「アンデッドガール・マーダーファルス1 」青崎有吾


今では平成のエラリー・クイーンと呼ばれる青崎有吾だが、当初はライトノベルを書いていたそうだ。いくつか賞に作品を応募するものの、落選。そのときの選評に「ライトノベルではなく、ミステリの方がいい」と書かれたことが彼の作家としての方向性を決めたのだから面白いが、そんな彼がライトノベル作家になっていたらどうなっていたのか。そんな読者の希望が結実したようなモンスターミステリバトル小説が本作アンデッドガール・マーダーファルスである。

舞台は19世紀末の欧州。世界的に人間の手によって怪物が狩り立てられ、その数を減らしていた最中、怪物事件専門を謳う探偵とその助手がいた。奇妙な鳥籠を持ち、奇妙な風体と、奇妙な噺方をする青年の助手・真打津軽。そして、その鳥籠の中から声のみが聞こえる女探偵・輪堂鴉夜。鳥籠使いと呼ばれる彼女らはとある目的の為に極東から欧州へと流れ、闇に蠢く怪物事件を解決していく…。

同じく講談社タイガから刊行されている虚構推理と同じく怪物×ミステリをウリにした特殊ミステリだが、流石の青崎有吾、吸血鬼や人造人間などすっかりお馴染みの怪物をメインと据えながらもその事件の解決が実に明快にロジカルであり、そして意外性があり、心地よい。

怪物以外にも世界的な空想上の有名人、特にミステリの名探偵や周辺の人物を複数登場させているのもオタク的には嬉しいポイントだ。そもそも19世紀末の欧州と言えば、シャーロック・ホームズが活躍し、数多くの名探偵が競って創作されていた推理小説の黎明期だ。本作でもパリの新聞の編集長やベルギーの警部などミステリを少し齧ったことのある人ならにやりとするような有名人が物語に顔を出している。

そして、同じ時代はホラー、SF小説の勃興期でもある。吸血鬼ドラキュラ、ジギル博士とハイド氏、透明人間、フランケンシュタイン…これらの今でも愛されている怪物たちもこの時代に不気味に産声を上げた。そんな彼らが名探偵を相手取って戦いを繰り広げるのだからワクワクしないはずがない。

作者のビビッドなキャラクター造形は裏染天馬シリーズでも光っていたが、やはり本格推理小説という枠から外れた本作の方がより自由に翼を広げているように思えた。特に対怪物戦闘のスペシャリストでありながら、噺家のような語り口でとにかくうまいこと言おうとして(そして存外うまく言えている場面が多い)奇矯に振る舞う真打津軽は私のお気に入りだ。

物語は鴉夜と津軽の共通の敵がリーグ・オブ・レジェンドばりのチームアップしたところで幕を下ろした。次はフランスの大怪盗とイギリスの名探偵が合間見える展開になるらしい。オタクの大好物ではないか。読むのが楽しみだ。

 

…そう言えば、直前に読んだのがロード・エルメロイ二世の事件簿だったんだけど、特殊ミステリってだけでなく、喋る何かが入った鳥籠を持った探偵助手が出てくる、って変な符号があったのも不思議な感じだ。

 

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書影。イラストはエアギアや天上天下、現在は化物語のコミカライズを連載中の大暮維人

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同じ講談社タイガの怪物×ミステリ小説の虚構推理。アニメ化までもう半年切りましたね!楽しみですね!

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同じく19世紀末の欧州を舞台に史実・空想の偉人が入り乱れる久正人のジャバウォッキー。

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読んでいて西尾維新が書くバトル小説っぽいな、とちょっと思ったのだが(喋りながら敵をボコボコにするとことか)、刀語が一番近い気がする。津軽の決め台詞が少し七花っぽいし。

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SF・ホラー小説版アベンジャーズことリーグ・オブ・レジェンド。久しぶりに観たい。

 

「ロード・エルメロイ二世の事件簿1 case.剥離城アドラ」三田誠


大絶賛アニメ放映中のロード・エルメロイ二世の事件簿の原作とも言うべきノベル版だ。本作の主人公、ロード・エルメロイ二世は魔術界を三分する勢力の一つ、魔術協会、その総本山である時計塔に所属する魔術師の中でも12人しか存在しない君主(ロード)の1人。10年前、時計塔の一学生で平凡な魔術師だった彼は日本で行われた第四次聖杯戦争に強引に参加し、大方の参加者が死亡した中、生還するという奇跡を成し遂げた。その後、同じく聖杯戦争に参加し、戦死した師匠のケイネス・エルメロイの跡を継ぎ、ロード・エルメロイ二世となって、現代魔術科の君主となる。

ここまで読んで、Fateシリーズ、ひいてはTYPE-MOONの作品群について知らない人は「はあ…」という感じだろう。この作品は元祖であるFate/stay nightの前日譚であるFate/Zeroのさらにスピンオフであるのだからその敷居の高さは相当である。詳しくはウィキペディアとかで読んでもらった方が間違いがないし、Fate/Zeroを少し観たことがある人なら征服王イスカンダル(cv.大塚明夫)のマスターのウェイバーくん(cv.浪川大輔)が成長した姿、と言えば分かってもらえると思う。

正直、TYPE-MOON作品を網羅することを5年以上前に諦めた私も久しぶりにがっぷり四つに組んで取り組もうと思えた作品だ。なにがそんな私の気を引いたかというとやはりタイトルだろう。

事件簿。事件簿である。聖杯戦争といえば古今東西の英雄を現代に召喚して、バトルロワイヤルをやるという世の中学生がよだれを垂らすようなアイデアで、世界史沼にバンザイ突撃してズブズブハマってしまうような異界であるが、そこに実にそぐわない響きだ。しかし、心高鳴るものがある。具体的な話の前にあらすじに触れる。

ロード・エルメロイ二世は義妹のライネスから借金返済ととある目的の為の依頼を持ちかけられる。魔術刻印の修復師として知られる魔術師ゲリュオン・アッシュボーンが亡くなり、遺産相続が行われるという。その遺産相続に立ち会ってほしい、という依頼であった。二世は内弟子のグレイを引き連れて、天使の意匠が至る所に散りばめられた不気味なアッシュボーンの居城であり、魔術工房であった「剥離城アドラ」を訪れるが、そこには彼らの他に高位の魔術師たちが招待されていた。アッシュボーンの遺産相続の条件はシンプルなものだった。参加者には天使の名が与えられる。そして、アッシュボーンの天使の名を当てる。もし、その天使の名を当てられなければ天使の名を奪われる。参加者はそれぞれの得意分野をもって天使の名を推理するが、やがて城内において殺害された魔術師が発見される。その死体は無残にも傷つけられ、与えられた天使に対応する人体の一部と魔術刻印が奪われていた…。

登場する魔術や登場人物、世界観はこれまでのFateの世界では馴染み深いものばかりで、実にそれらしい。しかし、あくまで本作は事件簿であり、本質はミステリである。

作中、二世は「魔術師が相手ならハウダニットやフーダニットには意味がない。ホワイダニットこそ、事件を解明する」という言葉を繰り返し語る。魔術師は超常現象を扱うから、どのようにやったか、誰がやったかから犯行を推理するのは不可能だ。しかし、なぜやったか、という観点からは事件を推理することができる、という。非常に限定的で特殊な環境で育った推理法だ。しかし、Fateという長い作品の歴史の中で鍛え上げられた魔術という背骨がこの特殊な筋肉をよく支えている。屋敷の見取り図などミステリ読みにとって馴染み深いギミックが配されてるのも憎い。広範な魔術の知識とFate世界の知識がなければ答えに辿り着けない、という点では読者に挑戦してくるようなフェアな作品ではないが、特殊設定ミステリとしての体裁は取れており、まさに事件簿の名に恥じないミステリ作品として仕上がっている。

また、もう一つ、私の興味を引いたのが、作者の三田誠である。彼の代表作にアニメ化されたレンタルマギカがある。レンタルマギカは平凡な高校生の伊庭いつきが魔法使い派遣会社アストラルの二代目社長となって、個性豊かな魔法使いの社員たちとさまざまな魔法が関わる事件に立ち向かっていくライトノベルであるが、本作と通底するものが多く感じられた。

まず、登場する魔術師の多様さ。二世には宝石魔術を得意とする気の強い名家の令嬢、騎士のような気質を持つ好青年錬金術師、金儲け至上主義の占星術師の傭兵、気さくな関西弁兄ちゃん山伏、権威を重んじる嫌味な性格の老魔術師などジャンルもバラバラな魔術師たちが登場するが、これがレンタルマギカのアストラルや魔法世界の雰囲気によく似ている。

またカバラ錬金術、天使、ドルイドにルーン、修験道、魔眼などレンタルマギカにも登場した魔術/魔法の知識量も健在だ。

そして、主人公の立ち位置も少し似ている。二世の世界の魔術師たちは神秘の根元に辿り着くべく、子々孫々、魔術の研究に邁進し、あらゆる犠牲を厭わず、独特の倫理感を有している。一方、レンタルマギカでも魔法使いとして真っ当な研鑽のほかに一部の魔法使いが魔法そのものになるという禁忌に近づこうとしている。しかし、二世も伊庭いつきも魔術師としての才能に乏しく(いつきは例外的な力を持っているが)、魔術師的な欲求に疎い。それ故に一般的な魔術師とは違う感覚を持っており、ほかの魔術師たちに驚かれたり呆れられたりしながら、やがて彼らを味方にしていく。そんな両者にもう一つ共通するのは導く者であるという資質である。二世は広範な知識から教師(アスリートのような体格に恵まれない名トレーナーに喩えられる)として、いつきは生来の人の良さから社長として、袋小路に陥った魔術師たちを掬い上げ、前進させていく。出来の良い先代の幻影に目を眩ませながら、それでも前へ進もうとし、周りのものを導いていく彼らの姿は愛おしく、頼もしい。とても好感の持てる主人公たちだ。

とにかく読んでいて、懐かしい、という感覚だった。二世のアニメも列車内の殺人事件というたまらなく美味しいシチュエーションで爆走中だし、漫画と舞台とさらなる広がりを見せている。このまま原作の方も追いかけていきたい。面白かった!

 

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書影。カバーイラストは坂本みねぢ。TYPE-MOON BOOKS版もあるが、角川版の方が手に入れやすいです。

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アニメ版。ウェイバーくんが浪川大輔だったのはこのアニメを観て、本当に慧眼だったなあと思った。水瀬いのりのライネスも可愛くて非常にいい。

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作者の代表作、レンタルマギカ角川スニーカー文庫刊。ドルイド陰陽道神道、ソロモンの悪魔、錬金術密教、魔眼など実に多様な魔法使いが登場する。本当に面白い。アニメ版は植田佳奈伊藤静釘宮理恵諏訪部順一Fateでもお馴染みの豪華声優陣だった。アッド役の小野大輔も出ている。魔術考証は二世と同じく三輪清宗

 

 

「水魑の如き沈むもの」三津田信三


「偉い不可解な状況でな、過去に人死にが出たという雨乞いの儀が、どうやら数年ぶりに奈良の山中の村で行われるらしいんや」

 


物語は怪奇幻想作家である主人公・刀城言耶の先輩であり、京都の由緒正しい神社の跡取りでもある在野の民俗学者阿武隈烏によってもたらされたこの一言から始まる。奈良県の奥深くに存在する波美地方にある四つの村には“水魑(みづち)様”と呼ばれる水神を祀る風習が残っていた。水魑様は沈深湖と呼ばれる湖に住まい、そこから流れる川に沿って四つの村が拓かれていた。四つの村にはそれぞれ神社が存在し、神社による水利組合が設けられ、川の番水を担当するだけでなく、旱魃のときは雨を乞うたり、逆に嵐を晴れさせたりする神事を持ち回りで担当することで力を持っていた。

全国の民俗風習、奇祭に目がない刀城は、女編集者の祖父江偲とともに現地へ赴こうとするが、阿武隈が語る神事にまつわる人死にエピソード、水魑様の全貌や村に伝わるさまざまな怪異に惹きつけられ、呑まれていく。阿武隈の代理として波美の地を訪れた刀城と祖父江のふたりは、やがて沈深湖で執り行われた神事の最中に神に神饌を捧げる神男が殺害される事件に遭遇する。しかし、神男が乗った船は衆人環視の中にあり、湖全体が密室となっていた。その状況は13年前の神男が死亡した神事と状況が酷似しており…。

まず死体を転がせ、とはミステリの作劇においてよく言われることである。読者を物語に引き込むにはまず魅力的な謎、その最たる殺人事件をぶち上げてしまうのが手っ取り早い、という言説だ。しかし、作者の刀城言耶シリーズにおいて、その言説は当てはまらない。なぜなら、このシリーズはミステリとしての顔以外にもう一つの顔があるからだ。

それは怪奇ホラー小説として顔である。怪奇幻想作家である刀城は、自分の知らない怪異のこととなると我を忘れて周囲の目を気にせずに頭の中身をまくし立ててしまうような怪異オタクで、全国津々浦々、彼の食指が動く怪異を求めて旅をしている。そこで彼は殺人事件に遭遇するわけだが、物語は最後の最後までその犯行が人の手によるものなのか、それとも人ならざるものの仕業なのか、ミステリなのかホラーなのかわからないまま進む。そこが面白くあるわけだが、故にホラー小説として常道である、怪異の得体の知れなさ、人知を超えた存在である描写の積み重ねに重きが置かれる。

今回も我々に未知の土着神である水魑様やその神を祀る儀式、それを執り行う四つの村の成り立ちに膨大な紙幅が割かれている。そして四つの神社に所属する登場人物も多く、とにかくまあ、事件が始まらない。死体が転がらない。しかし、積み上げられていく描写に冗長さはなく、どんな事件が起こるのだろうとギリギリまで引き絞られていく弓の弦のような緊張感の高まりが心地よい。魅力的な謎から物語のスタートラインを切り、そのまま走りきる作品も楽しいが、引き絞られた弦から放たれる謎の軌跡も美しい。

このシリーズの特徴にもう一つ、刀城言耶の推理スタイルがある。刀城は閃き先行の天才型探偵ではない。事件の中で浮上した謎を全てリストアップし、消去法に消去法を重ねて、すべての可能性への思考を巡らせる。「◯◯さんにはこの条件からは犯行は可能です。でもこの条件に当てはまらないので捨てます!」とコーヒーを入れる藤岡弘、隊長の如く何杯も抽出された推理を捨てていく。素人には「ああ勿体無い!」と思うような推理であっても、この後にやってくる極上の一杯への期待感がそれを上回る。今回も二転三転に留まらない思考の広がりの果てに射抜かれた犯人は私たちの想像を超えた存在であった。

今作は第10回本格ミステリ大賞を取ったシリーズの集大成である。そして、これまでも物語に登場していた祖父江偲が本筋に大きく絡むことによって、刀城の奇人さを引き立てるコメディ描写を膨らませただけでなくホラーとしての側面も補強しているのが上手いと思った。個人的には厭魅や首無の如きの方が好きだったが、十二分に楽しませてもらった。おススメです!

 

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書影。薄ら寒くなるような美麗な挿画を手がける村田修は津原泰水実弟である。

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同じく民俗学と土着宗教についての謎について描いたミステリである清水朔の奇譚蒐集録。続編がありそうなので続きを待ってる。

 

「ジェリーフィッシュは凍らない」市川憂人


クリスティのそして誰もいなくなった。そして綾辻行人十角館の殺人。その共通点はクローズドサークルにおいて臨場した登場人物がひとりずつ殺害されてしまい、容疑者が誰もいなくなってしまうという不可解な状況。閉じられた環境の中で犯人はその中にいるはずである。しかし、作者によって巧妙に隠された犯人の魔の手に読者は欺かれ、「犯人は…誰もいない…?」となってしまう奇妙な読感。そして特に十角館においては〝あの一行〟とさえ言われる鮮やかに見えない犯人を浮かび上がらせる極上の妙手。その快感に憑かれたフォロワーを数多く産み出してきた偉大な2作に追随し、並び立つ作品が鮎川哲也賞から現れた。それが本作、ジェリーフィッシュは凍らないである。

現実とは違う科学技術が発展したパラレルワールドのU国。特殊技術で産み出された小型飛行船ジェリーフィッシュ。航空機の歴史を転換させた新技術を発明したファイファー教授とその教え子を中心とした5人の研究者たちは新型ジェリーフィッシュの試験飛行を行っていた。しかし、新型機は突如としてコントロールを失い、吹雪の雪山に不時着する。脱出も叶わず、救出を待つ乗組員たちであったが、その最中、ファイファー教授が毒殺される。犯人は自分たちの中にいるのか。それとも外部犯の仕業か。疑心暗鬼に陥る彼らを嘲笑うように凶行は続く。

一方、A州フラッグスタッフ署刑事課のマリア・ソールズベリー警部と九条漣刑事の2人は雪山の中でジェリーフィッシュが炎上しているという通報を受けて、現場へと向かう。断崖に囲まれた窪地の中で燃え尽きたジェリーフィッシュの中に残された死体の中にはバラバラにされたものが混じっており、これがただの墜落事件ではなく、殺人事件であることを確信する2人。敵国の工作員の介入か、それとも被害者たちの中に存在する秘された動機が引き起こした内部抗争なのか。しかし、捜査を進めていくうちにどちらの可能性も壁にぶつかってしまい…。

正直な話、本作について語れることは少ない。それは本作が練りに練られた作者の計算によって読者を欺くための仕掛けが満ち溢れた構造になっているからで、迂闊にあちこち触れてしまうとこれから読む人に要らぬ予断を与えてしまいかねないからだ。そこで、私は登場人物、特に探偵サイドについて話したいと思う。

ミステリを読む人の中でも色々な楽しみ方があると思うが、事件そのものの緊迫した状況の推移をストイックに楽しむ人か、それを解き明かす人たちの思考や行動を楽しみ萌える人か、という楽しみ方の違いはあると思う。私はどちらかといえば後者だと思う。本作はどちらの人にも楽しめる造りになっている。

本作は三つのストーリーラインが存在する。ひとつはひとりの男性がひとりの女性との思い出を語る過去の物語、そして今まさに進行する惨劇の最中を描いた現在の物語、さらに起こってしまった事件を捜査する後日の物語。現在の物語はストイックに事件に向き合う人にとっては最高の餌場だろう。しかし、私のような人間からすればそのパートが長いと息が苦しくなってしまう。そこで後日の物語を担当するマリアと漣の2人の刑事の登場である。

マリアは赤毛の派手な容貌が目を惹く美人でありながら、壊滅的な生活能力と身嗜みによってそれを台無しにしている残念美人。さらに学校の成績も残念で、理系の現場でその方面の知識の欠如が捜査中に露見しては周りの人を呆れさせる。その相棒の漣はJ国人の典型的な部分を超えて杓子定規な真面目人間で、マリアの心を辛辣な評価で大幅に抉りながら彼女を公私に渡ってサポートする近年稀に見る優秀なワトスン役。この2人のやりとりが作品全体の清涼剤となり、さらに理系の落ちこぼれ読者と理系世界の橋渡しとなる潤滑油となっていて素晴らしい。しかし、エキセントリックなダメ女王様のマリアだが捜査の勘は冴え渡っており、その閃きは漣だけでなく我々読者も「ほう…」と唸らせるのだから凄まじい。マリアが真犯人に投げかけたたったひとつの言葉が素晴らしいんだ。これは十角館の〝あの一行〟に匹敵すると思う。

そして、ラストシーンの美しさ。この世界でしか存在し得ない神々しい光景。これも素晴らしかった。このラストについて語ることはできない。ぜひ自分の目で読んで、頭にその光景を思い描いてもらいたい。

すっかり本を読むペースが落ちたというか本を読まない日が続いていた中であったが、そんな停滞を吹き飛ばしてくれるようなグイグイ読ませてくれる快作であった。次作のブルーローズは眠らないとグラスバードは還らないも楽しみだ。おススメです!

 

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書影。雪山を漂流するジェリーフィッシュの姿が美しい。

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続編のブルーローズは眠らないとグラスバードは還らない。ブルーローズは不可能と言われた青い薔薇にまつわる密室が舞台で、グラスバードは窓のない迷宮が舞台らしい。早く読みたい。

 

「ドルの向こう側」ロス・マクドナルド


アメリカのハードボイルド小説の御三家の一角、ロス・マクドナルドの産み出した探偵リュウ・アーチャーが登場する作品は二十作程度ある。わたしが読んだのはデビュー作である動く標的、象牙色の嘲笑、彼の黄金期と呼ばれる中期三作であるウィチャリー家の女、縞模様の霊柩車、さむけ、そして本作をあわせて六作目である。手元にまだ彼の遺作であるブルー・ハンマーが残っているが、これは最期のお楽しみとして置いておくとして、わたしにはまだ十四作もアーチャーの物語が残っている。幸せなようで、残酷なようにも感じられる。読むたびにこんな感傷に浸ってしまうくらいロスマクを読んでいる間の幸福感は他に替え難い。これを読み切ってしまうといよいよブルー・ハンマー以外の手元の未読の作品がなくなってしまう。それがさびしくてなんとなく今まで棚上げになっていたが、いよいよ手をつけることにした。

LAの私立探偵リュウ・アーチャーはラグナ・ペルディナにある少年たちの更生施設のスポンティ博士から脱走した少年トム・ヒルマンの捜索を依頼される。トムはガールフレンドの親の車を盗み、その車を大破させ、さらに両親と諍いを起こしてこの施設に入れられたものの、施設内で暴動未遂を起こし、そのまま姿をくらませたという。聞き取り調査中、施設に現れたトムの父親の口からトムが誘拐され、犯人から身代金を要求されたことを知るアーチャー。犯人からの電話を待つ間に、アーチャーはトムのガールフレンドであるステラやトムが入り浸っていたジャズ・バーの仲間たちからまだ見ぬトムの姿を描いていく。そして、トムと行動を共にする謎の年上の女性の存在を掴む。その女性はトムと関係があったのか。誘拐犯との関わりは。しかし、捜査線上で彼が目の当たりにしたのはモーテルで撲殺された女の死体であった・・・。

これまではどちらかと言えば郊外でのフィールドワークが多かったイメージだが、今作でアーチャーはLAの探偵らしくハリウッドを主戦場に捜査を行っている。そして、きらやかな映画産業の街が放つ光が落とす影に潜む欲望に突き動かされた裏社会の人物も登場する。ここまでは一見するとありきたりなハードボイルド小説的な舞台選びであるように思える。

しかし、中期以降のロスマクはアメリカにある平凡な家庭の中にある複雑な関係、心理に重心を置いており、これらの裏社会の片鱗はあくまでどこの世界にも見えないだけで存在するありきたりの暗闇の一部分にすぎないことがわかる。

そして、ふつうに生活している人々の日常の風景はリュウ・アーチャーの目というレンズを通し撮影され、そして簡潔だが巧みなマクドナルドの描写によって現像されることによって愛憎、利害関係、虚栄心などが鮮明に浮かび上がる。これは裏社会の抗争や政治の陰謀を描いている他のハードボイルド小説とは違う道筋をたどった作者だけが到達した境地だと思う。今作でも犯人は裏社会のギャングや財政界の大物でもない。複雑に交錯するプロットの果てに想像だにしない予想外の人物が最終局面で急浮上する。これはさむけのときに味わった以来の衝撃だった。そして、その動機も心理も今となっては前代未聞でこそはないもののこの世界に引き込まれた読者の心胆寒からしめるほどとびっきりに邪悪だ。こんなに邪悪な犯人、お目に掛かったことがないかもしれない。それくらい恐ろしいラストシーンだった。

家族から背を向けた息子、すべてを支配しようとする父親、家庭を維持することに摩滅しつつある母親。急激な時代の変化に隔絶された親と子の間で冷静な観察者であり続けるアーチャー。彼について印象的なシーンがある。

 


「人は現実を爆発させることはできないんだ。人々の人生は、一体となってくっついている。すべてが、他のすべてと結ばれている。要は、その結合部分を見つけることだ」

 彼女が多少の皮肉をこめて言った。「それが人生におけるあなたの使命ね、そうでしょう? あなたは人間には興味がないのよ、あなたは人間の間のつながりにしか興味がない。例えば――」侮辱する言葉を探していた。「――配管工のように」

 私は笑った。彼女はわずかにほほえんだ。目は相変わらず陰うつであった。

 


これはアーチャーが過去につながりがある女性と交わした会話である。探偵としての生き方が染みついてしまった彼はふつうの人のように人間と交わり合えず、一種違う境地に達してしまっている。そこを突かれた痛々しい言葉だ。

彼は家庭を持たず、相対する誰からも疑念を持たれてしまう。しかし、彼は粘り強く対話を繰り返し、やがて身近な人々からは聞き出し得ない情報を手に捜査を続けていく。彼は冷徹な一匹狼ではない。彼の根底にあるのはやさしさだ。やさしいからこそ、不正義に怒りを覚えるし、傷ついた人に寄り添おうとする。そこがたまらなくクールだし、スリリングだ。

そんな彼がラストに犯人に突きつける「ノー」の言葉。その高潔さ。これには痺れた。

とにかく前のめりに没頭したすばらしい作品だった。個人的にいままで読んだマクドナルド作品の中で一番好きかもしれない。ブルー・ハンマーにたどり着くまで、彼の作品を探し求め続けよう。そう思うとちょっと明日からが楽しみになった。

 

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書影。現在新訳で復刻されていないので手に入りにくい状況。大阪にあるミステリー専門古書店で出会った。タイトルの意味がわかったときの戦慄。たまりません。

「御手洗潔対シャーロック・ホームズ」柄刀一


「ホームズ?」


「ああ!あのホラ吹きで、無教養で、コカイン中毒の妄想で、現実と幻想の区別がつかなくなってる愛嬌のかたまりみたいなイギリス人か」


島田荘司占星術殺人事件」より抜粋

 


イギリスが産んだ世界に誇る名探偵の代名詞、シャーロック・ホームズにこの目が眩むような批評を下したのは日本の本格推理小説の中興の祖とも言える作家・島田荘司が産んだ名探偵・御手洗潔である。彼はこの後もまだらの紐の有名すぎるトリックの誤謬を笑い、ホームズの変装術にいちゃもんをつけ、ホームズの人生とイギリスという国家が持つ歴史の功罪について滔々と講釈を垂れる。このシーンは御手洗の非常識な奇人さに語り手の石岡くんが目をぐるぐる回してしまうコミカルな場面となっているが、私を含めた読者はこう思ったのではないだろうか。

いや、お前(御手洗潔/島田荘司)めっちゃホームズ好きやんけ。

(御手洗はこの後にホームズを愛すべき人物だと語っているし、島田荘司漱石と倫敦ミイラ殺人事件でホームズパスティーシュを書いているので実際に大好きなのだろう)

さて、ホームズもののパスティーシュがこの世には溢れかえっており、その宿命かさまざまな探偵や悪党や怪異や地球外生命体と対決させられていることは以前、言及したと思うが(アンソニーホロヴィッツの絹の家の感想参考)、日本の探偵でホームズと肩を並べ得る探偵と言えば誰がいるであろうか。明智小五郎金田一耕助、神津恭介、この辺りの御三家はホームズと並んでも遜色ないだろう。というかもうそういう作品もありそうだし。銭形平次北杜夫がすでに対決させているそうだ(そういえば久正人のジャバウォッキー中でも坂本龍馬とモラン大佐と熾烈な戦いを繰り広げていたんじゃなかったっけ)

さて、御手洗潔はどうだろうか。職業は初登場は探偵が趣味の占星術師で、その後は横浜の馬車道に正式に探偵事務所を構える。近年では日本を飛び出てストックホルムの大学で脳科学を研究し、探偵が趣味の脳科学者となっている。IQは300以上で世界に存在するほとんどの言語に通じている。趣味のエレキギターはプロが裸足で逃げ出すような超絶技巧を誇る。身なりにこだわらない割に上流階級にも下級労働者にもうまく溶け込めるカメレオンっぷりを発揮する。躁鬱傾向があり、女性嫌いの節がある。…似ている。非常にホームズによく似た形質を持っている。

最近でも多くの作家が自身の探偵をホームズと競演させているが、私は御手洗潔がホームズと並び立つに相応しい歴史と説得力を持った最後の探偵のように感じる(綾辻行人の島田潔はホームズの前に立つとただのファンになってしまいそうだし、有栖川有栖の相方の2人は単純にホームズが苦手そうだし、二階堂黎人の妹はホームズが苦手そう)。

そんな御手洗とホームズの東西の名探偵を競演させたパスティーシュが本作である。作者は島田荘司ではなく、有栖川有栖二階堂黎人に激賞された3000年の密室や各種ミステリランキングで高く評価された密室キングダムの著作を持つ本格推理小説作家の柄刀一である。作品は全5編から成り、御手洗編とホームズ編が2編ずつ、そして2人が競演する1編、そして島田荘司によるオマケのような短編が収録されている。以下、収録作について触れていく。

 


・「青の広間の御手洗」小説家の石岡の前にかつての相棒である御手洗潔が久しぶりに顔を見せた。ストックホルムの大学で脳科学を研究する御手洗はノーベル賞の授賞候補となっていたが、それを固辞。かつてのように石岡を翻弄する。しかし、とある目的のために石岡を引き連れ、授賞式が執り行われるストックホルムへと向かう。

ファンが待望する御手洗・石岡のコンビが久しぶりに顔を合わせたという夢のような短編。大きな事件は起こらないが、脳科学者となった御手洗の姿が堂に入っており、あわあわする石岡くんが愛おしい。

 


・「シリウスの雫」日本で暗闇坂の人喰いの木事件を解決した御手洗たちは事件解決に協力してくれた老警官を訪ねて、再びイギリスの地へ。そこで旅芸人の一座と交流する彼らであったが、泥酔した石岡はその地方に伝わる巨石建造物の遺跡の中で倒れてしまう。酩酊する視界の中で石岡は逆さ向きに取り付けられた石の階段を登る人影を目撃する。反重力の里と呼ばれる地に伝わる飛行族の妖精の姿だったのか。旅芸人たちに発見された彼であったが、そこで彼を待っていたのは逆さ向きの階段に座る紫のペンキで体を彩られた老人の死体であった…。

島田荘司が起想したかの如く幻想的な事件を論理的に鮮やかに説明する大トリックが瞠目の1編。一番好きな話。胸がじんわりとするとてもよい話。

 


・「緋色の紛糾」横浜、馬車道シャーロック・ホームズとワトスンの探偵事務所にひとりの女性の依頼人が現れる。彼女の父の犯罪学研究者が研究室で死亡していた事件を捜査してほしいという。研究者はとある事件の再現実験の準備中だった密室で頭を拳銃で撃ち抜かれて死亡していた。これは自殺なのか他殺なのか。死体の側には血で書かれたダイイングメッセージと思わしき血の文字が…。

なぜ現代日本にホームズとワトスンが?という謎から始まる短編。緋色の研究やまだらの紐などの名作を彷彿とさせる怪事件。

 


・「ボヘミアン秋分」日本のホームズの新たな依頼人は在日スペイン大使。彼はかつて熱愛の果てに別れたジプシーの女性・アドラーに脅迫を受けていた。大使がかつてアドラーへ宛てた手紙と写真の奪回を依頼されたホームズはジプシーの秋分の祭りに沸き立つアドラー邸へ乗り込むが、そこで殺人事件が起こり…。

ボヘミアの醜聞を現代ナイズし、さらに殺人事件をトッピングした短編。ボヘミアの部分はそのままだが、新たな殺人事件がそこに彩りを加えている。

 


・「巨人幻想」巨人の足跡が残るイギリスの地方都市を訪れていた御手洗と石岡。彼らはそこで滞在していた家で巨人が通り過ぎたとしか思えない跡を目撃する。さらにその街にある大学の学長の孫が誘拐される事件が発生する。ホームズとワトスンはその事件の捜査中に窓の外に巨大な人間の顔と不気味に揺らめく鬼火を目撃する。誘拐事件の犯人がいると思われた塔の最上階は巨人に掴まれたが如く無惨に破壊され、部屋の中にいた男はナイフで刺され、重症であった。さらに破壊された屋根の上には火傷を負った男の死体が。霧の中を不気味に闊歩する巨人の猛威と少年の誘拐事件の捜査線上で御手洗とホームズの2人の名探偵が邂逅する。

現実と思えない事件を鮮やかに解き明かす一方、ロマンチックな幻想を愛でるような洒脱なストーリーテリングが冴え渡り、見事な余韻をもたらす至福の1編。

 


・「石岡和己対ジョン・H・ワトスン」柄刀一が書いた物語をもとに石岡とワトスンの両名探偵伝記作家から感謝を告げる手紙が届く。しかし、その内容は次第にお互いの名探偵への愛着から泥沼のフリースタイルのdisり合いへと転がっていき…。

島田荘司による解説とは名ばかりの悪ふざけのようなサプライズ短編。日本のゴッド・オブ・ミステリーもこのパスティーシュを楽しんでいたことが窺える。

 


パスティーシュは一見すると魅力的なキャスティングを思い付いた時点で勝ち確のように思えるが、それを作品へと昇華するにあたって必要不可欠なのが作品やキャラクターへの深い理解と愛着、そして擬態力である。その点、この作品はどれも申し分ない。島田荘司の作品でしか味わえないような魅力的な奇想から生まれる難事件とそれに戸惑う読者を足元からひっくり返すような大トリック。そして、まるで石岡くんが島田作品から抜け出してきたかのように錯覚するくらい自然な語り口。そして、論理を尽くした後であっても幻想を幻想のままそっと引き出しにしまうような素敵な幕引き。素晴らしいの一言に尽きる。私はまだ作者の他の作品に触れたことがなかったが、これから探して読んでみようと思う。御手洗やホームズに馴染みない人でも楽しめると思う。おススメです。

 

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書影。原書房刊。文庫版は創元推理文庫から出ている。

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30年以上の歴史を誇る御手洗潔シリーズの原点にして類稀なる奇想とトリックが伝説となった占星術殺人事件。全人類に読んでもらいたい。

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最近のホームズパスティーシュでは成歩堂家のご先祖様である龍ノ介が英国でホームズと競演する大逆転裁判が面白かった。推理力が高すぎるが故に普通の人には披露される推理が突飛なように思えてしまう、という点は柄刀版御手洗やホームズにも当て嵌まることだが、本作ではそれを龍ノ介が噛み砕き、ホームズの暴走をそっと修正するというゲームシステムとして昇華している。こちらも傑作。1.2ぶち抜いてプレイしてほしい。

「金子文子と朴烈」イ・ジュンイク


映画館で予告編を観るのが好きだ。特に初めて観る予告編ばかりであったら、本編など始まらずに予告編だけをずっと観ていたい気にさえなるときがある。この映画もたまたま予告編を観ただけで、事前の情報などなにも調べずに映画館へと足を運んだ。

 

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「わたしは犬ころである」

そう書き出された詩に目を止めたおでん屋で働く日本人の金子文子は、その詩の作者が日本人から不逞鮮人と呼ばれる朝鮮人社会主義者グループのリーダー格で、無政府主義者で朝鮮独立運動家の朴烈(パクヨル)という男であること知る。この詩と朴烈の人柄に惹かれた文子は強引に朴にアプローチをかけ、やがて彼と同棲するようになる。しかし、幸せのまっただ中、関東大震災が起こる。かつてない大災害を前に民衆の暴動の気配を感じ取った内閣の内務大臣・水野錬太郎は、彼らの怒りを政府からそらすために、朝鮮人たちが震災の混乱に乗して井戸に毒を投げ入れたという真偽の定かでない情報をもとに戒厳令を発令を提案する。警察による朝鮮人の不当な逮捕、収監だけでなく、自警団による朝鮮人の虐殺が始まり、朴たちは安全のために警察たちに逮捕されることを選ぶ。

朝鮮人虐殺が急速に全国に広まる中、水野は朝鮮人が日本人に反乱を起こそうとしていた証拠を得るために見せしめとなる朝鮮人として不逞社という朴が率いていた秘密結社に目をつけた。組織の中のメンバーを拷問し、朴が上海から爆弾を購入しようとしていた情報を掴むと、朴と文子を市ヶ谷刑務所へと収監し、裁判にかける。予審の最中、朴が爆弾は皇太子を狙った暗殺計画のためだったことを認めると、彼らの罪状は大逆罪へと変わる。大逆罪の量刑は死刑のみ。しかし、それは朝鮮人初の大逆罪人という肩書きとともに朝鮮民族独立の英雄となって死ぬことを願った朴の一世一大の大見得であった・・・。

関東大震災がきっかけで起こった朝鮮人大虐殺については、わたしも学生時代の世界史の勉強中に習っていたが、その様相はわたしが歴史の一単語と思っていたよりもはるかに悲惨で許容しがたいものであった。虐殺の被害者が六千人近くになったという作中の情報が真実であるかはわたしも判断がつかないが、それでもそのうちには真実であった事件もあったことであろう。

当然、被害者側である韓国で造られた映画であるから、日本人に対する描写は同じ日本人として心苦しくなる場面も多い。天皇制に対する主張も額面通りに受け取れば、日本人として受け入れがたいところもある。しかし、それでもこの映画は日本憎しで造られた映画ではない。この映画で文子や朴が訴えているのは人間として平等に生きることの尊厳であり(天皇も日本という国家を維持するための被害者であるという描かれ方をしているように思えた)、当時の権力者や関係者たちは自らの保身と朝鮮人たちへの差別感情で行動しているが、やがて彼らのまっすぐな姿に少しずつその行動を改めていく。単なる昔の朝鮮人すげえ映画ではないバランス感覚がうかがえる。

わたしがこの映画を観ていて考えさせられたことは闘うことについてだ。日々、ツイッターなどを見ていると、あらゆる人たちがなにかについて怒っている。そして、自分の主張を延々だらだらと書き連ねている。わたしなどはそれを実に不毛だとしか感じないから、そんなものなど存在しないように自分の楽しいと思うことだけを見ています、みたいな態度をして過ごしているが、この作品を見ていてすこしわかったことがある。闘うことはある種の娯楽なのだ。たとえそれが怒りに満ちたものであっても、きっとその最中にいる人は心のどこかでそれを楽しんでいる。社会の不具に相対し、それを正している自分の姿にうっとりし、それに打ち込んでいる間は他のもっと現実的な憂さを忘れられるのだろう。作中序盤の朴や文子にも共通したものを感じる。思想的に堕落した同志を私刑し、雑誌に自分の理想や虚飾に満ちた主張を書き続けている。

だが、当局に逮捕され、自らの死が近づいてくるにつれ、彼らの主張は純化され、愛する人と死に、自らの理想を後世の人に繋いでいくために残された日々を使うようになっていく。社会の不平等さに怒りを抱くことは間違いではない。ただ、手段や目的を間違えてはいけないとも思う。誰かを断罪することにのみ快楽を見いだすようになってしまってはいけない。

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ともすれば苦しくなってしまうような物語の中で清涼剤となっていた主演のチェ・ヒソのキュートさには脱帽だ。わたしは裁判中の黒髪ロング丸眼鏡姿に胸を打ち抜かれたクチだが、それ以外の場面もキュートの塊であった(予審中に「やべ・・・いらんこと言ってしもうた・・・」みたいなとことか最高だった)。

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「静かにしろ!」は個人的に今年一のパワーワードだ。

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朴烈役のイ・ジェフンも高地戦以来久しぶりに観たが、あのときのイケメンさは形を潜め、薄汚い底辺政治活動家っぷりを怪演していた。序盤こそ自らを犬ころというような狂犬っぷりからおどけた狂人さを垣間見せたが、やがて文子と心を通わせ、自らの死期を悟るようになってその険は取れていき、やさしい顔つきへと変わっていき、涙を誘う。ふたりが獄中で写真を撮るシーンは非常によかった。

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判事役のキム・ジュンハンもむちゃくちゃなふたりに振り回されながらもやがてふたりに理解を示していくところがよかったし、作中一の極悪人・水野錬太郎役のキム・インウも実に清々しいクズっぷりだった。

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苛烈で強烈なラブストーリーだった。もう掛かっている映画館も少ないとは思うが、ぜひ一度観てもらいたい作品だった。おすすめです。

 

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韓国版プライベート・ライアンこと高地戦と爽やかなイ・ジェフン。

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最近の作品で関東大震災を扱った作品といえば馴染み深いのは風立ちぬじゃないでしょうか。

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大正時代が舞台の田代裕彦富士見ミステリー文庫の名作・平井骸惚此中ニ有リの中でも関東大震災中に起きた殺人事件を扱った第4巻。復刊された一作目の売れ行きが振るわなかったようで、第1巻以外は読みづらい現状。辛い。