「プランD」ジーモン・ウルバン


もし、ある歴史的事件が成功あるいは失敗していたらその後の歴史はどうなっていたか、という視点で描かれた歴史改変小説と言えばディックの高い城の男などのSF小説が高名だが、ミステリとの親和性も高い。たとえばマイケル・シェイボンユダヤ警官同盟イスラエルが建国に失敗し、ユダヤ人の特別行政区アメリカのアラスカにあったら、という世界観で描かれた警官小説であった。現実の世界ではイスラエルという自分たちの国をようやく手に入れたユダヤ人が物語の世界ではその居場所を得ることに失敗し、さらに新たに手にした仮初めの居場所までも失おうとしていた。そんな現実世界ではあり得ないifの中で政治、宗教的背景を抱いて暗躍する犯罪者とそれを追う警官たちの心理と情熱を実に巧みに描写していた傑作だ。

当然、たとえ物語が荒唐無稽に思える前提からのスタートを切るのだとしても、そこに描かれるのはひとつの世界の歴史であるのだから、相当に精巧な描写と考証がなければ説得力のない絵空事になってしまう。しかし、本作がデビュー作であるドイツの新鋭ジーモン・ウルバンはそれを見事にやってのけた。

舞台はドイツ。東ドイツの元首ホーネッカーを権力の座から引きずり下ろしたクレンツは東西に分断されたベルリンの境界線である壁を一度は解放するも(多少内情は異なるもののここまでは現実通りの歴史)、流出する国民を止めきれず、再び壁を閉ざしてしまう。〈再生〉と呼ばれる一連の改革で現実世界では崩壊した東ドイツは延命に成功し、2011年の現在でも東ドイツ社会主義国家として存続しているという架空の歴史を歩む世界。

人民警察の警部マルティン・ヴェーゲナーは国家が所有する森にあるガスのパイプラインにて首を吊られて死亡した老人の殺人事件を捜査していた。老人の死体には再生時代以前に暗躍したシュタージと呼ばれる秘密警察の処刑人が裏切り者に対して行なったという左右の靴の靴紐を結びつけるという独特の符丁が残されていた。今回も国家保安省の機密保持の書類にサインしてお役御免かとお決まりの捜査をこなすヴェーゲナーであったが、事件の写真が西ドイツの有力紙に流出して事態が一変する。

東西ドイツはロシア産のガスを東ドイツのパイプラインを通じて西ドイツに供給するエネルギー協定を間近に控えていた。しかし、東ドイツで依然として国家による非人道的な殺人が行われていると世界に思われれば、エネルギー協定は白紙に戻ってしまう。そうなるとトランジット料金をあてにしていた東ドイツ経済も安定したガス供給を公約に当選した西ドイツの新元首も破滅だ。

その最悪の事態を回避するべく、東西ドイツは異例の合同捜査を行うことに。西ベルリン警察の特殊捜査班のトップ捜査官であるブレンデル刑事の相棒として白羽の矢が立ったヴェーゲナーは彼とともに事件を捜査することに。犯人はエネルギー協定を疎ましく思い、シュタージの犯行に見せかけた何者なのか。殺された老人はシュタージの関係者なのか。浮上するプランDという計画とは…。

とにかく面白いのは東ドイツという社会主義国家の現在の姿だ。あらゆるインフラやサービスを国家が所有し、管理する社会は困窮した西ドイツをはじめとした資本主義の民主国家からは青い芝生のように見ている人々もいる。しかし、その内情はあまりに悲惨だ。あらゆる場所にカメラと盗聴器が潜み、骨抜きにされたとは言え、シュタージをはじめとした国家の目が光る閉塞した社会。そんな誰が敵かわからない状況の中で人々は口をつぐみ、希望も持てずに下を向いて生きている。主人公のヴェーゲナーもそんな人のひとりだ。

当初、コードネームU.N.C.L.E.のナポレオン・ソロイリヤ・クリヤキンシュワちゃんレッドブルのような東西の凸凹コンビがお互いのコミュニティをディスり合いながらいつしか友情を勝ち得ていく王道のストーリーかと思っていたが、そんな予想は10ページも読む頃には霧消していた。とにかくヴェーゲナーが卑屈なのだ。彼は国家が大量生産した粗悪品の下着や車しか所持しておらず、真実を追い求める警察官であるにもかかわらず、国の不都合なことに目を背け、口を閉ざしてきた。容姿にもそれほど自信はなく、今も愛して止まない元恋人のカロリーナはエネルギー省のエリート街道を邁進し、ロシア人の高級官僚に体を許すガス娼婦だと妄想してはひとりで傷つく哀れな中年男性。片や西のブレンデルはハンサムで高級な香水の香りを纏い、東ドイツ製とは雲泥の差のある高級車を乗り回し、周囲の人々の目を離さない伊達男。しかも人格者でヴェーゲナーや東ドイツの人々にも友情を示し優しい。ヴェーゲナーはブレンデルやカロリーナの姿を見てはその劣等感を募らせ、東ドイツの荒涼たる現実を見せつけられていく。

とにかく陰鬱で迂遠な展開で物語は進んでいく。腐敗した社会主義国家の中で誰しもの口は重く、捜査は進まず、そんな社会に毒されたヴェーゲナーは傍目には寡黙だが、自らの内で消えてしまったかつての上司であるフリュンヒテルを同居させ、とにかく内省を通り越した自罰的で饒舌な会話を繰り返す。女々しいまでにカロリーナに固執し、目にする風景の中で山崎まさよし並みに事あるごとに彼女の姿を探してしまう。そんなところにいるはずもないのに。こうはなってしまってはダメだ、と思いながらも彼に共感せずにはいられない悲しい中年男性の物語だ。

しかし、そんな架空の世界の社会主義の中でも現在の現実世界にある問題と重ねて見えてしまうものもある。フリュンヒテルは言う。社会主義は希望に根差している、と。あらゆる政治システムは社会がこうなったらいい、こうなったら誰もが幸福になれるという希望からスタートする。しかし、その希望が現実問題と折衝していくうちに、変質し、人にとって暮らしづらい閉塞したものへとなっていってしまう不幸。この東ドイツではない東ドイツがどこの世界にもいつしか現れてしまう。それはとても悲しいけれど避けては通れない。私たちはそこに寡黙になってはいけないのだと痛感させられた。

なんだか求めていたものとは全然違う筋道を辿っていったけれど、それでも謎解きとして面白く着地していったし、色々と考えさせられた。ナチスと関係してないドイツ小説というのも新鮮だったし、時間はかかったけど読んでみて良かったと思えた作品だった。

 

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書影。グッドデザイン賞

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マイケル・シェイボンユダヤ警官同盟コーエン兄弟による映像化の話がうやむやになっている。

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第二次世界大戦アメリカがドイツと日本に敗れていた世界を描いたフィリップ・K・ディックの高い城の男。映像化もされている。

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こちらも日本がアメリカに勝った世界を描いたピーター・トライアスのユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン。まんま高い城っぽいあらすじだけどこのパシリムっぽいロボットはどう絡んでくるのか。