「エラリー・クイーンの冒険」エラリー・クイーン

 

波乱万丈の精神的な冒険を送る修道僧そのもののエラリーは、人生を気に入っていた。そしてまた、探偵(本人はその呼称を心から嫌っているのだが)でもあるので必然的にこのような人生を送らざるを得ないのだ。

(「ひげのある女の冒険」より抜粋)

 


これまでエラリー・クイーンの友人として彼が手がけた事件を物語として発信、自身も序文を添えるなど熱心な読者との橋渡し役を長年務めていたJ・J・マックのもとにエラリーから一本の電話が。曰く、僕も自分の物語を小説にしてみたくなった。君も知らない事件をノートから引っ張り出してきたので、また序文を書いてくれ、と…。

本作は長編の国名シリーズで名高い作者と同名の探偵エラリー・クイーンの短編集として1934年に刊行された。収録作品は1933年付近に書かれたものを集めたものであるらしいから、世の読者はローマ帽子の謎からエジプト十字架の謎あたりまでの名作長編でのエラリーの活躍は知っていたことだろう。だが本作はクイーンの第一短編集である。私も国名シリーズやドルリー・レーンの悲劇四部作といった長編は読んだことがあったがエラリー・クイーンの短編は初めてだった。しかし、後にミステリのアンソロジーを多く世に出した編纂者としても名高いクイーンが最も重要な短編集106冊を選んだ際に自薦した本書は短編集として屈指の出来である。

そもそもミステリの短編というのは非常に繊細な技巧を求められる難物である。少ない紙幅に読者を引きつける印象的な事件と読者を納得させる簡潔で明快な解答を求められる。キャラクターの特徴をごてごてと飾り立てる暇もなければ膨大な雑学や論理に論理を重ねる講義時間も取れない。優れた短編ミステリを書くのはある意味重厚な長編ミステリを書く以上に難しいのかもしれない。

本作はその点、これまでのクイーンの美しい論理構築で鮮やかに事件を解決する、という気持ち良さをギュッと短編に詰め込んだような素晴らしい短編ばかりが取り揃えられている。

クイーンの長編はたしかに面白い。大作を読んだという読み応えと幸福な満腹感がある。しかし、初めてクイーンに挑戦する人には少しばかりハードルが高いと言われるのもわかる。膨大な登場人物と数多の手掛かりや伏線、論点。舞台も劇場やデパート、病院と広い。それらを取りこぼさずに最後まで辿り着けるか。その点、短編は的が絞られている。解説者の川出正樹も本書の魅力をとっつきやすさ、だと述べている。

短編ではあるが、長編に比べて味気ない、なんてことは断じてない。描写は活き活きと踊り、登場する人物も意気揚々の曲者揃いだ。特にエラリーは行く先々で「もしかして、あなたがあのエラリー・クイーンさん?」「やれやれ。これだから有名人は困る」みたいなことを平気で言っちゃうし、なんだか女性への関心が高まってる気がする(というかローマ帽子のときはイタリアで父親と嫁と隠居してたはずなのになんでかニューヨークに戻ってきてるし、自分の冒険譚についてノリノリだし)。

以下、収録作品について触れていきたい。

「アフリカ旅商人の冒険」大学で犯罪学の講義を受け持つことになったエラリーは三人の教え子と殺人事件に挑む。生徒たちの推理を聴いたクイーン先生の成績講評にニヤリとさせられる。

「首吊りアクロバットの冒険」アクロバット芸人の美女が首吊り死体となって発見された。なぜ他に身近にあった四つの簡単な殺害方法ではなく困難な首吊りを選んだのか?というホワイダニットに唸らされる。冒頭のアクロバットに関する記述が素敵。

「ひげのある女の冒険」殺された医者が最期に手がけていた絵の中の女性になぜかひげが描かれていた。この奇妙なダイイングメッセージの意味とは?

「七匹の黒猫の冒険」体の不自由な猫嫌いな老婆がなぜか毎週決まって黒猫を購入する。可愛らしい猫とグロテスクな事件のコントラストが素晴らしい。ゲストヒロインも可愛い。

「いかれたお茶会の冒険」子どものために不思議の国のアリスの演劇を練習中だと言う金持ちの屋敷に呼びつけられ不機嫌なエラリー。しかし、気狂いの帽子屋役の屋敷の主人が衣装のまま失踪する。誘拐かと思われる状況の中、屋敷に奇妙な届け物の数々が。エラリーの鬼謀が光る。

他にも粒揃いの短編が揃っている。アメリカ代表の片眼鏡の名探偵の入門書としてこれ以上の一冊はないだろう。おススメです。

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