「真実の10メートル手前」 米澤穂信

 

ユーゴスラヴィアから日本に来た少女・マーヤが四人の高校生と過ごすきらきらとした日向のような日々と彼女が日本を去った後に訪れた夕闇のような寂寞の時間。その四人の高校生の中の一人、美しいロングヘアと無愛想にも捉えられる起伏の少ない美貌の中に途方も無い思慮深さと激情を秘めた少女・太刀洗万智。さよなら妖精のラストにおいて主人公・守屋路行に重要な事実を告げることになった彼女が成長し、ジャーナリストとなった姿を描いているのが本作である。

米澤穂信の作品といえば、真っ先に日常の謎にボーイミーツガールをのせた青春ミステリを想像してしまうが、その著作のジャンルは多岐に渡っている。時代小説と魔法が存在する殺人事件という特殊ミステリを組み合わせた折れた竜骨、私立探偵と助手を主人公にしたハードボイルド調な犬はどこだ、クローズドサークルものの本格ミステリに挑戦したインシテミル、などなど実に芸の多い作家なのである。

本作の前作にあたるさよなら妖精米澤穂信の青春ミステリそのものであるとするなら本作はそこから一歩外れたところに踏み出た作品となっている。

本作で扱う事件は失踪者の行方の調査、若者の心中事件、老人の孤独死、幼女殺害事件などの非日常の事件が主だ。太刀洗は雑誌のフリージャーナリストという事件取材をする者の中でも弱い立場であるから事件の第一発見者となって事件を推理することはなく、警察発表や新聞記者たちよりも遅れて調査を開始することがほとんどで真正面から死体を眺めるようなことはないが立ち込める死の匂いは濃厚だ。

主人公の太刀洗も前作から15年以上の時を経て、人の見られたくない真実を暴く記者という職業に関して自問自答を繰り返している。そこに前作のような青春ミステリのきらやかさはいっぺんも存在しない。

しかし、太刀洗の本質は前作から深化はしていてもブレてはいない。記者として非常に優秀で他の同業者が掴んでいない情報を類稀なる推理力から手にしたとしても、仕事だからと非情に徹し切ることはなく、掴んだ情報を慎重に慎重を期して吟味し、それを発表することによって起こる波紋を考慮する。そんな彼女は自身のやり方を綱渡りだと喩える。そしていつか落ちる、とも。情報を簡単に発信できるようになった現代でその行為の責任と意義を見誤らないように一歩一歩踏み出して真実に向かって行く姿は求道者のようである。

決してハッピーエンドとは言えない話ばかりだ。しかし、俗に黒米澤と言われるような胸糞悪くなるようなイヤミスでは決してない。

この一冊の出来も非常によいが、名の明かされない前作の登場人物が現在の彼女を見つめる話やマーヤの家族が登場するなどさよなら妖精を読んでいる人に嬉しいサプライズがある。なにより、彼女の現在の在り方はやはりさよなら妖精のラストの彼女の身を切るような決断と叫びが大きく影響していると考えずにはいられない。ぜひ本作と合わせて前作と、そして本作の途中の時系列に収まる長編・王とサーカスも読んでもらいたい。私はこれから王とサーカスを読んでみるつもりだ。楽しみで仕方ない。

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