「歌う船」アン・マキャフリー

 

なんとなく女の子の話が読みたくなって、積ん読の中から引っ張り出してきた。本作の主人公はヘルヴァ。生まれつき畸形であった彼女は申し分のない頭脳を認められて、肉体を捨て去り、脳を金属の殻に閉じ込めた殻人(シェルパーソン)として生きることとなる。やがて殻人の学校を卒業した彼女はその脳を宇宙船に移し、〈中央諸世界〉に奉仕する頭脳船として任務に奉じることとなる。そうこの作品のヒロインは鋼鉄の身体を持つ脳味噌宇宙船ガールなのだ。

サイボーグ船として抜群に優秀で、宇宙船としての能力に絶対の自信を誇るヘルヴァは肉体を最新の宇宙船にすることで負った借金を〈中央諸世界〉に返すべく任務に打ち込む。そんな彼女はこの世のあらゆる楽曲と歌劇を愛し、あらゆる声域をカバーして歌うことから“歌う船”としてその存在を知られていく。

サイボーグの宇宙船なんて言われると冷たいユーモアを持った機械っぽい女声を想像してしまいそうだが、ヘルヴァはとにかく感情に溢れ、無神経で無能な人間や社会の古い慣習なんかに怒り、ロマンチックな空想に思いを馳せ、ディランの歌詞やシェイクスピアの台詞を誦じたりする、極めて人間臭い存在だ。

そんな彼女をさまざまな乗船客が取り囲む。彼女と歌の趣味を同じくしあくまで人間として彼女と付き合う理想の男や自殺することを認められず仕事に打ち込むキャリアウーマン、未知の惑星にシェイクスピア演劇を売り込む劇団員にとにかく口が悪いが彼女が気になって気になってしかたない監督官などなどあらゆる人間が彼女の特異な目を通して語られる。

SF慣れしていないのであまりに現実離れした描写に想像力が置いてけぼりになったところは多々あったが、あくまでもガジェット頼りの設定小説ではなく、広大な宇宙で生きる人間の物語であったため、そのロマンチックな世界に浸ることができた。そしてラストはびっくりするくらいのラブストーリーである。本当に可愛くて力強い女性の物語。面白かった。

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「ミステリー・アリーナ」深水黎一郎

 

毎年大晦日に放映される国民的娯楽番組「ミステリー・アリーナ」。出題された推理小説の真相を出演者同士が推理を競わせ、正解者には莫大な賞金が与えられる。今年は属性不問、厳しい選抜を潜り抜けた14人の真のミステリマニアたちが勢揃い。そんな彼らに与えられた問題は「陸の孤島となった屋敷で起きた密室殺人」。少しずつ明らかになっていく事実を基にライバルたちより先んじて自慢の推理を発表していく参加者たち。しかし、番組の裏でも不穏な事態が進行していた…。

名探偵が五里霧中を呈した難事件に推理という名の灯火で照らし出し、唯一無二の真実を見付け出す、と言えばミステリーの王道であると思うだろう。しかし、推理小説の歴史は長く、その懐は恐ろしく深く貪欲だ。多くの詭道、邪道、獣道が発見され、その道が後を続くものたちに踏みならされて新たなる王道を作り出していった。その道のひとつが『多重解決』である。

多重解決とは「たったひとつの真実見抜く!」という孤高の名探偵のスタイルとは真逆に幾人もの探偵やそれに準ずる人たちがひとつの謎にいくつもの推理を展開するミステリ作品のことを指す。

この作品群で最も有名な作品と言えばイギリスのディテクションクラブの創立者のひとりであるアントニー・バークリーの毒入りチョコレート事件だろう。6人の素人犯罪研究マニアたちが毒入りチョコレートを食べて死んだ女性の殺人事件の真相を推理し合う、という多重解決と言えば毒チョコ、なんて言われるくらいに有名な古典ミステリだ。他にも日本では三大奇書の一角である中井英夫の虚無への供物がある。最近の作品の中では先の記事で挙げた井上真偽のその可能性はすでに考えた、円居挽のルヴォワールシリーズ、城平京の虚構推理などがある。

前置きが長くなってしまった。それではこのミステリー・アリーナのなにが出色なのか。それはひとつの事件に対して15通りの解答が用意されていることにある!1929年の毒チョコが8通りの解答があったことを思えば実に2倍に近い。本作品は多重解決の極北と称され、本格ミステリベスト10で1位に選ばれたのをはじめ、ミステリーランキングを席巻した。

バークリーも試行錯誤の実験作として毒チョコを書いている(毒チョコ以降は心理的アプローチにシフトしていっている)が、この作品も徹底して企画先行型のミステリ、多重解決ありきで書かれた作品である。

多重解決の作品は謎そのものはシンプルなことが多く、見方を変えるだけで真相がガラリと変わる。本作品も作中のほんの些細な一描写から「○○=犯人説」や「△△=犯人、ただし実は××だった説」みたいな推理が飛び出してくる。15通りも推理が存在するので中には美しさを感じる解答もあったが、一方そのお約束やメタにまで踏み込んだ先読みっぷりは凄まじく、「うわあ、ミステリオタクってこんな読み方してるんだ…」と思わせるような珍解答もある。というか珍解答の方が強めだ。ただ、そこは毒チョコから90年という時代を経て、様々な議論を経てきた読者の眼の進化した証のようにも思う。

好き嫌いはかなり別れると思う。特に犯罪から生まれる人間の陰や叙情を重んじる人には厳しいかもしれない。正直な話、自分も本作品のあまりに軽薄過ぎる文章と話運び、キャラ造形は苦手というかかなりキツく感じた。

しかし、その不満も文庫版の後書きを読んで少し和らいだ。作者は本作品で限りなく純度100%に近いミステリー小説を目指していたのである。凡庸な表現を極限まで廃し、無意味な描写が一切ない、何一つ無駄がなく真相へと推理の行軍が辿り着けるようなギリギリまで灰汁を濾し取った極上のエキスのような文章。作者はこの夢想に憑かれたのだ。

圧倒的な情熱と技巧によって書かれた怪作である。間違いなく今後、多重解決と言えば?という会話の中でミステリ好きの中で名前があがるようになる作品となるだろう。一読の価値ありです。

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「『クロック城』殺人事件」 北山猛邦

 

またか、という感じだけどそれくらい面白かったんだよ、北山猛邦。と言うわけで氏の『城』シリーズの記念すべき一作目である。最前の感想で言った通り本作で氏はメフィスト賞を受賞した。

舞台は太陽からの磁気嵐によって1999年9月に世界が滅亡することが判明している日本。幽霊をボウガンで退治することのできる探偵・南深騎とその幼馴染でゲシュタルト理論に造詣が深い菜美の探偵事務所に謎の美少女・黒鴣瑠華が訪れる。瑠華は彼女が住まう城の壁に現れる人面瘡と城に代々現れる時空に穴を開けて人を呪い殺す幽霊・スキップマンを深騎に退治してほしいと依頼する。瑠華の命を狙う世界を滅亡から防ぐことを標榜したテロ組織的自警団に事務所を襲撃されながらも瑠華に導かれた深騎たちは深い森の中に過去・現在・未来の時間を指し示す巨大な時計を三つ抱く古城・クロック城に辿り着く。クロック城には瑠華の父親の黒鴣博士とその家族と助手や使用人、秘密組織から派遣された調査員たちという風変わりな面々が揃っていた。時間という概念が歪んだクロック城の調査を行なっていく最中、城内で二つの首斬り死体が発見される。行き来が不可能な二つの現場に加え、その切断された頭部はさらに別の部屋で眠り続ける瑠華の姉のもとで発見されて…。

クロック城やアリス・ミラー城は一応同一シリーズという括りになっているが作品ごとにキャラクターや舞台の繋がりはなく、共通した設定は存在するものの、独立した作品となっている。

それでも、このシリーズの根底に流れる終末的な描写の独特さは共通したものだと思う。地球が滅亡する前の世界での刑事の姿を描いたベン・H・ウィンタースの地上最後の刑事シリーズも世界観は似ているが、あちらが世界が滅ぶのに刑事を続けること、犯罪を処罰することの意義を探る求道者のようなストーリーであるのに対し、こちらは「どうせ世界は滅ぶんだ」と社会や慣習と言ったようなしがらみを一切斬り捨て「自分とあの子」という関係をクローズアップしたセカイ系的なストーリー展開をしている。

正直、綾辻行人時計館の殺人と通底した舞台と時間を利用した物理トリックの造り込みの力の入り方とこのセカイ系的世界観のミスマッチ感は否めない。アリス・ミラー城ほど巧くもない。それでも嫌いになれない。いや、好きだ。なぜならこの物語は北山猛邦にしか造れない、と思うからだ。

新海誠雲のむこう、約束の場所の「選べよ。サユリを救うのか、世界を救うのか」って台詞に心奪われたあの時代のオタクなら心の柔らかい部分に触れる部分があると思う。

最後に文庫版の解説をした有栖川有栖の言葉が後輩と本格ミステリに対する愛に溢れていて素晴らしかったので抜粋する。

「この世は、本格ミステリを必要とする人間ばかりではない。それは〈ゲシュタルトの欠片〉のように〈どうせ幽霊みたいな存在〉であり、〈ぼんやりと夢想のように現れる幻影〉。消えたかと思うと現れ、射抜いたからといって殺せるわけでもない。それでも北山猛邦は、ボウガンを手に追ってくれるだろう。誰にでもできる業ではないことを自覚しつつ。そして私は、この特異な才能に満ちた作家を追い続けたい」

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「縞模様の霊柩車」ロス・マクドナルド

 

ある日、私立探偵であるリュウ・アーチャーの事務所に退役軍人のブラックウェル大佐とその美しい後妻が訪れる。二人の娘のハリエットが素性の知れない画家の男をメキシコから連れてきて、のぼせ上がっているという。ハリエットは実の母親に捨てられて以来屈折した、顔も美しくなければ器量もない、ただあと一年で五十万ドルを相続することが決まっているだけの哀れな娘。金目当ての結婚に違いないと息巻く大佐はアーチャーに画家の素性の調査を依頼する。調査を進めていくうちに画家は過去に殺人事件の容疑者として指名手配されていたことが分かるも、ハリエットと男は消えてしまい…。

ハードボイルド小説の名訳者にして研究者である小鷹信光はギャルトン事件から始まり、ウィチャリー家の女、さむけ、そしてこの縞模様の霊柩車の中期三部作が発表された時期をマクドナルドの円熟期と捉え、以後の作品をそのパターンの繰り返しと評している。また、ミステリ研究家の霜月蒼も同じく中期三部作を高く評価している。霜月氏の解説はぼくが「あー、うー、とにかくすごいの!!!(怒)」ってなるところを的確に言語化されていて素晴らしいのでここにリンクを記しておく。https://allreviews.jp/column/1854

解説の通り、アーチャーは観察者である。彼は「テクテク歩くほうが専門でしてね」と嘯くようにとにかく精力的に関係者の間を動き回る。そこにアーチャー以前の私立探偵のような腕っ節に頼るタフな交渉はない。彼はとにかく相手に粘り強く質問し、宥めすかしたり脅したり感情に訴えたりして話を聞き出し、相手の表情ひとつ見逃さないように観察することで彼も読者も一度も接見したことのない人物の仔細を構築していく。そうして読者の記憶から零れ落ちそうなほど膨れ上がった登場人物の関係図が終盤に次々と結びついていくのは見事の一言に尽きる。

さむけは母親と息子の話だったが、本作は父親と娘の話だ。その呪いのような親子関係の結末はあまりに悲劇的で多くの人を傷つける。アーチャーはそれを取り繕おうとはしない。ただ、あるがままを見つめるのみである。ラストにある人物と歩き出すアーチャーがとにかくかっこよく、この事件を乗り越えてきた読者のご褒美のような印象的なシーンとなっている。

そして、今回もタイトルが素晴らしい。今回は縞模様の霊柩車という存在が物語の不穏さを象徴するのみでなく、実際に事件解決にハンドルを切る証拠品を運んでくる。それは一度はコースアウトしたかに思えたレーシングカーが後半に白煙とともにドリフトしてコーナーインしてくるような爽快感だ。

とにかくよく練られたプロットと物語を的確にラベリングしたタイトル。そして、リュウ・アーチャーの生き様のかっこよさ。緻密に計算された精密機械のビックリ箱のような作品だった。おススメです。

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「狩人の悪夢」有栖川有栖

 

有栖川有栖をワトソン役に据えた氏の作品は学生アリスシリーズと作家アリスシリーズがあるが、本作は後者である。推理作家のアリスと臨床犯罪学者の火村英生がホームズ役に犯罪のフィールドワークとして事件を解決する本シリーズは今作で25周年になる。その歴史は新本格ブームの歴史と共にあると言っていい。

事件は京都・亀岡の山奥のアリスの作家仲間で悪夢を必ず見るという部屋のある家に暮らすホラー作家の周りで謎の女性が首に矢が刺さった状態で発見されたことより始まる。凶器の矢はホラー作家の代表作の主人公の武器を模したもので女性はさらに片手を切断されていた…。

私はどちらかというと学生アリスの方が肌に合っていると思っている。閉ざされたキャンプ場、絶海の孤島、訳ありの芸術家が暮らす山村、信仰宗教の総本山、などクラシカルに胸が踊る舞台設計がいい。そこに瑞々しくドラマチックな展開、読者への挑戦などのおもてなし精神が加わって、その味わいは格別だ。

それに対し、作家アリスは舞台が比較的地味だと感じることが多い(国名シリーズも全部読んでないくせに、とも思うけど…)。しかし、作家アリスには学生アリスにはないものがある。それはホームズとワトソンの関係性である。学生アリスのホームズ役の江神先輩はアリスの憧れの人物であり、そのミステリアスな雰囲気を測りかねているアリスにとって対等な関係とは言い難い(そこが学生アリス最大の魅力でもあるのだけど)。その点、作家アリスと火村は学生時代からの腐れ縁で、言いたいことを言い合える対等な名探偵と名助手である。そのやりとりがファンをにやにやさせるだけでなく本作では犯人を前に推理を披露する際、火村だけでは犯人を追い詰めきれず、アリスの手にも追及の矢が委ねられる。これは作家アリス独特のスタイルだなあ、と感じた。

事件の背景はなかなか悲劇的で、さらに作者が日々溜まっていた鬱憤をアリスが代弁するようなシーンもあったりするけれど、ラストは2時間サスペンスのエンディングのようなほっこりするサプライズもあったりして、実に氏の作品らしい温かい読後感だった。

私は有栖川有栖の本を読むと必ず旅に出たくなる。双頭の悪魔を読んだ後、アリスたち英都大学推理小説研究会の面々が旅した国道32号線を歩いて徳島の大歩危まで旅した。今回の舞台の亀岡のオーベルジュもまあいい雰囲気だ。また有栖川有栖の本を片手に旅をしてみたくなった。

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「吸血の家」二階堂黎人

 

二階堂黎人作品を読むことを実は憧れながらもずっと手が伸びずにいた。氏の作品の代表作としてあまりに有名な人狼城の恐怖があるが、その全貌は全4巻、4000ページにも及び、ギネスブックに登録された世界最長の推理小説なのだ。京極夏彦の最厚作品である絡新婦の理や綾辻行人の全4巻の暗黒館の殺人でもだいたい1400ページほどであることからでもどれだけ長いかわかるだろう。しかも長いだけでなく、1999年の本格ミステリ・ベスト10で第1位を取っているのだから途方もない話だ。

最近、上下巻の作品を読むことにすら躊躇するようになってしまっているので、いつか読みたいと思いながらもなかなか手が出せずにいたが、たまたま古書店で同じ二階堂蘭子シリーズの本作を見つけ、手頃なページ数だったので読んでみた。やっぱりめちゃくちゃ面白いじゃないか!

警視正の父を持ち、ハリウッドの映画女優のような豊かな巻き毛と怜悧な顔と猫のような黒い目を持ち、犯罪捜査に手を染める美貌の名探偵・二階堂蘭子とその兄・二階堂黎人の元に奇妙な話が持ち込まれる。彼らの溜り場の喫茶店に頭巾で顔を隠した謎の女が現れた。女は近くある家で殺人事件が起きることを二階堂家に知らせてほしい、と客たちに告げると一悶着を起こした後、吹雪の街の中に飛び出していった。その顔は髑髏のように眼窩が落ち込み、口の端から血を流していたように見えたと言う。さらに女の足跡は逃走中にまるで幽霊のように掻き消えていた。

女の話に出てきた家は二階堂家と親戚筋に当たる雅宮家のことだった。雅宮家は江戸時代から遊郭を営んでいた一族の末裔で、代々美しい女たちが支配する女系の一族だった。その家には座敷牢で一族を呪いながら死んだ血吸い姫と呼ばれる翡翠姫の伝説があり、さらに戦中に迷宮入りした脱走兵の殺人事件と謎の毒殺魔が浮かび上がる。事件を担当した刑事から事件のあらましを聞くとその脱走兵は雅宮の屋敷の庭で毒の塗った短刀で刺し殺されていたという。しかも、その死体の周りは雪で覆われていたにも関わらず犯人の足跡が存在していなかった…。

雅宮家には現在、絃子・琴子・笛子の美しい三姉妹がおり、絃子の娘で神がかりに悩まされる病弱な冬子のために怪しげな女霊能力者による浄霊会が行われることになっていた。そこで事件が起こるに違いないと踏んだ蘭子と黎人は雅宮家の屋敷を訪れるが、やがて屋敷にて過去の事件を彷彿とさせる不可思議な密室殺人事件が起こり…。

本作の大きなテーマは「足跡なき殺人」の謎である。雨で泥濘んだ地面や雪原などが現場の事件で犯人、あるいは被害者の当然あるはずの足跡が残されていない謎について言及した不可能犯罪であるが、その類型の作品は膨大に存在し、作中でも多くの作品に言及される。私が読んだことあるもの中で即座に浮かび上がるのは、江戸川乱歩の何者、有栖川有栖スウェーデン館の謎、島田荘司占星術殺人事件などがある。そして、最も有名なものと言えばやはり作者自身が本作を書く上で挑戦したというカーのテニスコートの殺人だろう。私は生憎まだ読んでいない(こんなに悔しいことはない!)が、カーの不可能犯罪への並々ならぬ執念と怪奇的な演出に関してはカーキチの作者へ間違いなく受け継がれている。カーの三つの棺に登場するフェル博士の「密室の講義」や緑のカプセルの謎に登場する「毒殺講義」などのように二階堂蘭子による「足跡なき殺人講義」が打たれていることもにやりとさせられる。

だが、この小説はそんなファンにとってのお約束の記号を羅列しただけの小説なのかと言うとそんなことは断固としてない。本作の結末はとても悲劇的な様相を見せるのだが、この不可能犯罪のトリックがその悲劇にとても深く悲しい影を落としている。膝を打つような素晴らしいアイディアのトリックでありながら、「うわあ…」と思わず宙に視線を逃さずにいられない、そんな趣深いものに仕上がっている。

トリックも素晴らしいがそのトリックを演出する登場人物や舞台、歴史描写を欠かしては光らない。横溝正史作品のような薄暗い情感のある雰囲気と妖しい気品を持った登場人物。これがなにより素晴らしい。作者も文庫版のあとがきにてこのように述べている。

「もしも、本格ミステリーにおいて、日本固有の題材があるとするならば、私は、美貌の姉妹が出てくる惨劇的な探偵物語だと主張します。横溝正史の『犬神家の一族』、高木彬光の『刺青殺人事件』、島田荘司の『占星術殺人事件』、宮野叢子の『鯉沼家の悲劇』、京極夏彦の『絡新婦の理』など、この分野には傑作が目白押しです。ぜひ『吸血の家』と合わせてお読みいただきたい。そして、推理小説をもっともっと好きになってください」

カーの不可能犯罪への燃えるような情熱と横溝正史の日本的な密やかな情感が新本格ブームの波の中で花を開いたの本作なのではないだろうか。読む前からビビってばっかりいないで色んな名作に挑みたくなるような推理小説界の水先案内人のような骨太で素晴らしい作品だった。おススメです。

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「スチーム・ガール」エリザベス・ベア

 

ツイッター界隈で話題になったヒューゴー賞作家によるSFスチームパンクである。舞台は蒸気機関が史実よりも発達した19世紀アメリカの都市・ラピッドシティ。街の高級娼館で縫い子(娼婦の隠語。アメリカでは実際に表向きは服を仕立てる縫い子として娼婦に客を取らせていたらしい。日本で言うところの仲居と客の自由恋愛、みたいな建前か)をしている少女カレンのもとにインド人の美少女プリヤが逃げ込んでくるところから始まる。プリヤを追うのは街の悪党バンドル。娼婦たちを奴隷のように扱うバンドルと娼館の女傑マダム率いるカレンたち娼婦は対立を深くする。その最中、街では娼婦を鞭で打ち殺し、ゴミ捨て場に捨て去る連続殺人鬼も現れる。連続殺人鬼を追って現れた黒人副保安官とその相棒でコマンチェ族のインディアンを仲間に加え、カレンはプリヤを守るべく鋼鉄の鎧を纏う…!

美少女スチームパンク百合アクションといえば直近ではプリンセス・プリンシパルが放映されていたが、今作もプリプリに負けていない。また冲方丁マルドゥック・スクランブルのバロットも娼婦のヒロインだったが、本作のヒロインのそのパーソナリティは対照的である。カレンは赤毛のアンのような語り口の想像力の逞しい前向きな少女だが、床を掃除するより男と寝る方が楽に稼げるとあっけらかんと言ってのける。そんなカレンが一目惚れしたのは異国の褐色の美少女プリヤ。初めは自分が作った服をプレゼントしたり、街をお買い物デートしたりする清い交際をしているが、「私があなたに特別な気持ちを抱いてると告げたらこの子はどう思うだろう?引いちゃう?だったら言うのやめとこうかな…」みたいな葛藤をしたりする(かわいい)。そんな彼女がバンドルたち悪党の容赦ない仕打ちに奮い立ち、悪党をとっちめたりとっちめられたりしながらも最後は派手に爆発四散させる。そのヘンテコな器に盛られた最高に王道なストーリーに思わず膝を打った。

SF要素も抜かりはない。鋼鉄の触手を持つ潜水艦や人を操る怪しげな装置、人を焼く手袋などふしぎの海のナディアに出てくるような発明品が出てくるし、なによりカレンは中に乗り込む鋼鉄のミシンに乗って大暴れする。何を言ってるのかわからないと思うが私もよくわかってない。

娼婦たちのリーダー格のオネエ様、ローンレンジャーのような保安官とインディアンの相棒(マグニフィセント・セブンのチザムとレッドハーベストっぽい)など脇を固めるキャラも個性的だ。

とにかく溌剌としてかわいいキャラと胸熱な展開に2日で読み切ってしまった。久しぶりに路地裏ラノベ少年の血が騒ぐ逸品でした。おススメです。

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