「世界を売った男」陳浩基


とあるビルの一室で折り重なって死んでいる男女。その男女は夫婦で妻の腹の中には赤ん坊がいた。この2人と赤ん坊にどれほどの恨みがあったか犯人の凶刃は女の腹をも刺してあり、凄惨たる様子を示していた。その惨状にも怯むことなく彼は警察官としての正義を果たそうと死体を検めるが、そのとき女の死体の唇が妖艶に動くの目にする。「おつかれさま」と。

男が目を覚ますとそこは自分の車の中であった。ひどい二日酔いにうなされながら、昨夜あったことを思い出す男。男は香港の刑事で昨夜は同僚と喧嘩をし、そのままどこかのバーで飲んでいたようだ。ポケットには自分の名と銀行口座、5万元という金額、暗証番号のような数字が書かれたコースターが一枚。これは一体何なのか。彼の手帳にはビルで起きた殺人事件のことが記されている。引っ掛かりを抱えたまま警察署へ足を運ぶとそこは自分が知るものとはまるで様変わりした建物があった。受付で彼が知ったのはここが2009年の香港であること。ビルで殺人事件が起きたのは2003年のこと。そう一夜にして彼は6年間の記憶を失っていたのだ。

彼はそこで彼と会う約束をしていた女雑誌記者・廬沁宜ーー阿沁から殺人事件が解決済みであることを聞く。夫婦を殺したのは夫の不倫相手の女性の夫・林健笙で鬼健と呼ばれる札付きの前科者。現場に指紋などを残して逃亡した彼は奪ったタクシーで白昼の繁華街で暴走、通行人を幾人も巻き込んで自身もトラックに激突し、死亡していた。世間では事件は残忍な犯人による凶行ということで過去のものとなっていた。しかし、彼にとってはそれはまだ昨日のことだ。

記憶を失ったまま阿沁の事件追跡の記事取材のために事件の関係者のもとを尋ねることになった彼は、その過程で林健笙が犯人でないのではないか、と感じるようになる。彼女とともに事件を追いかけるうちに彼は事件の真相と自分に身に起きた真相に近づいていく…。

本作は13・67によって日本のミステリ読みの中でも一躍名前を知られるようになった香港本格ミステリ作家・陳浩基の長編デビュー作である。13・67でも香港を舞台に発生する多種多様な事件を流麗と描き、その事件らをひとりの男の歴史の円環として物語としてみせた巧者である作者だが、デビュー作である本作でもその腕は存分に発揮されている。事件は記憶を失った男がなぜ自分が記憶を失うこととなったのかを追い求める筋と過去に解決した殺人事件の真相を追う筋が二本の柱となって進行していくのであるが、この二本の柱がやがて一つに収束していく様は実に鮮やかで、そしてスリリングである。

タイトルの世界を売った男とはデヴィッド・ボウイの同名の曲(THE MAN SOLD THE WORLD)のことであるが、なぜこの曲がこの作品の名として冠されたのか。この曲が収録されたシングルのA面の曲の話なども面白いが、やはり歌詞と物語の相関が素晴らしいと思う。

 


なんたることか 私ではないのだ

自己を失うはずがない

あなたは向かい合っている 

世界を売った男と

 


失われた記憶が散逸し、自分の世界があやふやになっていく息苦しい展開とこの曲のメロディは実によくマッチしている。原曲の方も合わせて聴いてもらいたい。

https://youtu.be/cLoytewvn0g

本作を読んで改めて陳浩基は私が心から心酔する作家の一人となった。もっともっと彼の作品が読みたい。先日、13・67の翻訳者で台湾文学の翻訳者として活動されていた天野健太郎氏の訃報に触れて暗い気持ちになったばかりだが、彼に続くような翻訳者、そして華文ミステリ作家がもっと増えればいいなと思った。大傑作です!

 

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書影。13・67に登場した地名が多く登場する地図が本作にも収録されている。

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記憶を失った男が犯人捜しをする映画メメントクリストファー・ノーラン監督、ガイ・ピアース主演。時間を逆に遡っていくという点では13・67とも似ているかも知れない。大傑作。

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解説の恩田陸が挙げていたMAD探偵。こちらは多重人格がテーマ。たしかに香港には変なミステリ映画が多い気がする。まだ観てないから観てみたい。

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変な香港ミステリ映画といって思い出した名探偵ゴッド・アイ。盲目の探偵役をアンディ・ラウが怪演。蟹を食ってるアンディ・ラウがやばいとこが印象的。

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1日しか記憶が持たない探偵を描いた西尾維新掟上今日子シリーズ。体にメモを書きまくるのはメメントと同じ。実写のガッキー版も可愛かった。

 

 

「キャッツ・アイ」R・オースティン・フリーマン


シャーロック・ホームズのライバルと言えば誰を思い浮かべるだろうか。犯罪界のナポレオンと謳われたモリアーティ教授か、それとも探偵としての顔も持つ神出鬼没の怪盗紳士アルセーヌ・ルパンであろうか。確かに彼らはホームズの好敵手と呼べる名悪党である。しかし、ライバルとは必ずしも敵対者ばかりではない。同業者にだってライバルはいる。名探偵シャーロック・ホームズという金字塔を打ち立てたストランド・マガジンに続かんと同時代のライバル各紙は競い合って推理小説を掲載し、名探偵を創造していった。

それから半世紀が過ぎて日本の創元推理文庫から「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」として刊行された作品群にはジャック・フットレルの「思考機械」ことオーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドゥーゼン教授、安楽椅子探偵の先駆けであるバロネス・オルツィの隅の老人、ドロシー・L・セイヤーズ貴族探偵ピーター・ウィムジイ卿、アーネスト・ブラマの盲目の探偵マックス・カラドスなど錚々たる顔ぶれが揃った。その中の1人に並び立つのがストランドのライバル誌ピアスンズ・マガジンでホームズと人気を二分した名探偵で本作の主人公であるジョン・イヴリン・ソーンダイク博士だ。

物語は法廷弁護士のアンスティが帰宅途中に女性の悲鳴を聞くところから始まる。駆けつけてみるとそこには激しく組み合う男女の姿が。男は逃走し、残された女は脇腹を刺されていた。アンスティは女を連れて近くの邸に駆け込むとそこでは邸の主人が射殺されていた。現場は宝石のコレクションルームであり、強盗犯による単純な犯行かと思われた。しかし、盗まれたのは価値のない上に特徴があり、容易に換金することができない珍品ばかり。容疑者は女と組み合った小男、そしてアンスティが目撃した大男の2人。主人の弟でアンスティの知人であるローレンス卿は法医学者で共通の友人であるソーンダイク博士に事件捜査を依頼する。警察より優れた科学的知識と技術によって瞬く間に証拠を見つけ出していくソーンダイクであったが、彼は盗み出されたコレクションの一部、そして捜査中に発見した奇妙なマスコットからとある一族の謎めいた歴史と犯人像についても思考を巡らせていく。しかし、アンスティと次第に心を通わせていくようになった事件の目撃者であるウィニフレッドに犯人の魔の手は迫っていた…。

探偵が科学の知識に造詣が深いことはお約束とも言えるパターンだが、それはソーンダイクにも言える。ホームズもまあそうであるが、多少怪しいところがあるのに対し(御手洗潔はその辺、占星術殺人事件のときにこき下ろしまくって石岡くんを憤慨させている)、こちらはより進んだ科学的知識を披露している(作者のフリーマンが医師をしていたこともあるからだと思うがドイルだってお医者さんだったのに…)。そして思考機械ヴァン・ドゥーゼンとも似たタイプの探偵だが、あちらがホームズと同じくエキセントリックの権化なのに対し、ソーンダイクは非常に社交的で常識的である。正直なところ最前の2人に対してソーンダイクに抱いた第一印象は地味だなあ、という感じだった。

しかし、本作の語り手であるアンスティはソーンダイクをこのように評している。

 


とはいえ、ソーンダイクはーーほかならぬソーンダイクだ。寡黙で、自制心が強く、見かけの愛想はいいが、秘密主義で、真意が測りがたい男。思えば、彼はまさに今、オフィスに静かに座り、その晩のぞっとする事件にも動じることなく、落ち着いて新たな事案に全力を傾注している。危険を即座に見抜いたのも彼なら、〝害意ある贈り物〟をたちどころに見抜いたのも彼だというのに。報告書に集中する彼のことを考えると、その冷静さに驚くとともに、ほとんど見えざるデータから推論を引き出す驚異的な能力を発揮した数々の事件を思い起こし、私にはいまだにすべてが暗闇の中にあるように思えても、彼にはなにか光明が見えるのではと期待せずにいられない。

 


ここにソーンダイクの全てが集約されているように思える。彼は周りの人間にどれだけ真相を急かされてもマイペースに自分の調査、実験を繰り返し、その成果から明らかになったこと以外は口を割ろうとしない。

「分析で裏付けを得るまで事実とは言えない。その点に自分自身が確信を持っていてもそれは心証にすぎないし、証拠として提示はできないよ。科学的に証明されたものは事実であり、それなら宣誓の上、証言台でも証言できる」

こんな具合だ。アンスティが秘密主義とやきもきさせられるのも痛いほどわかる。しかし、それは彼のこんな信念があるからだ。

「長年の経験から得た一番重要な原則の一つは、調査の初期段階においては、調査の対象となんらかの関わりのある事実は、関連の大小を問わず、どんな事実も軽んじたり無視してはならないということだ。それどころか、そうした事実は、なに一つ無関係なものとみなすわけにはいかない。あらゆるデータを集め、吟味するまでは、どんなデータも、その意味や価値を判断することはできないからね」

探偵役がやたらと推理を披露するのを渋り、勿体ぶったようにラストの場面で最高の演出とともに当事者全員の前で推理を意気揚々と披露することに懐疑的な人もいるだろう。その前にその頭脳を使っていれば事件を未然に防げたのではないか。「最初から犯人は分かっていました」ほんとか?

しかし、ソーンダイクの秘密主義はそんな物語のご都合は感じさせない。そして極めて慎重でありながら犯人の後手に回ることはほとんどなく、その凶行を未然に防ぐ防御力も持っている。私の自分が犯行に巻き込まれたときに依頼したい探偵ランキングの上位に一気に食い込んだ(他はフェル博士とかドルリー・レーンとか江神二郎とか)。

そして物語の中身も盛りだくさんである。聖書を用いた暗号やイギリス王室の歴史、男女のロマンスに拳銃片手の冒険小説のような一面も見せながら、最後はその全てを証明終わり(Q.E.D)と銘打たれた最終章にて綺麗な論理によって収束させる。その物語運びは実に鮮やかで読んでいて心地よかった。

ホームズに比べるとソーンダイクの活躍はまだまだ日本で知られていない。これから邦訳がもっと進めばいいのになあ、と思った。

 

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書影。冒頭に事件に登場する小物のイラストが挿入されていてとても親切。

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シャーロック・ホームズのライヴァルたちの1人、思考機械ことオーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドゥーゼン博士。ソーンダイクと同じく科学を信奉する探偵だが、言動がとにかくエキセントリック。

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ライヴァルたちの2人目、紅はこべなどの歴史冒険小説も有名なバロネス・オルツィの隅の老人。安楽椅子探偵の先駆け。

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本家ホームズより四つの署名。秘宝をめぐる冒険、探偵の相棒が事件の渦中にいる女性と恋に落ちるなどの構図が本作とよく似ている。ラストのホームズの一言が印象的。

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江戸川乱歩の孤島の鬼。暗号やとある人物の手記を元に事件に迫っていく冒険は本作に通じるものがある。乱歩のエログロナンセンスが炸裂する大作。

 

 

 

 

「トリフィド時代 食人植物の恐怖」ジョン・ウィンダム


ある夜、緑色に光る流星群が降り注ぐロンドンの病院において、仕事中の事故によって目を怪我し入院していたビル・メイスンはその世紀の天体ショーを見逃した数少ない人間の1人だった。翌朝、誰も現れない病室で外の世界の様子に違和感を抱いた彼は目を覆う包帯を取り外すと世界は前日までとは様変わりしていた。世界中の人間が失明し、盲人となっていたのだ。一夜にして静かに破綻したロンドンの街を探索している最中、ビルは盲人に襲われていたジョゼラという彼と同じく目の見える女性と出会う。ジョゼラとなんとか生き抜く算段を始めたビルだったが、街の外には人間が油などの加工品にするべく品種改良を施したトリフィドと呼ばれる三本足で歩行する植物が人の支配を逃れ闊歩し始めていた。トリフィドは人を一撃で殺せる毒の触手を持っており、やがて人を襲うようになっていく。

数少ない目が見える人間たちは安全な場所を確保し、それぞれ今後の方針を議論し始める。疫病や目の見える人間を奪い合う盲人たちが溢れかえる前にロンドンを逃れ、一夫多妻制度で目の見える人類を増やそうとするグループや、目の見える人間が盲人たちを指導し、彼らを生かそうとするグループ。意見の対立するグループの中で身の振り方を思案するビルとジョゼラであったが、やがてグループ同士の衝突において離れ離れになる2人。ビルはジョゼラの後を追ってロンドンを離れるが、トリフィドは不気味にその勢力を増していき…。

SF作家と言えば誰を最初に想像するだろうか、人によって違うだろうが私はH・G・ウェルズが真っ先に思い浮かぶ。それは小学生のときに親が買ってきたモロー博士の島を読んだからだが、絶海の孤島で獣の頭を持つ獣人を創り出す狂気の老博士の姿はイラストのおどろおどろしさと相まって怖かったことはよく覚えている。しかし、内容を読み込めたかというとそんなことはなく、その後もタイムマシンなどを手に取ってみたもののイメージが追いつかず、それ以来古典SFとは遠ざかっていた。そもそもSFは科学を取り扱うのだから、科学技術が進歩した現代、最新のものが一番身近で面白いに決まっている、と読まず嫌いでなんとなく思っていた。しかし、私のそんな偏見はロバート・A・ハインライン夏への扉を読んだことで打ち砕かれた。タイムトラベルという開拓され尽くした題材、70年以上前に書かれたのにもかかわらず、ページを捲る手は止まらず、一気読みしてしまった。そのとき私は思った。なんてエンターテイメントに満ち溢れているんだ!

トリフィド時代も三本足の侵略者が人間社会を脅かす、という内容はウェルズの宇宙戦争と似ているが、その作品の重心は人間が失われた文明の中でいかにより良い社会を新たに創造するか、という人間同士のやりとりに置かれている。ここまで読んでていて薄々感じている人もいるだろうが、ロメロのゾンビ映画と非常によく似た構造をしている。それもそのはず、1962年の本作の実写映画化作品である人類SOS!は1968年に上映されたナイト・オブ・ザ・リビングデッドに大きな影響を与えた映画なのだから。タイトルもThe Day of the Triffidsとよく似ている。ロメロはこの映画のトリフィドの静かに人間たちに近づき彼らを喰らう姿と視力を失ってこれまでの人間らしい理性を欠いた獣のような盲人たちから文明と理性の破壊者たるゾンビの姿を創造していったのだろう。

作中に印象的な会話がある。

 


「すごく気軽にものを盗る話をするのね」

「別に気軽なわけじゃない」わたしは認めた。「でも、それが美徳なのかどうかよくわからないんだーーただの習慣だったんじゃないかって気がしてね。それに事実に直面することをかたくなに拒んだところで、物事は元に戻らないし、なんの役にも立たないだろう。たぶんぼくらは自分たちを泥棒ではなく、むしろーーそうだな、不本意な相続人だと思うようにしなければいけないんだよ」

「そうね。たぶんそんなところなんだわ」

 


これは序盤のビルとジョゼラの会話だが、当初は無人の店舗から物を拝借するときに金銭を支払っていたビルがわずか1日でこの結論に達したのである。東日本大震災の際にも営業を停止したコンビニで同じように無人のレジに律儀にお金を置いていった日本人の話が話題になっていたが、それはその状況がいずれ回復すると私たちが信じていたからだし、事実そうなった。しかし、もし私たちがビルたちと同じ状況に置かれたとしたらどうだろう。私たちはいつまでも財布の中からお金をレジに置き続けることができるだろうか。財布の中がすっからかんになってなお、空腹を耐えることができるだろうか。

繰り返すが本作は70年も前に書かれた作品である。しかし、そこに描かれている世界は現代の社会において地続きの価値観、そして問題提起がなされている。三本足で歩く食人植物は私たちが鼻で笑う突拍子も無い空想かもしれない。しかし、いずれ人間は藻をバイオエネルギーにするらしいし、ミドリムシを食べるようになるらしい。私たちは今のところそこになんの違和感を抱いていないが、ひょっとしたら人類が気づいていない脅威がそこに潜んでいるのかもしれない。

科学技術は日々進歩していくが、古典名作の中にあるSFは古臭くなることはない。そう感じさせてくれる一作でした。

 

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書影。こんなのが毒の触手を振り回しながらワラワラ群がってくるの恐怖しかない。

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ウェルズのモロー博士の島。イラストがマジで怖い。

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同じくイギリスが舞台で三本足の怖いやつが出てくるウェルズの宇宙戦争。作者も影響を強く受けたらしい。

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ハインライン夏への扉。この人のタイムトラベルものはマジで面白い。あと猫ちゃん可愛い。

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ハインラインの短編、輪廻の蛇を映画化したプリデスティネーション。え?イーサン・ホークが?って衝撃の展開が何回観ても面白い。

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本作の影響を強く受けたロメロのナイト・オブ・ザ・デッド。超名作。

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実はゾンビは植物だった!って展開が本作の遺伝子を感じさせるマイク・ケアリーのパンドラの少女。そして映画ディストピアメラニーちゃんが強い。たくましい。そして可愛い。

 

「殺しのデュエット」エリオット・ウェスト


ロサンゼルスの中年私立探偵ジム・ブレイニーは秘書で恋人のベデリアとの映画館でのデートを楽しんだ後、駐車場にて麻薬の売人と覆面捜査官の撃ち合いに遭遇する。咄嗟の出来事に思わず拳銃を抜いて逃げる売人たちに発砲してしまった彼は売人を殺してしまう。一躍誌上の英雄となった彼のもとにこの事件が引き金となったかのように高名な富豪のコルビーから事件の依頼が入る。離婚して家を出たコルビーの元妻の行方の捜査を依頼されたジムは部下のドンとベデリアとともにラスベガスで容易く元妻を発見するがコルビーの本当の目的は、元妻がコルビーから奪った100万ドルのダイヤの奪還であった。報酬は15万ドル。ケチな私立探偵としては目がくらむ破格の報酬だ。しかし、コルビーの元妻の現在の夫ガンナーはギャングのボスであり、これまでの仕事とはわけが違う。迷いながらもラスベガスへ乗り込むことを決めたジムたちであったが、彼らを待ち構えていたのは不気味な脅迫状と暴力の魔の手であった…。

本作はハードボイルドの名訳者にして専門家でもある小鷹信光が編集した河出書房のアメリカン・ハードボイルドシリーズの第9巻に当たり、先行の作品にハメットのマルタの鷹やチャンドラーのベイ・シティ・ブルースなどが上梓されている。私はエリオット・ウェストという名前を知らなかったが、小鷹の解説によると彼はル・カレと比肩されるようなスパイ小説畑の人間であったようで、私立探偵小説は本作一作だけという人物であったらしい。小鷹はその姿勢を潔いと語っているが、私も同じ感想を抱いた。そして、本作が初の私立探偵小説とは思えない完成度を誇っている。

主人公のジムは50歳になろうかという中年の私立探偵で、離婚した妻との間に2人の娘がいる。そして現在は事務所を開いた日に広告を見て応募してきたという25歳のベデリアと運命的な結びつきをもって愛を交わしている。しかし、彼は前途溢れる彼女が老いゆく自分と時間を浪費していることに悩み、別れを切り出すタイミングをうかがっていた。そんな彼が売人を射殺してしまったことをきっかけにこの一連の金と血に塗れた事件に呑まれていくこととなる。

作中でもジムと血気盛んな若き探偵ドンとの間に印象的な会話がある。

 


「問題は、われわれが今までの探偵からマルタの鷹を探す命知らずの三人になっちまったってことだ。それも、全部アドリブでやるしかない。細かい計画なんか立てようがない」

「だれかが突破口を見つけるまで、動きようがない」

「ジム、一度でもやりそこなったら一巻の終わりだな」

「それだけは覚悟しておく必要がある」

 


ここで触れられているマルタの鷹と言えばハメットが生み出し、ハンフリー・ボガードが演じた名探偵サム・スペードが追い求めた宝物のことだが、この鷹の争奪戦の最中、何人もの男が命を落とす、探偵たちにとって曰く付きのアイテムだ。ジムたちもこのストーリーを知っていながらも、大金を手にしたらどうするか、と考えることをやめられない。ジムは娘の大学の学費を払ってやりたいし、ベデリアはジムとボートで旅をしたいし、ドンは困窮の縁に立つ母親のために使ってやりたい。正常な正義感に溢れた市井の探偵だったはずの彼らが大金を前にこれまでの自分たちの仕事とは扱う内容も規模も違うと尻込みしながらも大金の魅力に抗うことができず、なし崩し的に危うい方向へとハンドルを切っていってしまう様は実にスリリングだ。

本書の原題のThe Killing Kindとは「時として、人を殺すことのできる人間」という意味ではないか、小鷹は考察している。この意味を踏まえて本書のラストを読んでみると誰がこの人間に当てはまるのか。それを考えるととても哀しい。

哀しい結末を迎えた彼らだったが、希望が持てる明るいエピソードも用意されている。人生も物語もいいことばかりではないが、もちろん悪いことばかりでもない。そう感じさせてくれる物語のラストのある人物の台詞で締めたいと思う。

 


「このことは最初は事件記録みたいにはじまったけど」彼女はいった。「でも、最後は宗教パンフレットみたいに終わったわ」彼女は笑いだした。「本当になんてことでしょう。〈ディズニーランド〉なんて!」

 

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書影。裏表紙にはチャンドラーのプレイバックから「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」の名文句が引用されている。

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同シリーズよりハメットのマルタの鷹。有名な「そいつは夢でできているのさ」って台詞は映画オリジナルのもので原作にはない。

 

 

「〈ミリオンカ〉の女 うらじおすとく花暦」 高城高


1892年、ロシア帝国。極東の玄関口であり、ロシア人以外に清国、朝鮮、そして日本人など多様な国籍を持つ人種が入り乱れる国際色豊かな港町ウラジオストクに一隻の日本船が入港した。その船にはひとりの女性の姿があった。ウラジオストクに商会を構えるアメリカ人グレゴーリィ・ペドロフの義娘、エリサヴェータ・ギン・ペドロヴァ。彼女は数奇な人生を歩んだ女性だった。

函館の大火災によって両親と生き別れた彼女はペドロフの部下で船乗りの中田由松に拾われてペドロフの庇護を受けるもその後、ウラジオストクで洗濯屋を営む日本人夫婦に養子に出される。しかし、洗濯屋夫婦はその裏で貸座敷と呼ばれる日本式の妓楼・日之出楼の下働きとして彼女をこき使い、やがて娼妓として客を取らせるようになる。屈強なロシア男にも負けない床あしらいを身につけた彼女はやがて浦潮吟としてその名を多国籍な男たちの中で知られるようになっていく。16歳から20歳までを娼妓として過ごしたお吟だったが、やがてその事実がペドロフの知るところとなると力づくで日ノ出楼より奪還される。そしてペドロフの正式な娘となった彼女は函館へと行き、そこで現地の水上警察の加納警部たちの手によって彼女の真の両親の死の真実と自身の本当の名を知ることとなった。しかし、彼女は本当の名を函館に置いてくることを決めるとロシア人・ギンとしてウラジオストクに戻っていったのであった…。

というのが本作の前日譚である「ウラジオストクから来た女ーー函館水上警察」の中で描かれた彼女の人生である。そして、本作はそのスピンオフとしてお吟がウラジオストクに戻ってからの彼女の姿を描いている。

まずお吟が函館と似ていると語るウラジオストクの精密な描写に呑まれる。私はあまりイメージがなかったが日露戦争以前の極東の各都市には日本人が多く移住しており、現地でアグレッシブに日本人社会を形成していたことに驚かされる。日本人移住の尖兵となっていた日本の妓楼とその経営者、そこで現地の中国人に身請けされた仕切られ女たちの強かさ。そして港では清国のマンザと呼ばれる苦力たちよりも洗練された荷受の技術とその腕力を誇っていた日本の沖仲仕たち。そして、ロシアの社交界や財政界、元同業者の仕切られ女たちにも抜群の知名度とともに顔の効くお吟の洗練された文化を持つ華やかなロシア人社会とミリオンカと呼ばれる地区の猥雑な中国人社会の両方を軽やかに行き来する政治力と行動力も読んでいて小気味がよい。

またサブタイトルにある通り、全編を通してお吟の目を通して語られる花の描写がウラジオストクの季節の移り変わりをよく写していて、まさにウラジオストクの花暦となっている。

ただ、一風変わったロシアのお嬢さんが社交界で快活に生きていく物語なのかというとそうでもなく、その手触りは暗黒社会のハードボイルド小説そのものであるから脱帽である。朝鮮人参を狙う山賊を青龍刀で退治する話や、腐敗したロシアの公権力の話、狡猾な妓楼の主の暗躍を阻止したり、港の縄張り争いについて各国の労働者組合の代表による会合が催されたり、反目する名門一族の間で悲恋があったり、家同士がお互いの名誉を賭けて決闘をしたり、とその多彩さと面白さには目を剥くものがある。

お吟以外の登場人物も魅力的だ。お吟の付き人の由松は小柄な日本人ながら英語が堪能で商会の表の業務の他に仕込み杖片手に荒事にも飛び出していくナイスダンディだし、ミリオンカの老板の仕切られ女で強かな麗花姐さん、お吟を身請けしようとした縁で今でも彼女によくしてくれる沖仲仕の頭の安中組の清吉親分、商会の主人ながら若いときの血が抑えられずに鯨漁に血道をあげるお吟の父グレゴーリィ。前作の主人公・加納警部も顔を出すからサービス満点だ。

日本人にあまり馴染みがあるとは言えないウラジオストクという国際都市の姿を描いた歴史小説でありながら、極上のハードボイルド小説で抜群の読み応えがある大作だった。面白かった、おススメです!

 

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書影。寿老社という聞き馴染みがない出版社の作品だが、北海道の出版社らしくアイヌの書籍などを刊行してるみたい。

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前作。こちらは東京創元社から出ている。

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この時代のロシアの決闘と言えば思い出されるのがイリヤ・レーピンのオネーギンとレンスキーの決闘だ。作中で決闘に参加する人物の名前もレーピンなのは、やっぱり作者もこの絵を観たんだろうか。

 

 

 

「虚構推理短編集 岩永琴子の出現」城平京


「やあ、おひいさまを信じて悪いことはありませんよ。どっこい、どっこい」


(「ギロチン三四郎」より抜粋)

 


城平京と言えば漫画原作者としてのイメージが強いかもしれない。私たちの世代で言えばガンガンで連載されていたスパイラル~推理の絆~が夕方にアニメ放映されていたし、もう少し後には同じくガンガンで連載されていた絶園のテンペストが深夜帯で放送されていた。

しかし、城平京は第8回の鮎川哲也賞の最終選考に残った名探偵に薔薇をにて長編推理作家デビューを果たした推理小説家であることを忘れてはならない。そして、本シリーズも2012年にその第1作である虚構推理 鋼人七瀬にて本格ミステリ大賞を獲っている。またスパイラルも本編よりも作者自身の手によるノベライズの方が本格ミステリとして評価の声が高いとする向きもある(早坂吝も言ってた)。

2011年に講談社ノベルスから刊行された虚構推理は当時も話題となったらしいが(読んだのはもう少し後だったが、当時も本屋でよく見かけた)再び脚光を浴びたのは2015年になってからマガジンRで作画・片瀬茶柴によるコミカライズが始まってからだ。そして、鋼人七瀬編が終わってまだコミックオリジナル展開が続いた辺りから期待していたが、この度めでたくアニメ化が決まった。めでたい。

そんなノリに乗っている本シリーズであるが、鋼人七瀬から7年、再び城平京による短編集が発売された。めでたい。

以下、鋼人七瀬のあらすじに軽く触れる。

桜川九郎は従姉が入院する病院で杖をついた1人の少女と出会う。少女の名前は岩永琴子。西洋人形のような幼い美貌を持つこの少女は、11歳の頃に神隠しにあい、あやかし達に右眼と左足を奪われ、現在は義眼と義足を身につけて生活していた。琴子は人間のような知恵を持たないあやかし達に一眼一足とされることであやかしでは解決できない問題を解決する『知恵の神』となる契約をし、彼女を『一眼一足のおひいさま』として慕い畏れるあやかし達に請われては彼らに知恵を貸し与えていた。そんな彼女は九郎を病院で見かけて一目惚れ。長年告白の機会をうかがっていたが、九郎が婚約者と破局したという情報を掴んではそれを実行したのだった。

琴子はあやかし達から真倉坂市という地方都市に出没する都市伝説・鋼人七瀬と呼ばれる怪異に対処するべく現地に赴く。また琴子を厭う九郎であったが、行方不明になった従姉を探す途上で同じく真倉坂市にて鋼人七瀬と遭遇する。そこに警察官で九郎の元婚約者である弓原紗季も合流し、3人でネットの力によって拡大する鋼人七瀬の脅威に立ち向かう…。

本シリーズの魅力は一見突拍子のないもののように思えるあやかしや都市伝説を当然のもののように扱いながら、それでも本格ミステリとして遺漏なく作品を成立させていることだろう。この人はぶっ飛んでとっ散らかった設定を綺麗に本格ミステリという箱に納めるのが巧い。アニメ的な設定を盛り込んだ特殊ミステリはその数を増やしたが、城平京はその白眉であると思う。そして、琴子の外道ヒロイン力の高さ。外見は非の打ち所がない美少女なのに口は悪いし、下ネタに物怖じないし(むしろ自分から嬉々として突っ込んでいく)、悪巧みに長けている。しかし、かわいい。おひいさまかわいい。

本作はその後の琴子と九郎が関わる事件について描かれた短編集である。以下、収録作について触れる。

 


「ヌシの大蛇は聞いていた」隣県の山奥のヌシの大蛇にとある相談を持ちかけられた琴子は現地へと赴く。ヌシ曰く、自らの縄張りにある山奥の沼に死体を遺棄した女性が行動とそぐわぬ不可解な呟きを漏らしたのを聞いてしまい、気になって仕方ないので、その真意を解釈して説明してほしいという。なぜ女性が死体を沼に遺棄したのかを解き明かすホワイダニット。神経質で一筋縄では納得しないヌシを黙らせる琴子の論理と論理で語りきれない人間の本質を描いたラストのコントラストが素敵。

 


「うなぎ屋の幸運日」地元の穴場感満載の普通の人なら入るに躊躇ううなぎ屋に友人同士で入店した男2人だったが、そこには西洋人形じみた風貌の美少女の先客がいた。彼女は何者なのか、どうしてうなぎ屋に?美少女の正体を推理する男たちであったが、片方の男の意外な解釈からとある犯罪へと話は流れていき…。どうやったらこんな奇天烈な風に話を転がせられるんだと唸らされた。でも着地は意外と湿っぽく後味が苦い。この短編集で一番好みな話。

 


「電撃のピノッキオ、あるいは星に願いを」ドラマの聖地化から一躍有名になった地方の漁村で魚の大量死が頻発する。原因不明の大量死に暗い雰囲気が立ち込める漁村にて言葉を話す化け猫に家に居着かれた老婆はその大量死の原因がとある怪異によるものであることを知る。その怪異とはまるでピノッキオのような姿でありながら、その右手から雷撃を放つ木偶人形。雷撃のピノッキオはなぜ産まれたのか。琴子と九郎が解決に乗り出す。城平京と言えば度々珍妙な名前の小道具や人物を生み出す作家であるが、これもその類。それでいておちゃらけた話にならずに「雷撃のピノッキオ…悲しい…」となるのが不思議。怪異バトル短編。

 


「ギロチン三四郎」死のモチーフと招き猫を同居させたイラストを持ち味とする女性イラストレーターはとあるニュースに目を奪われる。世にも珍しい国産ギロチンで人の首を斬った男が逮捕されたというニュースだ。その男はかつての自分に因縁がある人物で、その人物の逮捕によって自分の過去の犯罪が明るみに出るのではないか、と怯える女だったが、男は沈黙を守った。後日、女がローカル線で出会ったのは青年の肩で眠る美少女。眠る少女を尻目に言葉を交わすようになった女と青年だったが、やがて青年の口から事件のことが語られ…。またもや変な名前!でもきちんとロジック!一番血塗れな話だったが、一番優しさに溢れていた。すてき。

 


「幻の自販機」琴子の口からうどんの自販機のことを聞かれた九郎。現在は下火になったものの日本中に点在し、未だマニアも存在するような自販機であったが、琴子の言う自販機は化け狸が自作のうどんをほかのあやかしや人間に振る舞うべく、山中に作り上げた迷い家のような異界の休憩所にて運用しているいわゆる妖怪うどんの自販機のことであった。しかし、この自販機のある異界に迷い込んだが故にアリバイが成立してしまった殺人犯が犯行を自白をしたものだからさあ大変。異界の周りを執念深い警官が嗅ぎまわり、このままではうどんを売れない、と言う。この警官を納得させて捜査をやめさせるようにアリバイ工作を意図しなかった犯人のアリバイ崩しをすることとなるが。変な事件の変なアリバイ工作。珍妙な外見な話なのに問題はトリッキーで首を捻るしかなかった。変な話!

 


久しぶりに続編を読めたことが嬉しくなる粒揃いの短編集だった。また長編でもやってほしい。そして、そのためにもアニメも応援したい。琴子の声、誰だろうなあ。

 

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書影。今回はコミック版の片瀬茶柴が手がけている。講談社タイガ刊。

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前作。イラストは万能鑑定士Qでお馴染みの清原絋。

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作者の代表作であるスパイラル〜推理の絆〜。ブレードチルドレンと呼ばれる殺人鬼になる可能性を秘めた子どもたちを巡る事件を名探偵の弟である鳴海歩が解決していく。カノンくんが改造エアガンぶっ放してバトル漫画になる前の方が好き。でも終盤のひよのちゃん、よかったよね。未だにアニメのオープニングとエンディングをたまに観たくなる。アレルヤ

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スパイラルのノベルス版。歩くんの事件簿と鳴海兄の過去の事件簿が収録されている。鋼鉄番長がいい話だった記憶があるけど、それよりはあの叙述トリックが衝撃的過ぎて未だに忘れられない。

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作者のデビュー作。小人地獄という架空の毒薬が関わる2つの時間の物語。名探偵のあり方を問う悲しい話。

 

 

「入れ子の水は月に轢かれ」オーガニックゆうき


本作は早川書房が主催するプロにもアマにも門戸が開かれたミステリーの新人賞であるアガサ・クリスティー賞の第8回受賞作である。

ゲリラ豪雨によって知的障害を持つ双子の兄・潤を亡くした岡本駿。母子家庭で生活に困窮していた岡本家において潤の障害者年金を受給し続けるために駿は死んだ兄として生きることを母親に強要される。そんな生活に嫌気がさした駿は母親から離れ、誰も知り合いがいない沖縄に流れ着く。

那覇国際通りから一歩入った猥雑な商店街・水上店舗通り。かつて湿地帯だったガーブ川を丸ごとコンクリートで覆い、暗渠となったガーブ川の上にひしめく闇市の成れの果て。行く宛のない駿は通りに店を構える古参の鶴子オバアに拾われ、彼女の店舗の上で住み込みの従業員として働くことになる。そこには日がな一日釣りをしている中年フリーターの健さんが暮らしており、彼と意気投合を果たした駿はやがて鶴子オバアの店を譲り受け、水上ラーメンの店主となる。

無事にオープンを果たした水上ラーメンであったが、その第1号の客がオープン翌日に水死体として発見される。その客はどうやら詐欺師であることを会話から察した駿。その話を聞いた健がその水難事故が殺人ではないか、と独自に捜査を開始するもその裏には米軍やCIA、ベトナムの二重スパイ、琉球王など沖縄の暗部が蠢いており、その捜査の最中、第二、第三の水死体が浮かぶのであった…。

まず舞台となる水上店舗通りとガーブ川の存在感が面白い。水上店舗通りには戦後、米軍占領下で住む場所を奪われた人々がガーブ川の上に不法に闇市を形成するも、度重なる水害によって死者が溢れ、また元の地主と店舗の組合の争いが激化し、その収集をつけるために米軍が介入して現在の形となったというバックストーリーがある。その成り立ちには物語で登場するような深い陰謀があったかもしれない。見知らぬ土地ではあるが現地に縁がある作者の確かな描写によって行ってきたかのような没入感が味わえる。

そして、その水上店舗通りがユニークな主人公の造形と深く関わってストーリーを進めていくのが面白い。豪雨の最中、マンホールに流された兄の死に際と避難所でたまたま観たモンゴルのストリートチルドレンがマンホールで肩を寄せ合う姿が重なり合い、マンホールを見るとその情景がフラッシュバックし癲癇を引き起こすマンホール恐怖症になったという。しかし、水上店舗通りは川の上に建っており、その下には濁流が流れている。駿の暮らす店舗の裏にも米軍が敷設した謎の巨大マンホールがあり、彼の内心も穏やかではない。しかし、事件の核心はその暗渠の中にこそあり、不審死の謎も暗渠に秘められている。歴史的な謎も、トリックとしての謎も暗渠の中にしかないのだ。彼は己のトラウマと向き合いながら文字通り暗渠の中へと踏み出していく。その様子は冒険小説のようである。

正直、ガーブ川の独特な構造や沖縄の水脈事情を核にしたトリックはイメージが湧きづらく飲み込むのに苦心した。また文章もキャラ造形も習熟しているとはとても言い難く、かなり損をしている。良くも悪くも新人作家らしい熱意先行の作品と言わざるを得ない。しかし、限りなくユニークな力作であることは間違いない。水という人間にとって最も身近なものの恐ろしさを改めて見せつけられる。ごちゃごちゃとした沖縄のディティールも素敵だ(コーヒーのサイフォンで作るという水上ラーメンはぜひ一度食べてみたい)。そういう意味で作者の今後に期待したい。沖縄、また行きたいなあ。

 

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書影。作者の名前が目を惹く。私よりひとつ下の京大生らしい。すごいなあ。

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沖縄が舞台の矢作俊彦と司城士朗の犯罪小説・「犬なら普通のこと」。まだ積んだままだから読まないといけない。