時代のはじめ、長崎のとある田舎町にある叔父が購入した旧い時計塔のある屋敷を訪れた青年・北川光雄はそこで美しい女性・野末秋子と出会う。幽霊塔と呼ばれる時計塔に秘められた財宝と亡霊の伝説の秘密を握っている秋子のミステリアスな雰囲気と美しさに心奪われた光雄は一途な愛に目覚めるが、秋子の陰のある過去と幽霊塔を巡って起こるさまざまな事件に翻弄されていく…。

とにかく本作の素晴らしいところは魅力的なキャラクターたちである。一本気で不器用で愛すべき語り手・光雄の全力全開の愛を分かっていながらも強かな意志で躱し、己が使命に邁進する謎の女・秋子が全編に渡ってグイグイ物語を引っ張っていく様は目を剥くしかないヒロイン強度を誇っている。彼女こそがこの物語の主人公と言えるだろう。嫉妬に狂い策謀を巡らす光雄の許嫁・栄子や猿を連れた秋子の乳母、秋子の過去を知る光雄の恋敵の黒川、警察の名探偵・森村や悪の巣窟であるクモ屋敷の主人の悪党に東京の怪しげな老科学者、小銭をせびりまくる浮浪児、毒薬を密売する薬屋の老婆…そんな濃過ぎるキャラクターたちが要所要所で渋滞することなくビシッとハマるしキメる。こんな怪人物たちに取り囲まれ恋路を阻まれまくってもなお一途な愛を貫かんとする光雄はとにかく健気で愛おしい。

そして光雄よりもある意味主人公然としているのが舞台となる幽霊塔である。宮崎駿少年がその歯車だらけの機械室に夢中になり、画工になってからカリオストロの城を作るきっかけともなったと語る時計塔の内部はまさに冒険と呼べる世界が広がっていて読んでいてワクワクが止まらない。他にも無数の蜘蛛が犇めくクモ屋敷の怖気をふるう感じや怪しげな装置が地下室に所狭しと並べられた老科学者の屋敷など舞台描写が本当に光っている。

宮崎駿の職人技のような絵コンテのおかげで読んでいる間も全編ジブリ映画のような奥行きのある活き活きとしたシーンで再生することができる。本人は映画化はしない、と断言しているが前言撤回は宮崎駿お家芸なので是非形にしてもらいたい。

幽霊塔は旧い作品だ。しかし、冒頭の漫画の中で宮崎駿はこう述懐している。

「わたしたちのこの時代は通俗文化の大洪水の中にある。だが幽霊塔は19世紀から続いている。ワシは子供の時に乱歩本で種をまかれた。妄想は膨らんで画工になってからカリオストロの城を作った。ワシらは大きな流れの中にいるんだ。その流れは大洪水の中でも途切れずに流れているのだ」

この面白さはあと1世紀経っても色褪せない。そう感じました。

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「真実の10メートル手前」 米澤穂信

 

ユーゴスラヴィアから日本に来た少女・マーヤが四人の高校生と過ごすきらきらとした日向のような日々と彼女が日本を去った後に訪れた夕闇のような寂寞の時間。その四人の高校生の中の一人、美しいロングヘアと無愛想にも捉えられる起伏の少ない美貌の中に途方も無い思慮深さと激情を秘めた少女・太刀洗万智。さよなら妖精のラストにおいて主人公・守屋路行に重要な事実を告げることになった彼女が成長し、ジャーナリストとなった姿を描いているのが本作である。

米澤穂信の作品といえば、真っ先に日常の謎にボーイミーツガールをのせた青春ミステリを想像してしまうが、その著作のジャンルは多岐に渡っている。時代小説と魔法が存在する殺人事件という特殊ミステリを組み合わせた折れた竜骨、私立探偵と助手を主人公にしたハードボイルド調な犬はどこだ、クローズドサークルものの本格ミステリに挑戦したインシテミル、などなど実に芸の多い作家なのである。

本作の前作にあたるさよなら妖精米澤穂信の青春ミステリそのものであるとするなら本作はそこから一歩外れたところに踏み出た作品となっている。

本作で扱う事件は失踪者の行方の調査、若者の心中事件、老人の孤独死、幼女殺害事件などの非日常の事件が主だ。太刀洗は雑誌のフリージャーナリストという事件取材をする者の中でも弱い立場であるから事件の第一発見者となって事件を推理することはなく、警察発表や新聞記者たちよりも遅れて調査を開始することがほとんどで真正面から死体を眺めるようなことはないが立ち込める死の匂いは濃厚だ。

主人公の太刀洗も前作から15年以上の時を経て、人の見られたくない真実を暴く記者という職業に関して自問自答を繰り返している。そこに前作のような青春ミステリのきらやかさはいっぺんも存在しない。

しかし、太刀洗の本質は前作から深化はしていてもブレてはいない。記者として非常に優秀で他の同業者が掴んでいない情報を類稀なる推理力から手にしたとしても、仕事だからと非情に徹し切ることはなく、掴んだ情報を慎重に慎重を期して吟味し、それを発表することによって起こる波紋を考慮する。そんな彼女は自身のやり方を綱渡りだと喩える。そしていつか落ちる、とも。情報を簡単に発信できるようになった現代でその行為の責任と意義を見誤らないように一歩一歩踏み出して真実に向かって行く姿は求道者のようである。

決してハッピーエンドとは言えない話ばかりだ。しかし、俗に黒米澤と言われるような胸糞悪くなるようなイヤミスでは決してない。

この一冊の出来も非常によいが、名の明かされない前作の登場人物が現在の彼女を見つめる話やマーヤの家族が登場するなどさよなら妖精を読んでいる人に嬉しいサプライズがある。なにより、彼女の現在の在り方はやはりさよなら妖精のラストの彼女の身を切るような決断と叫びが大きく影響していると考えずにはいられない。ぜひ本作と合わせて前作と、そして本作の途中の時系列に収まる長編・王とサーカスも読んでもらいたい。私はこれから王とサーカスを読んでみるつもりだ。楽しみで仕方ない。

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「その可能性はすでに考えた」 井上真偽

 

かなり前にクローズド宗教施設モノが好き、って話の流れで後輩のUくんにおススメしてもらって買ったまま今まで積んでた一作。読んでみて納得のクローズド宗教施設モノで、大変意欲的な構成の良作だった。Uくん、本当にありがとう。

奇跡がこの世にあることを証明する、という妄執に取り憑かれ、湯水の如く財を溶かしてしまう博覧強記の青髪赤衣の奇人・上苙丞とそのスポンサーで中国黒社会の大物であるフーリンのもとに依頼人の女性が現れる。女性はかつてカルト宗教団体の隠れ村で起きた集団自殺事件の唯一の生き残りだと名乗り、その村で起きた奇跡の解明を上苙に依頼する。その奇跡とは村で共に過ごした少年が首を斬られたまま彼女を抱えて助け出した、という奇怪極まるもの。まるでキリスト教の聖人を彷彿とさせる不可解な状況は奇跡なのか。調査を開始した上苙の前に様々な論理の刺客が現れ、その奇跡が奇跡でない可能性を列挙するも、彼は「その可能性はすでに考えた」と圧倒的に不利な条件を跳ね除けて可能性を否定し、奇跡が奇跡であることを証明しようとする…。

人によって創り出された奇跡と見紛う状況を論理によって現実のものと解明し、破壊するという展開の作品はこれまでも多くあった。最近であれば古野まほろのセーラー服と黙示録のシリーズなどがそうだった。しかし、本作はその真逆である。「あらゆる不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる」というのはホームズの有名過ぎる名台詞だが、上苙は「あらゆる可能性を消去して、最後に何も残っていなければ如何に奇妙なことであってもそれが奇跡である」のスタンスでありとあらゆる可能性を否定していく。それに対峙する論客たちもそれを承知の上で机上の暴論とも言える言うだけならタダみたいな仮説をぶち上げてくる。彼はそんな悪魔の証明と真っ向から戦わなければいけない。途轍もない茨の道だ。

メフィスト賞作家らしい、と言うか本作はキャラ小説的な側面が強い。上苙はエキセントリックが過ぎるし、フーリンは考えることが血生臭過ぎるし、彼らの前に立ち塞がる論客たちは藤田日出郎の描くキャラかよ、みたいな感じはある。途中少し胸焼けがした。けどアクの強いキャラがいるからこそラストの美しさが引き立っている。

そしてもう一つラストの美しさに寄与しているのはこの事件の特殊性にある。すなわち私が愛して止まないクローズド宗教施設である。クローズド宗教施設にはその閉ざされたサークルの中でしか生きられない論理や情緒がある。今回の村においてもその特殊性が陰惨でありながら美しいと感じさせる情景と叙情を産んでいる。それはこの事件、この作品でしかお目にかかれないもので、本当に素晴らしい。

本当に素晴らしい作品を紹介してくれて感謝に絶えない。こういう出会いがこれからもあればいいと思うので色んな人のおススメが聞けたらなあ、と思った。

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「『アリス・ミラー城』殺人事件」 北山猛邦

 

騙された。本ッッッ当に気持ちよく騙されたッッッ!なんでこんな面白い本を2年近く積ん読にしてたのか!自分をぶん殴りたい!

本作の作者は北山猛邦西尾維新佐藤友哉と同時期に『クロック城』殺人事件でメフィスト賞を受賞し、ファウストなどで活躍した。「一作家一ジャンル」なんて言われるメフィスト賞作家の中において、他の「これ、ミステリか?」と言いたくなるような作家(褒め言葉。西尾維新佐藤友哉も当時は面白ラノベの人だと思ってた。これも褒め言葉)が多い中で比較的新本格の体裁を守っていた人らしく、「物理の北山」なんて呼ばれるくらい物理トリック(機械的な仕組みを持つトリック。針と糸による密室とか氷の弾丸とか)にこだわりを持つ。それくらいの情報しか読む前は持っていなかった。

物語の舞台は日本海にポツンとある孤島に建てられた城。その城には至る所に鏡の国のアリスの意匠が施され、アリス・ミラー城と呼ばれていた。その所有者の美女ルディに召集された探偵たちは島に存在するあるものの捜索を依頼されていた。その名はアリス・ミラー。探偵たちは正体すらわからないアリス・ミラーを求めるが、ルディが提示した条件は「発見されたアリス・ミラーは最後まで生き残った人物のものとなる」というものだった。絶海の孤島、謎の古城、ミラーの奪い合いによる死を匂わせる状況、探偵たちの頭には嫌でもクリスティのそして誰もいなくなったの内容が頭を過る。さらに城内に不気味に用意された王のいない進行中のチェス盤。これはかのインディアン人形と同じ死の見立てなのか。探偵としての矜持と疑心暗鬼に揺れる探偵たちを嘲笑うように殺人事件が起き、チェスの駒が減っていた…。

繰り返しになるけど本当に騙された。最初読み終えたときに理解が完全に至っておらず、「え?」となって慌てて解説サイトを見に行き、その隠された企みの数々にゾッとした。自慢するわけじゃないけど、「あれ?」と引っかかったポイントは割と的外れではなかったようだ。しかし、そんなさざ波のような疑念を搔き消すくらい次々と繰り出される謎、謎、謎のラッシュに私のトリ頭は翻弄され、思考の隅へ隅へ追いやられてしまっていた。

本作は鏡の国のアリスそして誰もいなくなったという二本の柱のもとに物語を進めていくので嫌でもそちらに思考を奪われてしまう上にクローズドサークル、入れ替わりや密室などミステリに馴染み深いお約束がこれでもかと登場する。さらに作者が物理トリックの専門家であることも手伝って、どうしてもそちらへと思考が傾くのを止められない。ミステリに慣れている人ほど深みに嵌っていってしまうような話運びが憎い。

登場人物も天才型の名探偵、酸いも甘いも噛み分けたタフな探偵、博識で好々爺なご隠居探偵、エキセントリックな女探偵などさまざまな類型の探偵が登場して探偵問答ミステリ論議がバンバン出てきて楽しい上にセカイ系みたいな展開も見せたりするあたり「これこれ~!」となるあの時代のファウストっぽさもある。

しかし、このひとつの大トリックにすべてがひっくり返される衝撃、爽快感、やはり思い出さずにいられないのは綾辻行人十角館の殺人だろう。そして、登場する物理トリックのスコーンとなる気持ち良さ、これは島田荘司の斜め屋敷の犯罪、占星術殺人事件を読んだときに近い。作者もやはりこの二人からは多大な影響を受けたらしい。あともう一作強烈に頭をチラついた作品があるんだけど、これ言うとネタバレになるので口が裂けても言えない。でもいつか全部読んだ人と感想を語りたい。

作中でも触れられているが物理トリックは今後先細っていくしかない悲劇の子である。海外でも本格ミステリが息絶え絶えで心理トリックに重きが置かれている中、これだけ物理トリックで闘っている人がいるのはとんでもないことだと思う。心の底から応援したい。マジでオススメです。

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「ピアノ・ソナタ」S.J.ローザン

 

ABC(American born Chinese:アメリカ生まれの中国人)の女探偵リディア・チンとアイルランド系の中年探偵ビル・スミスの私立探偵コンビがニューヨークで起きる事件を捜査するシリーズの第2作。本シリーズの特徴は一作ごとに物語の語り手がリディアとビルの二人で交代していくところにある。

本作の語り手はビル。警察官の叔父を持ち、ベトナム戦争では海軍として従軍。その後、私立探偵となる。相棒のリディアを深く愛し、ピアノソナタを時計を組み立てるように弾きこなす。

物語はニューヨーク、ブロンクスの老人ホームの警備員が深夜に殴殺されたことに始まる。殺しの手口から犯行は地元のギャングの仕業とされたが、被害者のボスでビルの叔父は釈然としないものを感じる。被害者とも浅からぬ関係にあったビルは叔父の頼みとあって事件を捜査するべく問題の老人ホームへ潜入調査を行うが…。

前作、チャイナタウンは女探偵リディアが語り手であり、タイトル通りにチャイナタウンが舞台となっていたが本作はブロンクスが舞台である。ブロンクス禁酒法時代からアイルランドとイタリア系移民のギャングが栄えた地域であるが、近年それらの移民が他の地域に進出した後に増加しているのはプエルトリコやドミニカ系の黒人やヒスパニックである。彼らの多くは貧困層であり、犯罪率も非常に高い。ビルと親交を深める元ギャングの青年も「ここには勝つやつなんていないのさ」と諦めを込めてビルに警告する、そんな街だ。将来に希望のない若者たちは自然と連帯し、仲間以外から奪うことによって仲間を護り、犯罪に手を染めていく。知識のない子供たちは薬物とエイズに汚染され、死んでいく。そんな街にあって隔離されたように清潔なホームは異質で、それを取り巻く慈善家の大人たちも口では美辞麗句を並べるが、その肚の中は仄暗い。ビルは様々な正義を疑いながらも独自の調査を続けていく。

前作はアメリカで生きるチャイナガールの溌剌とした作風だったが、本作は王道ハードボイルドの私立探偵もので武骨そのものである。また、前作ではジョークが達者な頼り甲斐のあるナイスガイ、といった印象だったビルが、その内実は非常に繊細で孤独な傷ついた中年男性であるという新たな発見がある。そして、前作では自らの非力さを呪っていたリディアがビルにとって非常に大きな精神的支柱となっているのがわかる。これは語り手が交代している構造がもたらす面白さであると思う。この二人の決してゼロにもイチにもならない距離感がヤキモキさせるしキュンとくる。

物語は悲劇的な結末を迎えるが、ビルは傷ついた体を引きずりながら事件の関係者のもとを尋ねて回り、後始末を行なっていく。その後始末が実に粋で、非常に爽やかな読後感があった。

ローザンは本作でアメリカ私立探偵作家クラブ賞であるシェイマス賞を受賞している。またリディアが語り手の天を映す早瀬でも同じく同賞を受賞している。同じ作者の二人の探偵がそれぞれアメリカ最高の私立探偵の称号を得ていると考えると実に意義のあることだと思える。そしてこの二人がコンビを組んでいるのだから最高だ。

実力のある作家の佳作を読んだ。次も楽しみだ。

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「私が殺した少女」原尞

 

この度、14年ぶりの新作、それまでの明日が発売されたことが話題となっていたので始めて手に取った原尞だが目を剥くくらい面白く毎晩ページをめくる手が止まらなくなってしまった。和製ハードボイルドとか和製チャンドラーなんて言われる作家の中で僕が一番好きだったのは矢作俊彦だったけれども原尞も一気にそこに並んでしまった。

「まるで拾った宝くじが当たったように不運な一日は、一本の電話ではじまった」と始まる物語は新宿のはずれに事務所を構える私立探偵・沢崎が小説家・真壁の愛娘でバイオリンの天才少女の清香の誘拐事件の身代金運搬役に成り行きで選ばれるところから始まる。犯人からの指示のもと愛車のブルーバードで都内を走り回された沢崎は途中、謎の男二人組に襲撃され、身代金6000万円を奪われてしまう。犯人からの連絡は途絶え、沢崎は無力感に苛まれる。数日後、真壁の義兄の甲斐から彼の子供たちが誘拐に関わっていないことを調査してほしいという依頼を受けた沢崎は独自の捜査を開始するが…。

探偵と一口にいってもその類型はいくつか存在する。「名探偵みなを集めてさてと言い」というような論理と弁舌によって謎を解き明かすクレバーな名探偵もいる。一方、足による捜査と経験による勘によって謎にしがみついていくタフな探偵もいる。苗字しか明らかになっていないこの探偵は明らかに後者である。作者が敬愛するチャンドラーのフィリップ・マーロウもハメットのサム・スペードやコンティネンタル・オプもロス・マクドナルドリュウ・アーチャーもそうである。前者がエキセントリックな性格になりやすいのに対して、後者の探偵は忍耐強く常識的な性格なものが多い印象がある。作者も「沢崎は自分の理想でも分身でもない。彼は究極の常識人でこの世のあらゆる事象に偏見も予断も持っていない」と沢崎のキャラクターについて語っている。

その違いはなんだろうか。私はエキセントリックな名探偵たちの社会的な身分との差にその違いが現れやすいのではないかと思う。名探偵たちは生まれつき名家に生まれているか、自分の能力によって一角の地位を得ていることが多い。自分の持てる権力や能力によって難事件の解決という成功体験を得てきた彼らは自然と自信を身につけ、その功績から自分の思うがままに振る舞うことが許される。しかし、常識的な探偵たちはそうではない。警察や軍隊、あるいは普遍的な社会的役割から落伍し、自ら探偵という職を選んだ彼らは社会的に探偵が卑しい職業であるという偏見の中で疎まれ、時に裏社会で暴力に晒され、敗北を重ねていく。灰色の脳細胞を持たない彼らは自然に負け犬根性と常識の中でタフに生きることを身につけていく。

沢崎も敗北の歴史を持っている。かつての探偵の上司である渡辺が警察との捜査中に一億円と大量の覚醒剤を持ち逃げしてしまったのだ。そのことで警察とヤクザの両方から共犯の疑いをかけられ、拷問に近い取り調べを受けた過去が未だに彼のキャリアに大きな影を落としている。今回の事件でも誘拐の共犯を疑われ、かつての因縁の刑事に睨まれる。しかし、彼はそこで怯むことない。過去の負債を払うかのように自分の事件だと捜査に踏み込んでいく姿は痺れるくらいかっこいい。

彼らはタフだが冷徹な人非人ではない。非道な犯罪者は許さないが傷ついた者達には不器用な優しさを見せる。名探偵は犯罪者を白州に座らせ、奉行のように一段高いところにいるかのように振る舞うこともあるが傷ついた探偵は白州に座るものたちと同じ目線を持っている。私はそんな彼らが好きだ。

原尞は30年の文筆業の中でわずか5作の著作しか持っていない。しかし、彼が探偵・沢崎シリーズを十津川警部並の量で刊行していたら私の人生は沢崎だけで終わってしまうだろう。これくらいがちょうどいいのかもしれない。新たに面白いシリーズに出会えて多幸感が溢れている。和製ハードボイルドももっと掘ってみようと思った。

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