「アメリカ銃の謎」エラリー・クイーン


ニューヨーク、ブロードウェイに一大ロデオショーがやってきた。〈暴れん坊〉ビル・グラント座長に率いられるロデオ一座の目玉は往年の西部劇スターであるバック・ホーンのカムバックであった。クイーン家の愛すべき従僕であるジューナにせがまれ、ロデオショーに赴いたクイーン警視とエラリーの親子。二万人の観衆の前に華やかに登場したバックを数多のカウボーイたちが追う。彼らの拳銃が一斉に発射された次の瞬間、西部劇の英雄の体は傾き、馬から落ちる。彼は射殺されていた!

すぐさま会場は封鎖され、ショーの出演者の拳銃が集められる。しかし、被害者のものを含めた45挺の拳銃はどれも凶器ではなかった。二万人の観衆も残らず身体検査をされ、会場もくまなく捜索されるもついに拳銃は発見されなかった。一体誰が、どうやって、二万人の目の前で大胆にも人を殺し、そして消えおおせてしまったのか…エラリーが解決に挑む。

国名シリーズ第6弾であり、デビュー作であるローマ帽子の謎の大劇場、フランス白粉の謎のデパート、オランダ靴の謎の病院と着実に舞台の広さと容疑者の数を増やしてきたクイーンであるが、いよいよ来るところまで来てしまった感がある。なんと言っても今回の容疑者は二万人もいるのだから。エラリー自身も「次はヤンキースタジアムかもしれないですね」とか不吉な予言をしちゃってるから手に負えない。毎回、現場を封鎖したり、容疑者の身体検査をするクイーン警視の部下たちは本当に大変そうだが、今回はかつてない規模で気の毒なほど憔悴していく(警視の片腕で鋼鉄の巨人と称されるヴェリー部長刑事が思わず居眠りをしてしまうほどだ)。

しかし、その二万人の容疑者の中からたったひとりの犯人へと辿り着くまでの消去法のロジックはさすがのクイーン、見事である。そして、忽然と姿を消した一丁の凶器が登場人物たちの目の前に姿を現わすの瞬間の劇的さ、思わず膝を打ちたくなる意外なその隠し場所も面白い。

そして、今回のアメリカ銃の何が出色かというと饒舌なキャラ造形と風景描写だろう。前口上でエラリーが友人のJ・Jに事件を振り返る印象的な場面がある。

 


「さて、ここに黒の色水があるーーバック・ホーン本人だよ。そして、金色の水ーーこれはキット・ホーンだ。ああ、キット・ホーン」彼はため息をついた。「頑固な灰色の水ーー暴れん坊のビル爺さん、そう、〈暴れん坊〉ビル・グラントだ。健康そうな褐色の水はーー彼の息子の〈巻き毛〉君。毒々しいラベンダー色の水はーーマーラ・ゲイという……ええとゴシップ新聞はなんて呼んだっけ。ああ、〈ハリウッドの蘭〉だ。……その夫のジュリアン・ハンターは、ぼくらの分光器にかけるならドラゴンの緑だね。トニー・マーズはーー白、かな?プロボクサーのトミー・ブラックはーー力強い赤。〈一本腕〉のウッディーーあの男は蛇の黄色がぴったりだな。そして、その他大勢だ」エラリーは天井に向かってにやりとした。「なんとも華やかな色彩の銀河宇宙じゃないか!」

 


なんとワクワクする割り振りであろうか。そして、これに飽き足らず事件が起こるまでの間にとにかく饒舌にページを使いまくって顔に刻まれた表情や会場に立ち込めるにおいまでもが感じられるほどキャラと舞台を作り込んでいく。そして、丹精込めて作り上げた舞台と役者たちが出揃ったときに起こる事件の大波乱。これには呑まれてしまった。

解説の太田忠司も触れていたが、これまでのクイーンは推理小説としての純度を上げるためにキャラの個性や情景描写を省いていた部分がある。しかし、今回はそこから一歩踏み出し、パズルの記号としての登場人物や舞台に留まらない華やかでドラマチックな物語を作る生きた世界を作り上げ、普遍的な小説としての完成度を増しているように思えた。

そして、先述の通り、その饒舌な語り口が推理小説としての論理を曇らせるようなことはない。むしろ高度に共生しているとさえ言える。

毎回読む度に新たな発見と新鮮な驚きを感じさせてくれる本家・国名シリーズ。新訳で読みやすく手に入りやすくなっている。そしてクイーン先生が「ええか?キャラはこうやって盛っていくんや!そして風景はこう!」って言ってるみたいな饒舌な語り口は物語を書く人ならば一度ぜひ読んでみてもらいたい。おススメです!

 

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書影。早く次のシャム双生児の謎も読みたいんだけど次の新訳はXの悲劇らしい。

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大観衆の前で起きる事件といえばパニック・イン・スタジアム。パニックになって逃げ惑う大観衆がマジで怖い。

 

「乱鴉の島」有栖川有栖


「あらかじめ告白しておきますが、私は断定できるほど確かな推論は持ち合わせていないんですよ。あるのはただ、想像を束ねた棍棒みたいなものです。これからそいつで、犯人に一撃をくれます」

 


魔眼の匣を読んでたら猛烈に有栖川有栖が読みたくなったので、前から読みたかった本作を買った。本作は探偵役に臨床犯罪学者の火村英生とワトソン役にミステリ作家・有栖川有栖を配した作家アリスシリーズの長編である。

春休み、大学の激務からガス欠気味の火村英生は下宿の大家の勧めで三重県にある離島の民宿へ友人である有栖川有栖を伴って旅行へ出かける。しかし、ほんの小さな間違いが重なり、彼らは烏島と呼ばれる島へと置き去りにされてしまう。その島には象徴詩人として高名な主人とそのファンが懇親のために集っていた。部外者として居心地の悪さを感じながらも彼らの連れてきた子供に懐かれた2人は、その島に留まることに。

そこに新たな闖入者がヘリコプターとともに現れる。その男は新鋭の起業家であり、テレビを賑わす若き富豪。この男はとある目的から会の参加者である医師を追ってきたのだった。その目的とは彼の持つクローン技術であった。明らかになった事実から火村たちはこの島に集まった人々の様子がおかしなことに気づき始める。その疑念を裏付けるように島で殺人事件が起こり…。

外界から隔絶された孤島が舞台になるミステリ作品といえば枚挙にいとまがない。最も有名なクリスティのそして誰もいなくなった江戸川乱歩の孤島の鬼にパノラマ島奇譚、横溝正史の獄門島綾辻行人十角館の殺人森博嗣すべてがFになる、そして作者も学生アリスシリーズにおいてすでに孤島パズルという孤島モノの傑作を書いている。

しかし、アリスによって前口上で語られるように、あるいは火村自身によって「こんな奇妙な事件は聞いたことがない」と語られる本作もそのコピーに偽りはない面白さだった。

鴉が不気味に飛び遊ぶ孤島、集まった曰くありげな人々、古風なエドガー・アラン・ポーの詩作と未来的とも言えるクローン技術の実在性の対立。しかし、その理想的とも如何にもと言える舞台において起こる事件は非常に地味だ。火村が「いたってありふれたもの」と言うのも頷ける、解決になるほどと唸るも非常に小粒な事件だ。解決編も想像を束ねた棍棒というように快刀乱麻、鮮やかとは言い難い部分がある。たしかに孤島という条件でしか成立はしないが、やはり孤島パズルと比べると見劣りしてしまう。

だが、本作の肝は殺人事件ではない。この事件の核となる人々のドラマだ。何故この島に人々が集まったのか、何故この島で殺人事件が起きなければならなかったのか。路傍の花のようなありふれた殺人事件を人間の倫理観を問う作劇と心に迫る心情描写で巧みに活かしてみせる。やった解決だ!という気持ちよさよりも胸にズンと来るような忘れられないものが残る。これもまた有栖川有栖の持ち味だと思う。

そして事件も地味ではあるが面白さはきちんと担保されている。これまで警察に捜査協力してきた経歴を持つ火村は基本的にすんなりと事件現場で優位な立場を確保してきたが、本作ではいつものように能動的に現場に乗り込んだわけではなく、巻き込まれ型のアウトサイダーだ。そこがネックとなって島の人間から容疑者扱いを受けるなど非常に危ない立ち位置に立たされる。そこがスリリングであった。また、登場する起業家は明らかに堀江貴文を意識して書いてあり、当時のことを懐かしみながら読んでいた(ホリエモンも今じゃすっかり面白だけの人になっちゃったよね)。

江神二郎が相対した孤島とはまた別の孤島モノ。しっとりした雰囲気はスウェーデン館が好きな人はハマると思います。面白かった。また斎藤工窪田正孝で映像化してくれないかなあ。

 

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書影。作家アリスシリーズはいくつもの出版社に横断して出版されているが本作は新潮社。表紙の「Nevermore」とはポーの詩・大鴉にて大鴉が語りかける言葉。

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学生アリスの孤島モノである孤島パズル。鮮やかな解決編と胸を打つラストが素晴らしい。

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講談社から出てる作家アリスで国名シリーズの第2作であるスウェーデン館の謎。足跡なき殺人の鮮やかなトリックと作劇が素晴らしい。

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結局観てないんだけど斎藤工窪田正孝のコンビって最強よね、っていう実写ドラマ版。

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舞台が同じく三重県(作中ではM県になってるけど)の乱歩のパノラマ島奇譚。作中でも触れられている。

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同じく作中で触れられているポーの大鴉。作中で非常に大きな存在感を示している。

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大鴉が出てくる島ミステリと言えばアン・クリーヴスのシェトランド四重奏シリーズ第1作の大鴉の啼く冬。シェトランド諸島の火祭りであるウップ・ヘリー・アーの描写が素敵。これも面白い。

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歴史の偉人のクローンたちが集められた学園で起こる事件を描いたスエカネクミコ放課後のカリスマ。そういや途中から読んでないなあ、探して読もう。

 

 

「魔眼の匣の殺人」今村昌弘


前作、屍人荘の殺人は2017年の顔だった。鮎川哲也賞にて大賞を得たのを皮切りに、このミステリーがすごい!にて国内編1位、週刊文春ミステリ・ベスト10国内編1位、2018本格ミステリベスト10国内編1位、本格ミステリ大賞小説部門受賞などデビュー作にもかかわらず破竹の勢いを見せた。そして神木隆之介浜辺美波中村倫也という本気のキャスティングにて実写映画化も決まった。公開されればさらにミステリ読み以外の認知度が増すだろう。一部書評では刊行されたときは「十角館以来の衝撃」とまで言われた。

たしかに斬新な作品だった。ミステリと○○○(いまさらかもしれませんけどね)の融合という着想、その奇想から出現するクローズドサークル、その反面堅実なトリック、エンタメ映えする大立ち回り、そして悲劇と希望が同居するラスト。どれをとっても申し分ない大作だ。しかし、私はその波から少し遠いところでその盛り上がりを見ていた。

確かに面白い。確かによくできている。しかし、青い。登場人物の吐く台詞や行動がとにかく青い。それに少し引っかかってしまったのだ。デビュー作なんだし仕方ないかもしれないけど一度つまづいてしまったらそこから無邪気に盛り上がり切れなかった。かつての新本格の旗手となった現在の大御所たちが同じ批判を受けていたのを知りながらだ。

そして、もう一つ。作者は優れた次作を書くことができるのか、という疑念だ。どんな凡人でも生涯に一作は畢生の大作を書くことができる、なんてことを言う人がいる。インタビューにてミステリに詳しくない、みたいなこと言ってたし、何よりあんな奇跡みたいな奇怪な状況を今後も生み出せるのか。

長々とグダクダ書いてきたが、結論から言おう。

 


すべて杞憂だった。

 


なんだこれ。めちゃくちゃ面白いじゃねえか。誰だよ。作者は優れた次作を書けるのか、とか言ったやつ。俺か。殺すわ。ほんとうにすいませんでした。私がすべて間違っていました。

とにかく前作で感じた引っかかりは一切霧消し、文体もキャラクターの造型も格段にブラッシュアップされていた。そして前作を遥かに上回る魅力的な舞台、状況、事件。最高としか言いようがない。とにかく作品の中身に言及していく。

夏の婆可安湖での事件から時間は過ぎ、冬、神紅大学。ミステリ愛好会の葉村譲は剣崎比留子にひとつの記事を見せる。それはオカルト雑誌に掲載された予言について記事であった。編集部に送られてきたという手紙には大阪で起きたビル火災、そして婆可安湖で起きた事件を予言していた。さらに届いた手紙にはとある人里離れた村にてM機関なる組織が超能力実験を行なっていたという内容であった。

M機関。葉村と比留子には夏の事件の背後にいた組織の名が浮かぶ。比留子は知人の探偵の調査によって、その研究所があった地が好美という地域であることを掴む。犯罪を引きつけ、人を傷付ける己の体質から単身調査へ赴こうとする比留子であったが、彼女を危険な地へ単身乗り込もうとするのを良しとしない葉村はその調査に同行する。

村へと向かうバスの車中、ふたりは奇妙な二人組の男女の高校生を観察していた。すると片方の女子高生が突如として猛烈な勢いでスケッチを始め、そのスケッチが完成した直後、バスは急停車した。原因は猪が路上に飛び出したからであったが、偶然比留子が女子高生のスケッチブックを覗き見たものは車に轢かれる猪の死体のスケッチであった。

高校生たちと目的地である好美の村を目指すが、その道は封鎖されていた。封鎖を越えて村に入ると住民は一人もいなかった。村を捜索するとガス欠で立ち往生していたバイカーの青年、村の出身で墓参りに訪れた派手な女性、車の故障で同じく立ち往生した偏屈な大学教授とその幼い息子がいた。彼らと底無川と呼ばれる谷川の向こうにある真雁という地域へ向かう。そこにはコンクリートで出来た件の研究所、地元の人々から畏怖を込めて『魔眼の匣』と呼ばれる施設があった。

そこにはサキミと呼ばれる老いた女預言者とその世話係の女性、さらにオカルト雑誌の軽薄な編集者がいた。サキミと面会すると彼女は「2日以内に真雁の地で男女が4人死ぬ」という予言を一同に告げる。そして、予言の始まりを告げるように真雁と下界を繋ぐ唯一の通路である橋が落ち、彼らは施設に閉じ込められてしまう。そして、第1の死者が唐突に彼らの元に出現する…。

前回のテーマはネタバレ厳禁の封がされているためあらすじにすら書けないが今回のテーマは予言である。これはあらすじにも書いてあるから大丈夫。しかし、前作のテーマである○○○が身も蓋もない言い方をするなら他の要因でも代替可能である要素があるとするならば、今回はそうではない。クローズドサークルの内部の人々が予言が実現するかもしれない、という信仰あるいは恐怖を抱いて行動し、そして「男女が4人死ぬ」という状況でなければならない、という縛りはこのサークルの中でしかありえないホワイダニット、フーダニットを産んでいる。そう、魔眼の匣は私が愛して止まないクローズド宗教施設なのだ。私は以前、クローズド宗教施設にはそのサークルの中でしか生きられない情緒や論理がある、と書いた。本作の宗教施設(今更だけどこれは便宜的な呼び方で実際に宗教である必要はないし匣も宗教施設ではない)も間違いなくそうである。

そして、中にいる者のみに作用する特殊なルールが存在するガラパゴスである宗教施設の中でのみ独自進化を遂げる論理と心理はそれを育む環境がなによりも重要だ。作者はその点、実にうまくやっている。ダチョウ倶楽部くらいの勢いで脱帽してしまうくらいに。

以下、多少ネタバレ。

 

 

 

私が舌を巻いたのがこの作品に予言者を2人登場させたこと。「男女が4人死ぬ」という大きな枠組みの予言の下に個々の事件の予言を組み合わせることで予言に縛られて行動する人々の描写に厚みを持たせているが、これを一人の人間が行うには作劇上非常にそのキャラに無理を強いると思う。しかし、もうひとりの予言者を登場させることによってその負担を軽減し、さらに登場人物に与える情報を制限していく。めちゃくちゃ考えられてると思う。

そして、前回の個人的ネックだった比留子さんのキャラ造形がより深化、洗練されていたようにも思う。彼女は有栖川有栖の江神二郎のように能動的に推理を披露するタイプではない。彼女の行動理念はあくまで自衛のための推理であり、必要がないのであれば決して名探偵、皆を集めて、さて、と言い、なんてことはしない。

しかし、今回のこの特殊な状況において彼女はどうしても推理を披露せねばならなかったのであり、彼女が劇中に取ったある行動も、やはりこの状況でなければ違う選択をしたことだろう。彼女もまたこの宗教施設の信仰に縛られていたのだ。そして、彼女の信義を捻じ曲げ、「これはミステリの解決編じゃない」と言った先に行き着くラストは、途轍もなく哀しい。

 


とにかく化けた。というのが偽らざる感想だ。私ごとき衆愚が抱くちっぽけな疑心などやすやすと粉砕した作者の豪腕にはとにかく畏敬の念しかない。次作の構想が早くも固まっているような引きで終わった本作。一刻も早くその物語が読みたい。こんな作品を読みたくてミステリ読んでる、と思えるくらい本当に面白かった。ミステリ専門用語も丁寧に説明してくれているし、未読の人には前作から手に取ってもらいたい。本当にオススメです!

 

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書影。綾辻行人のAnotherの表紙や冲方丁のはなとゆめの挿絵を手がけた遠田志帆の表紙が美しい。

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前作。いろいろ言ったけどこっちも間違いなく面白かったんだ。映画が楽しみ。漫画化もするらしい。

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作者も好きだと言っていた有栖川有栖の学生アリスシリーズ作品の中でもクローズド宗教施設なら女王国の城だと思うけど、ラストの構図はこちらが強烈にフラッシュバックした。大傑作。

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映画版で葉村くんをやるであろう実写映画化界の神、神木隆之介。安心感がすごい。

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映画版で比留子さんをやるであろう実写映画化界の神、浜辺美波。阿知賀編でしか観てないけど。安牌だと思います。

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映画版で明智先輩をやるであろう中村倫也闇金ウシジマくんの洗脳くんくらいしか思いつかないけどいいと思います。

 

「世界を売った男」陳浩基


とあるビルの一室で折り重なって死んでいる男女。その男女は夫婦で妻の腹の中には赤ん坊がいた。この2人と赤ん坊にどれほどの恨みがあったか犯人の凶刃は女の腹をも刺してあり、凄惨たる様子を示していた。その惨状にも怯むことなく彼は警察官としての正義を果たそうと死体を検めるが、そのとき女の死体の唇が妖艶に動くの目にする。「おつかれさま」と。

男が目を覚ますとそこは自分の車の中であった。ひどい二日酔いにうなされながら、昨夜あったことを思い出す男。男は香港の刑事で昨夜は同僚と喧嘩をし、そのままどこかのバーで飲んでいたようだ。ポケットには自分の名と銀行口座、5万元という金額、暗証番号のような数字が書かれたコースターが一枚。これは一体何なのか。彼の手帳にはビルで起きた殺人事件のことが記されている。引っ掛かりを抱えたまま警察署へ足を運ぶとそこは自分が知るものとはまるで様変わりした建物があった。受付で彼が知ったのはここが2009年の香港であること。ビルで殺人事件が起きたのは2003年のこと。そう一夜にして彼は6年間の記憶を失っていたのだ。

彼はそこで彼と会う約束をしていた女雑誌記者・廬沁宜ーー阿沁から殺人事件が解決済みであることを聞く。夫婦を殺したのは夫の不倫相手の女性の夫・林健笙で鬼健と呼ばれる札付きの前科者。現場に指紋などを残して逃亡した彼は奪ったタクシーで白昼の繁華街で暴走、通行人を幾人も巻き込んで自身もトラックに激突し、死亡していた。世間では事件は残忍な犯人による凶行ということで過去のものとなっていた。しかし、彼にとってはそれはまだ昨日のことだ。

記憶を失ったまま阿沁の事件追跡の記事取材のために事件の関係者のもとを尋ねることになった彼は、その過程で林健笙が犯人でないのではないか、と感じるようになる。彼女とともに事件を追いかけるうちに彼は事件の真相と自分に身に起きた真相に近づいていく…。

本作は13・67によって日本のミステリ読みの中でも一躍名前を知られるようになった香港本格ミステリ作家・陳浩基の長編デビュー作である。13・67でも香港を舞台に発生する多種多様な事件を流麗と描き、その事件らをひとりの男の歴史の円環として物語としてみせた巧者である作者だが、デビュー作である本作でもその腕は存分に発揮されている。事件は記憶を失った男がなぜ自分が記憶を失うこととなったのかを追い求める筋と過去に解決した殺人事件の真相を追う筋が二本の柱となって進行していくのであるが、この二本の柱がやがて一つに収束していく様は実に鮮やかで、そしてスリリングである。

タイトルの世界を売った男とはデヴィッド・ボウイの同名の曲(THE MAN SOLD THE WORLD)のことであるが、なぜこの曲がこの作品の名として冠されたのか。この曲が収録されたシングルのA面の曲の話なども面白いが、やはり歌詞と物語の相関が素晴らしいと思う。

 


なんたることか 私ではないのだ

自己を失うはずがない

あなたは向かい合っている 

世界を売った男と

 


失われた記憶が散逸し、自分の世界があやふやになっていく息苦しい展開とこの曲のメロディは実によくマッチしている。原曲の方も合わせて聴いてもらいたい。

https://youtu.be/cLoytewvn0g

本作を読んで改めて陳浩基は私が心から心酔する作家の一人となった。もっともっと彼の作品が読みたい。先日、13・67の翻訳者で台湾文学の翻訳者として活動されていた天野健太郎氏の訃報に触れて暗い気持ちになったばかりだが、彼に続くような翻訳者、そして華文ミステリ作家がもっと増えればいいなと思った。大傑作です!

 

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書影。13・67に登場した地名が多く登場する地図が本作にも収録されている。

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記憶を失った男が犯人捜しをする映画メメントクリストファー・ノーラン監督、ガイ・ピアース主演。時間を逆に遡っていくという点では13・67とも似ているかも知れない。大傑作。

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解説の恩田陸が挙げていたMAD探偵。こちらは多重人格がテーマ。たしかに香港には変なミステリ映画が多い気がする。まだ観てないから観てみたい。

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変な香港ミステリ映画といって思い出した名探偵ゴッド・アイ。盲目の探偵役をアンディ・ラウが怪演。蟹を食ってるアンディ・ラウがやばいとこが印象的。

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1日しか記憶が持たない探偵を描いた西尾維新掟上今日子シリーズ。体にメモを書きまくるのはメメントと同じ。実写のガッキー版も可愛かった。

 

 

「キャッツ・アイ」R・オースティン・フリーマン


シャーロック・ホームズのライバルと言えば誰を思い浮かべるだろうか。犯罪界のナポレオンと謳われたモリアーティ教授か、それとも探偵としての顔も持つ神出鬼没の怪盗紳士アルセーヌ・ルパンであろうか。確かに彼らはホームズの好敵手と呼べる名悪党である。しかし、ライバルとは必ずしも敵対者ばかりではない。同業者にだってライバルはいる。名探偵シャーロック・ホームズという金字塔を打ち立てたストランド・マガジンに続かんと同時代のライバル各紙は競い合って推理小説を掲載し、名探偵を創造していった。

それから半世紀が過ぎて日本の創元推理文庫から「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」として刊行された作品群にはジャック・フットレルの「思考機械」ことオーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドゥーゼン教授、安楽椅子探偵の先駆けであるバロネス・オルツィの隅の老人、ドロシー・L・セイヤーズ貴族探偵ピーター・ウィムジイ卿、アーネスト・ブラマの盲目の探偵マックス・カラドスなど錚々たる顔ぶれが揃った。その中の1人に並び立つのがストランドのライバル誌ピアスンズ・マガジンでホームズと人気を二分した名探偵で本作の主人公であるジョン・イヴリン・ソーンダイク博士だ。

物語は法廷弁護士のアンスティが帰宅途中に女性の悲鳴を聞くところから始まる。駆けつけてみるとそこには激しく組み合う男女の姿が。男は逃走し、残された女は脇腹を刺されていた。アンスティは女を連れて近くの邸に駆け込むとそこでは邸の主人が射殺されていた。現場は宝石のコレクションルームであり、強盗犯による単純な犯行かと思われた。しかし、盗まれたのは価値のない上に特徴があり、容易に換金することができない珍品ばかり。容疑者は女と組み合った小男、そしてアンスティが目撃した大男の2人。主人の弟でアンスティの知人であるローレンス卿は法医学者で共通の友人であるソーンダイク博士に事件捜査を依頼する。警察より優れた科学的知識と技術によって瞬く間に証拠を見つけ出していくソーンダイクであったが、彼は盗み出されたコレクションの一部、そして捜査中に発見した奇妙なマスコットからとある一族の謎めいた歴史と犯人像についても思考を巡らせていく。しかし、アンスティと次第に心を通わせていくようになった事件の目撃者であるウィニフレッドに犯人の魔の手は迫っていた…。

探偵が科学の知識に造詣が深いことはお約束とも言えるパターンだが、それはソーンダイクにも言える。ホームズもまあそうであるが、多少怪しいところがあるのに対し(御手洗潔はその辺、占星術殺人事件のときにこき下ろしまくって石岡くんを憤慨させている)、こちらはより進んだ科学的知識を披露している(作者のフリーマンが医師をしていたこともあるからだと思うがドイルだってお医者さんだったのに…)。そして思考機械ヴァン・ドゥーゼンとも似たタイプの探偵だが、あちらがホームズと同じくエキセントリックの権化なのに対し、ソーンダイクは非常に社交的で常識的である。正直なところ最前の2人に対してソーンダイクに抱いた第一印象は地味だなあ、という感じだった。

しかし、本作の語り手であるアンスティはソーンダイクをこのように評している。

 


とはいえ、ソーンダイクはーーほかならぬソーンダイクだ。寡黙で、自制心が強く、見かけの愛想はいいが、秘密主義で、真意が測りがたい男。思えば、彼はまさに今、オフィスに静かに座り、その晩のぞっとする事件にも動じることなく、落ち着いて新たな事案に全力を傾注している。危険を即座に見抜いたのも彼なら、〝害意ある贈り物〟をたちどころに見抜いたのも彼だというのに。報告書に集中する彼のことを考えると、その冷静さに驚くとともに、ほとんど見えざるデータから推論を引き出す驚異的な能力を発揮した数々の事件を思い起こし、私にはいまだにすべてが暗闇の中にあるように思えても、彼にはなにか光明が見えるのではと期待せずにいられない。

 


ここにソーンダイクの全てが集約されているように思える。彼は周りの人間にどれだけ真相を急かされてもマイペースに自分の調査、実験を繰り返し、その成果から明らかになったこと以外は口を割ろうとしない。

「分析で裏付けを得るまで事実とは言えない。その点に自分自身が確信を持っていてもそれは心証にすぎないし、証拠として提示はできないよ。科学的に証明されたものは事実であり、それなら宣誓の上、証言台でも証言できる」

こんな具合だ。アンスティが秘密主義とやきもきさせられるのも痛いほどわかる。しかし、それは彼のこんな信念があるからだ。

「長年の経験から得た一番重要な原則の一つは、調査の初期段階においては、調査の対象となんらかの関わりのある事実は、関連の大小を問わず、どんな事実も軽んじたり無視してはならないということだ。それどころか、そうした事実は、なに一つ無関係なものとみなすわけにはいかない。あらゆるデータを集め、吟味するまでは、どんなデータも、その意味や価値を判断することはできないからね」

探偵役がやたらと推理を披露するのを渋り、勿体ぶったようにラストの場面で最高の演出とともに当事者全員の前で推理を意気揚々と披露することに懐疑的な人もいるだろう。その前にその頭脳を使っていれば事件を未然に防げたのではないか。「最初から犯人は分かっていました」ほんとか?

しかし、ソーンダイクの秘密主義はそんな物語のご都合は感じさせない。そして極めて慎重でありながら犯人の後手に回ることはほとんどなく、その凶行を未然に防ぐ防御力も持っている。私の自分が犯行に巻き込まれたときに依頼したい探偵ランキングの上位に一気に食い込んだ(他はフェル博士とかドルリー・レーンとか江神二郎とか)。

そして物語の中身も盛りだくさんである。聖書を用いた暗号やイギリス王室の歴史、男女のロマンスに拳銃片手の冒険小説のような一面も見せながら、最後はその全てを証明終わり(Q.E.D)と銘打たれた最終章にて綺麗な論理によって収束させる。その物語運びは実に鮮やかで読んでいて心地よかった。

ホームズに比べるとソーンダイクの活躍はまだまだ日本で知られていない。これから邦訳がもっと進めばいいのになあ、と思った。

 

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書影。冒頭に事件に登場する小物のイラストが挿入されていてとても親切。

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シャーロック・ホームズのライヴァルたちの1人、思考機械ことオーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドゥーゼン博士。ソーンダイクと同じく科学を信奉する探偵だが、言動がとにかくエキセントリック。

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ライヴァルたちの2人目、紅はこべなどの歴史冒険小説も有名なバロネス・オルツィの隅の老人。安楽椅子探偵の先駆け。

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本家ホームズより四つの署名。秘宝をめぐる冒険、探偵の相棒が事件の渦中にいる女性と恋に落ちるなどの構図が本作とよく似ている。ラストのホームズの一言が印象的。

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江戸川乱歩の孤島の鬼。暗号やとある人物の手記を元に事件に迫っていく冒険は本作に通じるものがある。乱歩のエログロナンセンスが炸裂する大作。

 

 

 

 

「トリフィド時代 食人植物の恐怖」ジョン・ウィンダム


ある夜、緑色に光る流星群が降り注ぐロンドンの病院において、仕事中の事故によって目を怪我し入院していたビル・メイスンはその世紀の天体ショーを見逃した数少ない人間の1人だった。翌朝、誰も現れない病室で外の世界の様子に違和感を抱いた彼は目を覆う包帯を取り外すと世界は前日までとは様変わりしていた。世界中の人間が失明し、盲人となっていたのだ。一夜にして静かに破綻したロンドンの街を探索している最中、ビルは盲人に襲われていたジョゼラという彼と同じく目の見える女性と出会う。ジョゼラとなんとか生き抜く算段を始めたビルだったが、街の外には人間が油などの加工品にするべく品種改良を施したトリフィドと呼ばれる三本足で歩行する植物が人の支配を逃れ闊歩し始めていた。トリフィドは人を一撃で殺せる毒の触手を持っており、やがて人を襲うようになっていく。

数少ない目が見える人間たちは安全な場所を確保し、それぞれ今後の方針を議論し始める。疫病や目の見える人間を奪い合う盲人たちが溢れかえる前にロンドンを逃れ、一夫多妻制度で目の見える人類を増やそうとするグループや、目の見える人間が盲人たちを指導し、彼らを生かそうとするグループ。意見の対立するグループの中で身の振り方を思案するビルとジョゼラであったが、やがてグループ同士の衝突において離れ離れになる2人。ビルはジョゼラの後を追ってロンドンを離れるが、トリフィドは不気味にその勢力を増していき…。

SF作家と言えば誰を最初に想像するだろうか、人によって違うだろうが私はH・G・ウェルズが真っ先に思い浮かぶ。それは小学生のときに親が買ってきたモロー博士の島を読んだからだが、絶海の孤島で獣の頭を持つ獣人を創り出す狂気の老博士の姿はイラストのおどろおどろしさと相まって怖かったことはよく覚えている。しかし、内容を読み込めたかというとそんなことはなく、その後もタイムマシンなどを手に取ってみたもののイメージが追いつかず、それ以来古典SFとは遠ざかっていた。そもそもSFは科学を取り扱うのだから、科学技術が進歩した現代、最新のものが一番身近で面白いに決まっている、と読まず嫌いでなんとなく思っていた。しかし、私のそんな偏見はロバート・A・ハインライン夏への扉を読んだことで打ち砕かれた。タイムトラベルという開拓され尽くした題材、70年以上前に書かれたのにもかかわらず、ページを捲る手は止まらず、一気読みしてしまった。そのとき私は思った。なんてエンターテイメントに満ち溢れているんだ!

トリフィド時代も三本足の侵略者が人間社会を脅かす、という内容はウェルズの宇宙戦争と似ているが、その作品の重心は人間が失われた文明の中でいかにより良い社会を新たに創造するか、という人間同士のやりとりに置かれている。ここまで読んでていて薄々感じている人もいるだろうが、ロメロのゾンビ映画と非常によく似た構造をしている。それもそのはず、1962年の本作の実写映画化作品である人類SOS!は1968年に上映されたナイト・オブ・ザ・リビングデッドに大きな影響を与えた映画なのだから。タイトルもThe Day of the Triffidsとよく似ている。ロメロはこの映画のトリフィドの静かに人間たちに近づき彼らを喰らう姿と視力を失ってこれまでの人間らしい理性を欠いた獣のような盲人たちから文明と理性の破壊者たるゾンビの姿を創造していったのだろう。

作中に印象的な会話がある。

 


「すごく気軽にものを盗る話をするのね」

「別に気軽なわけじゃない」わたしは認めた。「でも、それが美徳なのかどうかよくわからないんだーーただの習慣だったんじゃないかって気がしてね。それに事実に直面することをかたくなに拒んだところで、物事は元に戻らないし、なんの役にも立たないだろう。たぶんぼくらは自分たちを泥棒ではなく、むしろーーそうだな、不本意な相続人だと思うようにしなければいけないんだよ」

「そうね。たぶんそんなところなんだわ」

 


これは序盤のビルとジョゼラの会話だが、当初は無人の店舗から物を拝借するときに金銭を支払っていたビルがわずか1日でこの結論に達したのである。東日本大震災の際にも営業を停止したコンビニで同じように無人のレジに律儀にお金を置いていった日本人の話が話題になっていたが、それはその状況がいずれ回復すると私たちが信じていたからだし、事実そうなった。しかし、もし私たちがビルたちと同じ状況に置かれたとしたらどうだろう。私たちはいつまでも財布の中からお金をレジに置き続けることができるだろうか。財布の中がすっからかんになってなお、空腹を耐えることができるだろうか。

繰り返すが本作は70年も前に書かれた作品である。しかし、そこに描かれている世界は現代の社会において地続きの価値観、そして問題提起がなされている。三本足で歩く食人植物は私たちが鼻で笑う突拍子も無い空想かもしれない。しかし、いずれ人間は藻をバイオエネルギーにするらしいし、ミドリムシを食べるようになるらしい。私たちは今のところそこになんの違和感を抱いていないが、ひょっとしたら人類が気づいていない脅威がそこに潜んでいるのかもしれない。

科学技術は日々進歩していくが、古典名作の中にあるSFは古臭くなることはない。そう感じさせてくれる一作でした。

 

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書影。こんなのが毒の触手を振り回しながらワラワラ群がってくるの恐怖しかない。

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ウェルズのモロー博士の島。イラストがマジで怖い。

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同じくイギリスが舞台で三本足の怖いやつが出てくるウェルズの宇宙戦争。作者も影響を強く受けたらしい。

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ハインライン夏への扉。この人のタイムトラベルものはマジで面白い。あと猫ちゃん可愛い。

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ハインラインの短編、輪廻の蛇を映画化したプリデスティネーション。え?イーサン・ホークが?って衝撃の展開が何回観ても面白い。

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本作の影響を強く受けたロメロのナイト・オブ・ザ・デッド。超名作。

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実はゾンビは植物だった!って展開が本作の遺伝子を感じさせるマイク・ケアリーのパンドラの少女。そして映画ディストピアメラニーちゃんが強い。たくましい。そして可愛い。

 

「殺しのデュエット」エリオット・ウェスト


ロサンゼルスの中年私立探偵ジム・ブレイニーは秘書で恋人のベデリアとの映画館でのデートを楽しんだ後、駐車場にて麻薬の売人と覆面捜査官の撃ち合いに遭遇する。咄嗟の出来事に思わず拳銃を抜いて逃げる売人たちに発砲してしまった彼は売人を殺してしまう。一躍誌上の英雄となった彼のもとにこの事件が引き金となったかのように高名な富豪のコルビーから事件の依頼が入る。離婚して家を出たコルビーの元妻の行方の捜査を依頼されたジムは部下のドンとベデリアとともにラスベガスで容易く元妻を発見するがコルビーの本当の目的は、元妻がコルビーから奪った100万ドルのダイヤの奪還であった。報酬は15万ドル。ケチな私立探偵としては目がくらむ破格の報酬だ。しかし、コルビーの元妻の現在の夫ガンナーはギャングのボスであり、これまでの仕事とはわけが違う。迷いながらもラスベガスへ乗り込むことを決めたジムたちであったが、彼らを待ち構えていたのは不気味な脅迫状と暴力の魔の手であった…。

本作はハードボイルドの名訳者にして専門家でもある小鷹信光が編集した河出書房のアメリカン・ハードボイルドシリーズの第9巻に当たり、先行の作品にハメットのマルタの鷹やチャンドラーのベイ・シティ・ブルースなどが上梓されている。私はエリオット・ウェストという名前を知らなかったが、小鷹の解説によると彼はル・カレと比肩されるようなスパイ小説畑の人間であったようで、私立探偵小説は本作一作だけという人物であったらしい。小鷹はその姿勢を潔いと語っているが、私も同じ感想を抱いた。そして、本作が初の私立探偵小説とは思えない完成度を誇っている。

主人公のジムは50歳になろうかという中年の私立探偵で、離婚した妻との間に2人の娘がいる。そして現在は事務所を開いた日に広告を見て応募してきたという25歳のベデリアと運命的な結びつきをもって愛を交わしている。しかし、彼は前途溢れる彼女が老いゆく自分と時間を浪費していることに悩み、別れを切り出すタイミングをうかがっていた。そんな彼が売人を射殺してしまったことをきっかけにこの一連の金と血に塗れた事件に呑まれていくこととなる。

作中でもジムと血気盛んな若き探偵ドンとの間に印象的な会話がある。

 


「問題は、われわれが今までの探偵からマルタの鷹を探す命知らずの三人になっちまったってことだ。それも、全部アドリブでやるしかない。細かい計画なんか立てようがない」

「だれかが突破口を見つけるまで、動きようがない」

「ジム、一度でもやりそこなったら一巻の終わりだな」

「それだけは覚悟しておく必要がある」

 


ここで触れられているマルタの鷹と言えばハメットが生み出し、ハンフリー・ボガードが演じた名探偵サム・スペードが追い求めた宝物のことだが、この鷹の争奪戦の最中、何人もの男が命を落とす、探偵たちにとって曰く付きのアイテムだ。ジムたちもこのストーリーを知っていながらも、大金を手にしたらどうするか、と考えることをやめられない。ジムは娘の大学の学費を払ってやりたいし、ベデリアはジムとボートで旅をしたいし、ドンは困窮の縁に立つ母親のために使ってやりたい。正常な正義感に溢れた市井の探偵だったはずの彼らが大金を前にこれまでの自分たちの仕事とは扱う内容も規模も違うと尻込みしながらも大金の魅力に抗うことができず、なし崩し的に危うい方向へとハンドルを切っていってしまう様は実にスリリングだ。

本書の原題のThe Killing Kindとは「時として、人を殺すことのできる人間」という意味ではないか、小鷹は考察している。この意味を踏まえて本書のラストを読んでみると誰がこの人間に当てはまるのか。それを考えるととても哀しい。

哀しい結末を迎えた彼らだったが、希望が持てる明るいエピソードも用意されている。人生も物語もいいことばかりではないが、もちろん悪いことばかりでもない。そう感じさせてくれる物語のラストのある人物の台詞で締めたいと思う。

 


「このことは最初は事件記録みたいにはじまったけど」彼女はいった。「でも、最後は宗教パンフレットみたいに終わったわ」彼女は笑いだした。「本当になんてことでしょう。〈ディズニーランド〉なんて!」

 

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書影。裏表紙にはチャンドラーのプレイバックから「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」の名文句が引用されている。

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同シリーズよりハメットのマルタの鷹。有名な「そいつは夢でできているのさ」って台詞は映画オリジナルのもので原作にはない。